ゴルフの今季最初のメジャー大会であるマスターズ・トーナメントは、27歳の米国人選手、世界ランキング1位のスコッティ・シェフラーが2位に4打差を付けて圧勝した。2022年大会に続く2度目のマスターズ制覇を成し遂げ、世界中のゴルフファンを沸かせた。【舩越園子/ゴルフジャーナリスト】

忘れ去られてしまうのは惜しい選手

 歴史に名前が刻まれるのは勝者だけである。最終日に激しい優勝争いを演じれば、敗者の名前も人々の記憶に残ることはある。だが、多くの場合、初日にどれほど好発進しても、最後にフェードアウトしていった選手のことは記録には残らず、人々の記憶からもフェードアウトしていくことになる。

 それは弱肉強食のアスリートの世界では仕方のないことなのかもしれない。だが、たとえ優勝争いからはフェードアウトしても、そのまま忘れ去られてしまうには惜しいと感じられる選手もいるもので、今大会のブライソン・デシャンボーはその1人だった。

 今年のマスターズ初日は、悪天候でスタート時間が遅れ、全選手が18ホールを終えることができずに日没サスペンデッドとなった。そんな不規則進行の中で暫定首位に立ったのは、今やリブゴルフ選手となっているデシャンボーだった。

 PGAツアーが世界のメディアに向けて発信している「日々の結果」を見てみると、この日、暫定2位となったシェフラーの欄には、彼のこれまでの足跡を紹介する20行以上の詳細な説明が記されていた。だが、デシャンボーの欄にはたったの3行の記述しかなく、そのうちの1行は「2019年マスターズの初日を単独首位で発進し、29位タイに終わった」というものだった。

 それはまるで、今年も同様の展開になることを「お見通しだ」と主張しているかのようだった。

爆弾発言で失笑を買ったことも

 デシャンボーは米カリフォルニア州出身の30歳。圧倒的なパワーと飛距離を活かし、PGAツアーで通算8勝を挙げた実力者だ。2020年にはメジャー初優勝となる全米オープンを制覇した。

 だが、同年11月に開催されたマスターズでの発言が波紋を呼ぶ。多くの人々が難関コースと感じているオーガスタ・ナショナルは、「僕にとってはパー67にすぎない」「パー5はすべて2オンできる」と豪語。ただし、デシャンボーがマスターズで67以内の好スコアをマークしたことはその発言以降も一度もなかったため、「彼は口だけだ」と失笑を買った。

 ところが、ついに今年は初日に65をマークし、単独首位のロケット発進をやってのけた。そしてデシャンボーは「パー67発言は誤りだった。僕はパーフェクトな人間ではないからね」とかつての爆弾発言を撤回。そうやって素直に非を認めるところは、いかにもデシャンボーらしかった。そして、そんなデシャンボーは今年のマスターズを開幕から盛り上げ、人々を楽しませる主役となっていった。

30キロ以上増量

 昔からデシャンボーの言動は、常識や前例、既成概念にとらわれず、自分の考えや信念に基づいていた。だが、「普通の人」である我々から見れば、彼のアウトプットはあまりにも奇想天外で、だからこそ彼は大きな注目を集めてきた。

 PGAツアーにデビューする以前のアマチュア時代から、デシャンボーが手にするアイアンは「全番手がすべて7番アイアンの長さに合わせてある同一レングス」であることが話題になっていた。

 プロに転向し、いざPGAツアーにデビューすると、デシャンボーは他選手たちからスロープレーのやり玉に上げられた。また、手にしていたパターも「サイドサドル」と呼ばれたパッティングストロークの方法も「ルール違反」と指摘された。そのたびにデシャンボーは素直に指摘を受け入れて、改善・改良を心掛けてきた。

 コロナ禍で一時休止されたツアーが再開された2020年の秋、デシャンボーは巨体となって登場し、人々を仰天させた。

 1日に6食のステーキディナーを食べ、プロテインドリンクを6杯飲み、体重を30キロ以上も増やして飛距離をさらにアップさせたデシャンボーは、「やりすぎだ」「化け物みたいだ」「マッチョな肉体はゴルフ向きではない」などと批判もされた。

 だが、その巨体でロケット・モーゲージ・クラシックを制し、全米オープンを制し、翌年の春にはアーノルド・パーマー招待の舞台であるベイヒルの6番(パー5)で誰も成功しえなかった池越えのショートカットを成功させ、フロリダの大観衆を狂喜させながら通算8勝目を挙げた。

特注品のアイアン

 デシャンボーが我が道を行くことを覚えたのは幼少期だった。経済的に困窮する家庭で育ち、「ランチを買うお金を持っていけず、学校ではいじめられていた」という彼は、多くの時間を自宅近くのゴルフ場で過ごしたそうだ。

 そこにはマイク・シャイという発明好きで愉快なティーチングプロがおり、デシャンボーはシャイと一緒に「そのへんに落ちていた古いタイヤや箒、バケツやサッカーボール、何でも使ってゴルフの練習器具を発明しては、それを使って練習をしていた」という。

 デシャンボーが同一レングスのアイアンを「これがいい」と信じて使い続けているのも、彼にそんなバックグラウンドがあるからなのだろう。

 2022年にデシャンボーはPGAツアーから離れ、リブゴルフへ移籍した。今年のマスターズで、彼は大勢のゴルフファンとテレビカメラの前に久しぶりに姿を現わした。かつて大幅に増量して驚かせたが、その後は減量に励んだおかげでさほどの巨体ではなくなっている。だが、個性的で独創的な姿勢は変わってはいなかった。

 デシャンボーが今年のオーガスタ・ナショナルで手にしていたアイアンは、やはり同一レングスに統一されていたのだが、アイアンのヘッドは驚くなかれ3Dプリント技術を駆使して製造されたばかりの特注品だった。昨秋、コーチのシャイが3Dプリント技術に興味を抱いて作った試作品のアイアンを、新しいもの好きのデシャンボーがさっそく試打してみたところ、「これはいい!」となった。

 すぐさまシャイの弟子のような発明家が所有・経営しているアイアンメーカー「Avoda」に依頼してデシャンボー用のアイアンセットを作ってもらい、マスターズウィークの月曜日にUSGA(全米ゴルフ協会)からルール適合の承認を受けたばかりだった。

 実績が一切ない未知数だらけのアイアンを、マスターズの舞台でいきなり使い始めたデシャンボーの勇気と行動力は見上げたものだ。そのアイアンで初日を単独首位で発進したことはまさに「あっぱれ」だった。

看板を引き抜いて…

 2日目、デシャンボーはアーメンコーナーと呼ばれる難関の13番(パー5)でティショットを右の林へ打ち込んでしまう。普通なら次打は13番のフェアウエイへ出す道を選ぶが、彼は逆側の14番のフェアウエイへ向かって第2打を打ち、そこから13番のグリーンを狙うという驚きのルートを思いついた。

 そしてその際、行く手を阻んでいたオーガスタ・ナショナルの案内看板を素手で引き抜くという驚きの行動に出た。ちなみに、その看板の高さはデシャンボーの身の丈ほどあり、重さは30キログラム以上という巨大なものだったが、デシャンボーいわく「他に選択肢はなかった」。

 その奇抜なルートで見事にバーディーを奪い、大観衆を沸かせたところは「これぞデシャンボー」だった。

「いいことをたくさん学んだ」

 2019年大会でデシャンボーが首位に立ったのは初日のみだった。だが、今回は2日目まで首位タイを死守。しかし、週末はリーダーボードの最上段に留まることはできず、3日目の終了後は単独5位へ後退。最終日は4日間で最もパットに苦しみ、終わってみれば優勝したシェフラーから9打差の6位タイに甘んじた。

 そんなデシャンボーに視線をやるメディアは、ほとんどなくなっていった。そして、シェフラーの表彰式や優勝会見が進行されていく中で、初日にデシャンボーが好発進したことは「なかったこと」のように忘れられていった。

 だが、我が道を信じ、失敗も批判も世間の目も気にすることなく突き進んでいったデシャンボーの姿を目にして、「何か」を感じた子どもたちや人々は、世界のどこかにきっといたのではないだろうか。

「今週はパー5で自分の強みを活かせなかった。すべてを完璧に行なうことはできないけど、今週、僕はいいことをたくさん学んだ。そんな自分自身を僕は誇りに思う」

 勝利を逃し、後退し、優勝争いの輪の中からフェードアウトしていったデシャンボーが、そう言って胸を張ってくれたことを私は秘かにうれしく思った。

舩越園子(ふなこし・そのこ)
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1993年に渡米し、在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『才能は有限努力は無限 松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。1995年以来のタイガー・ウッズ取材の集大成となる最新刊『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)が好評発売中。

デイリー新潮編集部