午前11時40分から3回目の一般参賀でにこやかにお手振りをする天皇ご一家。天皇陛下は朝から祭祀に臨み、両陛下はすでに3回の祝賀行事に出席している=2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)

 2月23日の天皇誕生日は、みぞれが降る厳しい寒さにもかかわらず、皇居・宮殿の東庭は熱気に包まれた。一般参賀で行われる天皇陛下と皇族方によるお手振りは、皇室と参加者との一体感を感じる場面だ。一回のお手振りはわずか4分ほどの時間。だが、ベランダから退出後は宮殿内を移動して祝賀を受けるなど、両陛下にとってこの日は目の回るような忙しさなのだ。参賀者の目に見えないところも含めて、天皇誕生日の両陛下の一日のスケジュールを辿ってみよう。

* * *
 9時、天皇陛下と皇嗣である秋篠宮さまは、皇居の宮中三殿で、天皇の誕生日を祝う祭祀の「天長祭の儀」に臨んだ。陛下と秋篠宮さまは、三殿にそれぞれ拝礼する。

 明治に始まった祭祀で、昭和の時代は当時の天皇が高齢になったこともあり代理による拝礼だったが、平成に入ってからは天皇と皇太子が拝礼する形に戻った。

 かつて天皇家に仕えた人物は、こう話す。

「天長祭の祭祀は、長くても15分ほどです。というのもこの日は行事が詰まっており、すぐに次の予定に向かう必要があるためです」

 天皇陛下は、宮中三殿から急ぎ宮殿に向かう。10時から天皇陛下と皇后雅子さまは、宮殿の「鳳凰の間」で宮内庁長官や皇宮警察本部長など宮内庁幹部らからの祝賀を受けるからだ。

お手振りの場面でも表情豊かな愛子さま。パールで統一したアクセサリーがよくお似合い=2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA

 10時20分、天皇陛下は国民から祝賀を受けるため、長和殿のベランダにお出ましになった。1回目の一般参賀だ。天皇陛下と皇后雅子さま、長女の愛子さまと秋篠宮ご夫妻、次女の佳子さまの6方が一列に並ぶ。能登半島地震へのお見舞いの気持ちを表すためか、ドレスの色は、皇后雅子さまは紺色、愛子さまはブルーグレーのような淡い色と控えめだった。

 天皇陛下がお言葉を述べ、皇后雅子さまや愛子さま、秋篠宮ご夫妻と佳子さまらのお手振りが始まった。参賀者は、肩や頭を濡らしながらも一斉にスッと傘を下げ、旗を高く振って、お祝いを口にする。雨はみぞれに変わり厳しい寒さであったが宮殿の東庭は集まった人びとの熱気であふれている。参賀者と皇室がまさに一体となる瞬間だ。

 ベランダに姿を見せてから、退出するまでわずか4分ほど。しかし、参賀者の目に見えないところで、主役である天皇陛下や皇后雅子さまは夜まで分刻みのスケジュールが続くのだ。

 ベランダから退出して5分ほどで陛下と皇族方はベランダのある長和殿から中庭をはさんだ正殿にすぐさま移動。 

 10時30分、天皇陛下は「松の間」、皇后雅子さまは「梅の間」に入り、それぞれ秋篠宮ご夫妻や皇族方からお祝いを受ける行事が始まる。皇族方からの祝賀を受けたのちは、天皇陛下も皇族方も中庭をはさんだ長和殿に再び戻る。

 11時から、2回目の一般参賀が始まった。

 天皇陛下は一回目と同じように、能登半島地震の犠牲者に改めて哀悼の意を示し、被災者にお見舞いを伝えた。天皇陛下に続いて皇后雅子さまや愛子さま、秋篠宮ご夫妻と佳子さまらが、ほほ笑みながらお手振りをはじめると、東庭はまたもや歓喜に包まれた。 

 退出後、両陛下は長和殿から正殿の「竹の間」へ素早く移動する。そこで11時20分から、元皇族や親族からの祝賀を受けた。息をつく暇もなく、両陛下はベランダのある長和殿へ戻る。このように一般参賀の間に正殿と長和殿の行き来を繰り返しているのだ。

 11時40分からは、最終となる3回目の一般参賀が始まった。 

 今年の冬の厳しい寒さや大雪にも触れて、

「皆さん一人一人にとって、穏やかな春となるよう祈っております」

 とメッセージを伝えた。

 最後の回は、天皇陛下と皇族方が全員、ベランダの中央に寄る「サービス」がある。出席する皇室メンバーがぎゅっと集まる光景を楽しみに、最終回に足を運ぶ常連の参賀者もいるほどだ。

最後の回の一般参賀は陛下と皇族方が中央に集まる「サービス」がある。この光景を楽しみに最終回に合わせる参賀者もすくなくない=2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)

 参賀者の目に触れる正式なお出ましはここまで。しかし、午後も天皇、皇后両陛下が出席する行事がびっしりと詰まっている。

 13時過ぎからは、再び正殿「松の間」で、岸田首相をはじめ三権の長からのお祝いをうける「祝賀の儀」が行われた。

「皆さんからの丁重な祝意に深く感謝いたします」

 天皇陛下はそう、お礼を伝え、国の発展と国民の幸せを願うと述べた。

 続いて隣の「竹の間」で、元宮内庁長官など元幹部や元職員といった旧奉仕者からのお祝いを受ける祝賀が始まる。そちらが終わるとすぐに、宮殿内で最も広い「豊明殿」へ移動する。外国の大使らが出席する「祝賀の儀」に臨むためだ。次は、「鳳凰の間」である。ここで旧公家による組織の堂上会によるあいさつと祝意を受けた。

 一連の行事を終えたのち、今度は車で皇居を出発。64歳の誕生日を迎えたあいさつのために、皇后雅子さまとともに上皇ご夫妻のお住まいである仙洞御所を訪ねるためだ。赤坂御用地に向かう途中、沿道からはお祝いの声が飛び交った。天皇陛下と皇后雅子さまは、車の窓を開けて沿道に向けて、柔らかにほほ笑み会釈をした。

天皇陛下と皇后雅子さまは、上皇ご夫妻へのあいさつのため仙洞御所を訪問し40分ほど滞在=2024年2月23日 (読者の阿部満幹さん提供)

 16時、仙洞御所のある赤坂御用地に車が到着。40分ほど上皇ご夫妻のお住まいに滞在した。

 皇居内の御所へ戻ると、ようやく誕生日の行事も終わりが見えてくる。お住まいの御所では、愛子さまも出席し、ご一家の私的な生活を支える侍従長や侍従職員らからのお祝いを受けた。

 天皇、皇后両陛下が予定された日程を滞りなく終えたのは、とうに日も暮れた時刻。宮殿内を分刻みで移動しながらも、陛下も皇族方も、疲れを表情に出すことはないという。

「天皇家の方々や皇族方をおそばで拝見していた時代も、強い精神力を持っておられると感心しておりました」(元侍従)

 同じ方向にお手振りをする姿も息がぴったりの天皇ご一家=2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)

 両陛下の日程をたどるだけでも目が回りそうだが、これでもコロナ禍前より、出席者の数も規模も縮小されているのだ。以前は行われていた茶会や飲食を伴う行事は、まだ再開されていない。

 天皇陛下や皇后陛下の誕生日や新年行事の細かな日程が公表されるようになったのは平成の後半からだ。高齢でも膨大な量の公務を続ける当時の天皇陛下や皇族方の状況を少しでも知ってほしい。公務の軽減につながればという、当時の幹部らの判断であった。

 前出の天皇家に仕えていた人物はこう話す。

「コロナ禍をきっかけに、行事や公務の削減や効率化がはかられたのは、よい流れでした。私自身はコロナ禍以降の規模の縮小により、昔のようにお会いできないのは残念です。しかし、両陛下のタイトな日程がすこしでも緩和されるのであれば、よいことだと思います」

 目に見えない努力と気遣いが表にでることで、人びとと皇室との絆もより深まりそうだ。(AERA dot.編集部・永井貴子)

2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)
2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)
2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)
2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)
2024月2月23日、宮殿東庭(写真映像部・松永卓也/JMPA)
2024月2月23日、(写真映像部・松永卓也/JMPA)