恬淡(てんたん)という言葉がある。無欲で執着がなく、心が安らかな様子を指す。MLB・ドジャースの大谷翔平は日本人にとって、単なる野球界のスーパースターではない。尊敬すべき大人物だと目されている。そう評価されている背景の一つに、彼が金銭には恬淡という点があり、それが“日本人の美徳”を再認識させてくれるからではないだろうか。

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 産経新聞は2007年、「【日本を探す】西郷のいる風景」という連載を開始。第4回は「モラルと道義重んじ」というタイトルで、2月22日の朝刊に掲載された。

 なぜ日本人は西郷を敬愛するのか。産経新聞の質問に鹿児島大学の教授は次のように答えた。《「権力のトップに上り詰めても人間のあり方としてのモラルや道義を重視し、政治や外交の場においてもそれを貫こうとした》。

 モラルや道義の重視が《地位や物、金銭に恬淡(てんたん)とした態度、謙虚さにつながる。これが西郷の魅力の本質ではなかったか》と記事は指摘した。

 大谷も金銭に恬淡としていたことは、北海道日本ハムファイターズの新人時代から有名だった。プロ入り2年目の14年2月、スポーツ報知は契約更改で1億円は確実とし、「日本ハム・大谷翔平が5日契約更改 年俸1億円確実も“清貧の思想”を貫く」との記事を掲載した。

《大谷の生活は質素そのものだ。親からもらう月の小遣いは10万円。ただ使いみちは、交通費やコンビニでの買い物、散髪代など月2万円程度。私服は知人からのもらい物を着こなし、食事も先輩にごちそうになることが多い。移動の時こそ「プロに入って一番高い買い物」という10万円のスーツを着用するが、革靴はアドバイザリー契約を結ぶアシックス社製の物を履く。「僕、賞金だけで生活できると思います」となぜか自慢げに語った》

《その姿は、かつて経団連の会長を務め、「メザシの土光さん」として有名だった故・土光敏夫氏にも通じる。土光氏も一流の経営者で高収入だったにもかかわらず、通勤にはバスや電車を利用し、食事も一汁一菜など質素な生活を送った。その代わり仕事に全てをささげ、経済界をけん引した。世界は違うが、大谷も二刀流として成長するため、生活の大半の時間をトレーニングに費やしている》

「なぜ大谷は気づかなかったのか?」

 報知は「西郷隆盛」的な人物として「土光敏夫」を取り上げた。タイトルにある“清貧の思想”はバブル崩壊後の1992年に刊行された、小説家・中野孝次によるエッセー集のタイトルが由来だ。

 この『清貧の思想』は「モノとカネにふりまわされ、明け暮れする人生は真に幸福なのか?」と問題提起し、「身の丈にあった清楚な生活」を称揚した。書店に並ぶと大きな反響を呼び、ベストセラーとなった。

 日本人は、こうした禁欲主義に強く惹かれる一面を持っている。だが、こうした美意識をアメリカ人はなかなか理解できないらしいのだ。担当記者が言う。

「大谷選手は2月、ドジャースと10年総額7億ドル(約1015億円)の歴史的契約に合意。額も注目されましたが、その大半が後払いという点も話題になりました。日本のメディアは『大谷は金銭に恬淡』という論調で報じ、アメリカ側も似たトーンで伝えながらも、『我々ならあり得ない』というニュアンスもにじませました」

 そして今、元専属通訳である水原一平氏の違法賭博疑惑が浮上している。この問題を巡っても、アメリカのメディアは「大谷の金銭意識」に注目しているようだ。

「複数のアメリカメディアが『450万ドル(約6億7500万円)が失われても、なぜ大谷は気づかなかったのか』という疑問を大々的に報じています。『29歳の社会人が、自分で金銭管理を行っていない』のはおかしいというわけです。実際、アメリカでは『自分の財布は自分で管理する』のが常識です。夫婦でも財布は別という家庭は珍しくありません。給料は妻に渡し、妻から小遣いをもらうサラリーマンなど、想像の範囲外です」(同・記者)

“チーム大谷”の不在

 具体的にアメリカの報道を見てみよう。大谷のFA騒動がピークに達していた時、大谷がブルージェイズに入団するというデマ情報が流れて話題を集めた。ブルージェーズの本拠地はカナダのトロントにあり、地元紙の「トロント・スター」はカナダ最大部数の日刊紙として知られている。

 トロント・スター(電子版)は3月25日、「大谷翔平、ギャンブルとは無関係と断言。しかしながら450万ドルが紛失しても、誰も気づかなかった、とは?」との記事を配信した。(註1)

 同紙は大谷の説明を「証拠を伴っていないので、決定的な回答とは見なせない」としながらも、「説明自体は充分に明確だった」と一定の評価を下した。

 その上で、「なお複数の疑問が残る」と指摘。その中の一つとして「たとえ大谷が裕福であったとしても、なぜ大谷と彼の関係者は450万ドルが失われてしまったと──50万ドルを9回に分けて電信振込を行っており、これはボタンを押すだけの取引ではない──気づかなかったのだろうか?」と首をひねった。

「大谷と彼の関係者」という表記からも分かるように、トロント・スター紙は、大谷が直接、自身をサポートするスタッフを雇っていないことが不思議でならないようだ。「世界最大の野球スターには、エージェントはいなかったのだろうか? 会計士はいなかったのだろうか?」という一文がそれを裏付ける。

大谷の脇の甘さ

 トロント・スター紙の疑問に、少しだけ答える格好になったのは、YAHOO!SPORTSの報道だろう。3月25日、「大谷翔平の通訳スキャンダル:ドジャースのスター選手が自身の主張を発表するも、依然として残る4つの疑問」との記事を配信した(註2)。

 やはりYAHOO!SPORTSも「MLB選手の銀行口座から450万ドルが消えたというのに、なぜ誰も気づかないのだろうか?」と疑問視。だが、記事の途中では解説のような記述もあった。

「記事は『大谷選手と水原氏の関係は、単なる選手と通訳の関係ではない』ことを指摘しました。スポーツ専門サイトが配信した水原氏のインタビュー記事を紹介し、『通訳の仕事は全体の1割』との発言を引用。練習相手、リハビリの監視など『その他の無数の任務』が9割を占めていたことを示し、『無数の任務』の中に大谷選手の金銭管理が含まれていても不思議ではないと示唆したのです」(同・記者)

 記事には大谷の母親も登場した。《大谷の新人時代から、彼の母親が家計の管理をしていると報じられてきた。そのため、この選手が金銭に関する判断にあまり関与しなかった可能性は、充分にありそうだ》。

 ちなみに日本のメディアからも、大谷の“脇の甘さ”について言及する記事が配信されている。例えば時事通信は3月26日の記事でアメリカの報道を紹介した上で、《自身の金銭管理が甘かった可能性も否定できない》と指摘した(註3)。

アメフト選手の凋落

 こうしたアメリカメディアの報道について、外資系企業に勤務する日本人は「私たちの感覚とは正反対とでも言うべき“常識”がアメリカにはあります」と解説する。

「財産管理は他人に委ね、自分は野球に専念するという姿勢は、日本ならヒーロー的なストイシズムとして“カッコいい”という声が出ても不思議ではないでしょう。ところがアメリカは“トップアスリートこそ、財産管理や対外折衝は自分がリーダーシップを取って行うべき”という考えが根強いのです」

 そのためトップアスリートは顧問弁護士、広報などを担当するエージェント、会計士、といった各分野のプロを自分で雇用するという。

「大谷さんの会見を見ると、そうした管理のかなりの部分を、水原さんに一任していた可能性があるようです。これにアメリカ人とメディアは違和感を持っており、『通訳がそんな巨額なお金を動かせる状態だったこと自体がおかしい』と思っているんです」(同・外資系企業の日本人)

 MLB研究家の友成那智氏は「アメリカのメディアが大谷の金銭管理に注目しているのは、かつてアメフトのプロリーグNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)で発生した、元選手の金銭問題が大きな影響を与えているのです」と言う。

「かつてアメフトの選手は引退すると、保有していた多額の資産を浪費してしまう者が少なくなかったのです。結果として老後に信じられないほど困窮するというケースが多発し、メディアは詳報しました。その結果、資産形成や運用は自分の責任で行い、長い余生を安泰に暮らす基盤を作ることも“トップアスリートの必須条件”になったのです」

ギャンブル蔓延のMLB

 確かにアメリカメディアの報道は“正論”かもしれない。だが友成氏は「いくら正論でも、常に100パーセント支持できるかと言えば、そんなことはありません」と言う。

「アメリカメディアの大谷さんに関する報道を読むと、それこそ違和感を覚えるのも事実です。何しろアメリカでスポーツ賭博は急成長を続けており、日本におけるパチンコ産業の全盛期のように、非常に身近で、市場規模の巨大な一大ギャンブル産業になっているのです。アメリカでは3割を超える若者がスポーツ賭博を楽しんでおり、そこから生まれる巨額の利益はMLBにも大きな恩恵をもたらしています。MLBは大谷さんと水原さんを調査すると発表しましたが、私なんかは『どのツラ下げて言っているんだ』と思ってしまいます」

 MLBでは選手の“賭博汚染”もかなりひどいという。もちろん野球賭博は、たとえ公認の胴元であっても、MLB関係者は禁止されている。だが、例えばロッカールームの奥に、カード賭博用の小部屋が用意されている球場すらあるという。

「欧米では社交の手段としてもカードゲームが楽しまれていますが、MLBの選手たちの場合、そんな綺麗事の世界ではありません。正真正銘のバクチです。ポーカーなどで本気で賭け、負け金の支払いを巡って投手と捕手が大ゲンカしたといったエピソードは日常茶飯事です。昭和のプロ野球選手が麻雀を愛していたのを思い出してもらえればいいでしょう。そんな状態なのですから、水原さんのことを悪く言える選手だって、本当は非常に少ないはずなのです」(同・友成氏)

註1:Shohei Ohtani swears he's no gambler. But $4.5 million went missing and no one noticed?(TRONTO STAR:2024年3月25日)

註2:Shohei Ohtani interpreter scandal: 4 remaining questions after Dodgers star tells his side of the story(YAHOO!SPORTS:3月26日)

註3:大谷、盟友に厳しい言葉=米メディアから疑問の声も―大リーグ(時事通信:3月26日)

デイリー新潮編集部