阿古真理さん(右)のトークイベントは、リアルとオンラインのハイブリッドで行われた。リアル会場となったジュンク堂書店池袋本店のカフェスペースには、幅広い年齢の男女が集まった(photo 平岡 明博) 

 くらし文化研究所を主宰し、作家・生活史研究家として執筆活動をしている阿古真理さんが、最新刊『お金、衣食住、防犯が全てわかる 今さら聞けない ひとり暮らしの超基本』の発売を記念して、ジュンク堂書店池袋本店でトークイベントに登壇した。題して「令和の家事は意識もテクもアップデート!」。

 お母さんが一人で何もかもやる時代はすでに終わっている。すべての人が、家のすみずみまでピカピカにして3食自炊する必要もない。自分にあった最低限必要な家事とそのノウハウを知れば、家事に振り回されることなく、ラクに楽しく毎日を整えることができる。自身の経験も交えてその極意を語ったトークショーのレポートをお届けしたい。この記事では、「なぜ家事をするのか」という話を。聞き手は前AERA編集長の片桐圭子が務めた。

 ――そもそも阿古さんは、家事ってお好きですか。私はあんまり好きじゃないんですけど。

 私も元々は好きじゃないんです。子どもの頃からキャリア志向で、花嫁さんよりスーツにハイヒールを履いた、いわゆる「OL」に憧れていて。「私はお勤めさんになる!」と言っていました。途中からは、仕事をしていたら家事をしなくてもいいよね、やってほしいと堂々と夫に言えるよね」と、よこしまな気持ちも加わって、結婚したらシェアする前提でいました。

 料理は元々好きではあったんですけど、結婚したら嫌いになりまして、和解をするのに10年以上かかりました。今は、家事のフットワークもだいぶ軽くなり、今日は、家中を掃除してから来ました。

 ――家事のスキルが身についたら、みんなそんな風になれるんでしょうか。やっぱり、家事ができたほうが幸せですか。

 できたほうが、自信がつきますね。家事ができていることや、家事をやっていることは、実はその人の中で小さく降り積もって、いつの間にか自信になるみたいなところがあるんです。

 私自身、うつを患ったときに、それを実感しました。本当に何にもできなかった時期があって、その全然できないときに、なかでも一番できなかったのが、「献立」と「買い物」でした。実は一番、高度なんです。

 家事には非常に複雑な要素が詰まっています。それはこちらの本(『家事は大変って気づきましたか?』/亜紀書房)で書いたのですが、例えば、「献立」と「買い物」は、私が思い付くだけでそれぞれ7つの要素で構成されているんですよね。そんな複雑なことを毎日、世の中の人たちはやっているんです。

 私が研究している食文化史のジャンルは、積み重ねがないと仕事をもらいにくいところもあって、積み重ねている間は大変でした。結果、自分はあまり働いていないという気持ちになって、苦しかった。ただそんな時にでも、ごはんは作っていて。それが、すごく自信になったんですね。

 30〜40代は、みんなみたいにバリバリ働いてはいなかったけれど、少なくとも暮らしを紡いできた、と思えた。よく、「おばちゃんは強い」なんて言われますが、家の中を整えて、子どもを育てたということが、その人たちの自信になっているからだと思います。それは会社員が定年退職したらあれ?となるのとは違う、決して消えないキャリアなんです。

 何かあったときにサバイブする技術も、実は家事のスキルなんですよ。地震をはじめとする災害もそうですし、病気やけがなど、人生に起こるトラブルを乗り越えるには、ベーシックなスキルが身に付いてないといけない。完全に人任せにしている人よりは、自分でやっている人、あるいはやることができる人のほうがタフだと思います。

 それに、住まいは自分の延長線上にあるわけなので、その延長線上の部分がきれいだったり快適だったりすると、やっぱりそれは心地いいですよね。家が安心できる場所だと、外でつらいことがあっても「家に帰ればいい」「家には好きな場所がある」と思えます。

 ――なるほど。確かにそうですね。『家事は大変って気づきましたか?』にもありましたが、料理を作るにしても部屋を片付けるにしても、決めなきゃいけないんですよね。献立もそうですけれど、食材を決める、調理方法を決める、調理してる時はいつお醤油を入れるのか決めるなど、家事は決断の連続です。だから疲れるんですけど、仕上げれば目に見えるので達成感がある。片付けも洗濯も、やったら目に見えるかたちになるのが、家事のいいところですね。

 本当にそうです。だからストレスフルな仕事をしてる人ほど家事を楽しんだりするんですよね、気分転換って言って。みなさんもご経験があるんじゃないかと思うんですけれど、仕事が上手くいかない時期は必ずあります。でも、家事は1時間でも手を動かせば成果が出る。

 子育てにしたって、何十年も経たないと「ありがとう」なんて言ってもらえないし、そもそも言ってくれないことだってあるけれど、家事なら、小さな達成感を積み重ねることができるんです。これはストレスフルな人生の中で、癒しの部分も実はありそうですよね。

 ――確かに、仕事が大変で忙しい時ほど、千切りみたいな作業が、頭が空っぽになって楽しかったりしますね。

 ですね。そして千切りの成果は、自分のものですもんね。食べられるんですから。こういう、自己完結する喜びを持てるかどうかも、実はひとり暮らしでは大事なところです。家族がいる人たちに向けて話す時は、家族に何かしてもらったらちゃんとありがとうと言いましょう、と話すんですけど、ひとりの場合はありがとうは言ってもらえないし、おいしそうに食べてくれる人もいない。自分がしたことに自分で満足することこそが、自立ですよね。

 ――意外と、自己完結できることって少ないんですよね。仕事なんか全く自己完結できないですし。社会人になって自分だけで完結できることって、家事ぐらいしかないかもしれませんね。

 整っていくことの良さはありますよね。親御さんが立派に家事をこなしてる人のほうが、実はひとり暮らしや結婚生活がしんどいと聞くのは、親御さんの家事レベルになかなか到達できない自分がいると思ってしまうからですよね。

 ――「ねばならない」から脱却することが、家事を楽しむコツ、ということでしょうか。

 そうです。そこから始めなくてはいけない人が多いんですよね。家事を負担に感じている人に話を聞くと、頭の中に「理想の主婦」がいて、自分がその人に負けていることがつらい、ということが本当に多いです。メディアなどの刷り込みもあって、「できない私がいけないんだ」となってしまう。

 いまは「イクメン」がもてはやされたりするから、女性だけではなく男性も、むちゃくちゃ疲れているのに家事や育児をして、ヘトヘトになって倒れる、ということも起こりがちです。整っていたほうがいいけれど、整える前にやらなきゃいけないことがあるんです。休んだり遊んだり、気分転換や人に打ち明けたりすることを優先していいんですよね。

阿古真理(あこ・まり)/くらし文化研究所主宰。作家・生活史研究家。食を中心に暮らし全般および女性の生き方の歴史と今、写真をテーマに、ウェブメディア、書籍その他でルポや論考、エッセイを執筆。講演、テレビ・ラジオへの出演多数。2023年、『家事は大変って気づきましたか?』(亜紀書房)などの執筆活動で第7回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)を受賞。ほかに著書多数 (photo 平岡 明博)

 ――刷り込みから自由になって、なかなか難しいですけれど、日々、小さなことを積み重ねていくことで、見えてくるものがきっとありますよね。

 必ずあります。あまり頑張っていない、完璧ではない家事仲間がいるとさらにいいですよね。同僚と、家事の話をすることはありますか?

 ――あります。「今日はカレーで、今週はもう一回カレーです」とか、「炭水化物と野菜と肉でできている餃子は完全食だと近所のおばあちゃんに言われて以来、こまったら餃子です」とか。

 餃子は手作りしてるんですか?それ、結構大変だと思うんですけど。

 ――作るか買ってくるかは別にして、「餃子でいいんだ」って思えたことで、すごく気持ちが楽になったということみたいです。

 そう、もっと楽でいいんだよっていう話をしたほうがいいと思います。特に、お母さんになった後が結構大変。専業主婦が一般的だったころの「理想像」は若い人の間では薄れつつあって、いい傾向だと思うんですけれど、親の理想像というのは結構強固に残っていますし、周囲が刷り込んできます。完璧な母も完璧な父も無理ですよ。ひとり暮らしの人も、家の中がパーフェクトな自分を目指す必要はない、ということですよね。

 ――誰だって完璧なはずはないんですけれど、つい目指そうとしてしまうんですよね。目指さなくていい、というメッセージと共に、春からひとり暮らしをするという方に伝えたいことはありますか。

『お金、衣食住、防犯が全てわかる 今さら聞けない ひとり暮らしの超基本』の中で思いを込めたところでいうと、「ひとり暮らし」って自由な時間なので、楽しんでほしいということです。やらなきゃいけないことも増えるけれど、怒る人もいないんですよ。短期間であればわざと自堕落な生活をしてみるとか、家族と住んでいたときには飾れなかったアートを飾ってみるとか。自由をエンジョイしながら、スキルを上げていってください。

(構成 生活・文化編集部 永井優希)