結婚も離婚も、大人同士が話し合って決めればいい。だが離婚までの経緯で、問題になるのが子どものことだろう。親同士の諍いに否応なく巻き込まれる子どものメンタルは大いに気になるところだ。

「それは僕も実感しています。この12年、僕は何を得て何を失ったのか、まったくわからない状態です」

 離婚を前提とした別居状態にある坂本矩之さん(41歳・仮名=以下同)は、低い声でそう言った。本人が意図していないところで妻が離婚を言いだす、「信じられないような事態」が起こったのだという。

母の盲目的な愛…両親の関係は

 矩之さん自身、「ひとりっ子で大事に育てられた」と自覚している。特に母親の盲目的な愛には辟易とした時期もあった。

「小学生のころはまだ気づかなかった。ただの優しいおかあさんだと思っていました。でもそれが支配だと無意識のうちに感じて拒絶したくなったのが中学生のとき。どこの誰と友だちなのか、その人のおとうさんはどういう職業なのか、やたらと聞かれた。知らないと言うと母親自身が調べてきて、あの人とつきあってはいけないだの、あの家のおかあさんはちょっと変だのって。自分がいちばんおかしいんだよ、どうして気づかないんだよと言うと泣かれました」

 母が自分を父の代わりのように思っていると気づいたのは大学生になったころだ。父は家庭から逃げてばかりいた。もちろん、逃げるようになったのは母の性格と対応が原因なのだが、矩之さんとしては父親に「もうちょっとかまってやれよ」と思うこともあった。

「それは母がかわいそうだからではなく、父親のせいで自分にとばっちりが来ているという感覚があったから。今思えば、僕が中学生になるころ夫婦の間で何かあったのかもしれません。どちらかが浮気したとか」

 そこで彼は急に声をひそめた。どうやら両親の関係について何か思うところがあるらしい。

「中学生のころって両親の夜の関係が気になったりしませんか? 僕、ある晩、両親の秘め事を聞いてしまったんです。そのころ確か両親は別々で寝ていたんです。2階の僕の部屋の隣が母の部屋で、父はひとり階下の部屋にいた。夜中、ミシミシと階段がを上がる音がして父が母の部屋に入っていった。その後、母が『いや、やめて』と言うのが聞こえて……。でも父は無理にしたんでしょうね。母の『いやだってば』という鋭い声のあと、急にしんと静まりかえった。気になって壁に耳をつけるように聞いていたら、母があえぎだして。あんなに嫌がっていたのに、こういうことになるのかと愕然としました。ただ、その後、部屋を出ていくときの父の言い草がひどかった。『おまえはしょせん、そういう女だ』って」

 母のか細い泣き声が尾を引いていた。そのときは父をひどいと思った。だがあとから考えると、浮気していたのは母なのかもしれないと思い至った。

「父が母をないがしろにしているように見えていたけど、実は母が浮気をして、裏切られた父が家庭を顧みなくなったのかもしれない。今となってはわかりませんし、父はすでに亡くなっていますから聞きようもないけれど」

 複雑な家庭だとは思わずに育ってしまったが、実際は常に父と母の感情的なもつれあいの中にいたのだと、彼は自分が結婚してから初めてわかった。

父とのふたり飲みで…複雑な表情

 大学生になると彼はほとんど家には戻らなくなった。ギターを独学で弾いていたので、友人たちとバンドを組んで学園祭に出たこともある。それ以外はアルバイトばかり。夜遅くまでバイトをしては、恋人や友人のアパートを転々としていたという。

「20歳になってからはバーでバイトをして、店が終わってから飲みに行って翌日は大学へ行けなくてという生活でした。昼間はだらだら寝ていて……。若かったなあと思います。先のことなど考えなかった。バーのバイトはけっこうモテた(笑)。あのころ、一生分のモテ運を使い果たしたのかもしれない」

 バーのお客さんを集めて演奏したこともある。だが友人たちは就職活動で、だんだん音楽から離れていった。矩之さんにとって、大学時代は初めて得た「自由な時間」だったのかもしれない。母親から離れた自由を、家から離れた自由を彼は謳歌した。

「就職活動というのがなぜかバカバカしいと思ってしまって。何もしませんでしたね。あげく留年した。しかたなく父の会社まで行って、あと1年学生でいさせてくださいと頼みました」

 父に「一杯やろう」と誘われ、初めてふたりで飲んだ。父の行きつけの小料理屋に連れていかれたとき、彼は社会人としての父の存在感をひしひしと感じた。

「父は、『オレがいうのもおかしいけど、もうちょっと家に帰ってやってくれないか』と言い出しました。おかあさんは、ひたすらおまえを待ってるんだ、と。それがうっとうしかったし、僕はいつまでも子どもじゃないと言い返した。わかるけどさ、と父は複雑な表情を浮かべていました。オレは結局、おかあさんにとっていい夫じゃなかったんだろうなと、なんだかその日の父は寂しそうでしたね。特に何かを話し合ったわけではなかったけど、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら父と飲んだお酒はおいしかった。そしてその3日後、父は突然亡くなったんです」

親子関係が「気持ち悪いもの」として…

 会社で倒れ、意識が戻らないまま数時間後に死亡が確認された。報せを受けた矩之さんが駆けつけたときはもう息をしていなかった。母は矩之さんに抱きついて号泣した。

「そんなに泣くならもっと仲良くすればよかったのにと思いましたが、母の涙は僕に見せるためのものだったのかもしれない。あるいは久々に僕を見て感情が高ぶっただけかもしれない。そんなふうに思うほど、僕にとってもう母は遠かった」

 父の通夜と葬儀がすむと、母は「戻っておいでよ」と彼に言った。私はあなたと暮らしたい、あなただけが私の人生なの、わかってるでしょ。この状態で息子に捨てられたら、私はどうしたらいいのと母は泣き崩れた。そんな母を横目に、彼は「散歩してくる」と家を出て、当時、つきあっていた恋人の家に行った。

「その日からバイトに行きました。休んだのは2日間だけ。オヤジが死んだことは店にも言わなかった。なんですかね、親子という関係そのものが常に気持ち悪いものとして僕の中に存在していたのかなあ」

 すでに友人たちはみんな就職が決まっていた。バイト先の店主が「のりちゃんはどうするの」と尋ねてきたが、「どうしますかねえ」とのらりくらり返事をしていた。そんなとき、店の客であるイベント会社の社長が声をかけてくれた。

「その会社、音楽関係のイベントを手がけることが多いらしくて、僕のギターを聞いてくれた社長がうちに来ないかと誘ってくれたんです。正社員でもバイトでもいい、きみが楽しく働いてくれればそれでいいよ、と。ずいぶん適当ですが、こっちも適当だったから、ああ、そういう仕事ならやってみたいですと即答しました」

 小さな会社だったから、手がけるイベントも大きくはない。それでも彼は初めて「自ら何かを計画し、それを遂行する喜び」を知った。それまで何をやっても心から楽しいとは思えない青春時代だったのだ。

「残業多い、土日は仕事、給料安い。今だったらブラックと言われてしまうような働き方だったけど、僕は楽しかった。たとえ安くても、好きなことをしてお金をもらえるんですからうれしかったですよ」

 一緒に仕事をした他社の女性と知り合ったのは28歳のころ。相手も同い年だった。そして彼は、その女性、優美香さんとつきあって半年ほどで結婚した。彼女が妊娠したからだ。

後編【身に覚えはないのに…「浮気をされた」と離婚調停 41歳夫が語る、最初から不可解だった「結婚生活」と「妻の正体」】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部