【後篇】初代セリカ、TE27レビン、二代目セリカXX、70スープラ、80スープラ、そして現行のGRスープラに西川淳がイッキ乗り! まだ間に合う、乗るならいまだ!!
スポーツ対ラグジュアリィ
モデルチェンジのたびにクルマは大きくなる。それが進化である。この日最古の2台は、だからもうめちゃくちゃに小さい。そして軽い。止まったって自力で何とか押せる!
まずは27レビンに乗り込んだ。ナルディのウッド・ステアリングが懐かしすぎる。思わずさすってしまった。ブラックの内装はスパルタンで、特にシートの雰囲気がいい。カローラと名乗っているとはにわかに信じ難いほど。現代車と比べると遊園地の乗り物のようにタイトなキャビンだけれど、すっぽり収まってみれば意外に窮屈さを感じない。それにしても恐ろしく低い位置に座っている。もう自分自身がシャコタンになってしまった気分だ。
エンジンは一発で目を覚ます。これならキャブ車も悪くないが、乗っても乗らなくてもこのコンディションを維持するのは難しい。ペダルの扱いにさほど苦労しないのは、やはり世界のベストセラーであるからか。
軽いが迫力のあるサウンドを響かせて走る。曲がる・曲がらないは別にして、前輪が思いのほかよく動く。この時代のカローラはまだ後輪駆動である。キビキビとした乗り味はスポーツカー・ライクでもあり、ハチロクの原点であったことをよく思い出させてくれた。エンジン・レスポンスの鋭さに驚いた会員も多かった。
その成り立ちからレビンの豪華版だろう、くらいにしか思っていなかった初代セリカ。私をクルマ好きに仕立てた原点というべきモデルだが、乗り込んだ瞬間、これは当時のラグジュアリィだったと再認識した。素っ気ないデザインだったレビンに比べて、ダッシュボードはまさに“計器パネル”というにふさわしい。オリジナルのステアリングにはホーンボタンが6つも付いている。いかにも前を走るのは遅いクルマばかりだと言いたげだ。
私は今もセリカXXを所有する。あまり乗る機会はないけれど、そのドライブ・フィールには慣れ親しんでいるつもりだ。だから今回、初代セリカをあらためてドライブして、すぐにその“つながり”を発見することができた。セリカはレビンに比べると完全にグランド・ツーリングカーである。かなりコンパクトなサイズだけれど、走れば堂々とクルーズする。乗り心地もソフトで、全体的にまったりとした印象だ。エンジンのフケは鋭いけれど、レビンと違ってガンガン回してやろうという気にそもそもならない。初代セリカ(20/30)にはリフトバックという人気モデルもあって、それがのちのXX=スープラへと発展する。
グランドツアラーの進化
40/50(初代XX含む)時代を経て2世代新しいセリカXX(60スープラ)に乗り換えても、走りのコンセプトは変わっていないと思った。もちろん2世代分の進化は大きい。試乗後のアンケートでも会員たちの人気ナンバー1は60だった。新明さんによる、オリジナルに忠実なフル・レストアということもあり、おそらくは想像していたよりずっと走りがモダンで楽しかったからに違いない。
それでもダルマにはスープラの原点があった。確かにあった。クラシック・カー的な乗り味という点でも60世代まではどこか共通している。
その点、次の70スープラからは走りの質感が一気に新しくなった。60をベースに空力を考えて丸みを帯びさせたようなカタチをしているが、ライト・チューンされた試乗車の走りは、50歳で引退した山本昌投手のように未だ十分に現役といった風情だ。特にターボが効いてからの加速フィールは今なお強力だ。
80スープラにいたっては、これはもう、それ以前とは別物のクルマである。けれどもセリカXXらしさはちゃんと残されていて、それはやはり80も良くできたグランド・ツーリングカーであるということだった。
ただし、このときスープラはスポーツカーにもなったのだ。フェラーリやアストン・マーティンといった世界の名だたる高級ブランドのFRモデルが辿った運命と全く同じである。ボディは70がプラスチック製に、60に至っては段ボール製に思えるほどがっちりとして、見てくれさながらに筋肉質だ。そこに自主規制いっぱいの280psターボエンジン(チューンすれば軽く500psを超えていく)を積んでいる。フィールではなく、その加速は今でも十分、現役。
91で惜しむらくは、トヨタのテスト・ドライバー育成にも使われたという80の、そのスポーツカー部分を強調し過ぎた点か。GRスープラも意外に良くできたGTなのだが、如何せん、歴代スープラにはあった“時代の優美さ”に欠けている。
歴代モデルを垂直に試乗すれば、そのモデルの核心が見えてくる。原点のコンセプトが個性的であればあるほど、そして開発者たちがヘリテージに敬意を持って挑戦し続けることで、ロングセラーは生まれるということも分かる。
旧車を嗜むということは、進化の軌跡を肌で感じるということだ。過去へと遡り、現代へと繋がる。そんな感覚を手に入れる。高騰したままのヴィンテージをオイソレと買うわけにはいかない。けれども若い頃リアルに憧れたネオクラシックならまだ間に合う。叶えるなら今だ。
文=西川淳 写真=茂呂幸正 取材協力=KINTO、新明工業、トヨタ博物館
(ENGINE2024年5月号)