画像は森保一監督

 

森保一監督と、広島サッカーファミリーの長年の夢、叶う−

 

 

日本サッカー協会は4月1日午後、6月11日に国内で開催されることが決まっていた「FIFAワールドカップ26アジア2次予選 兼 AFCアジアカップサウジアラビア2027予選」をエディオンピースウイング広島で開催する、と発表した。広島でのW杯予選開催は初めて。

 

 

広島県内でのフル代表(A代表)戦は2004年に広島ビッグアーチ(当時呼称)であったキリンカップのスロバキア戦以来20年ぶりとなる。

 

 

キックオフ時間、テレビ放送、チケット販売に関してはいずれも調整中。日本代表オフィシャルトップパートナーはキリンビール株式会社、キリンビバレッジ株式会社。日本代表オフィシャルサプライヤーはアディダス ジャパン株式会社。

 

 

「アジア2次予選」は3月26日に国外で開催予定だった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)−日本戦が相手の都合で没収試合になったという大きなニュースが2日前の30日に飛び込んできたばかり。0−3のスコアで北朝鮮の敗戦として没収されるとFIFAから日本サッカー協会に通知があった。

 

 

その結果、日本は4戦4勝の勝ち点12で2試合を残してB組突破が確定した。2次予選には36チームが参加。A組からI組までに分かれて、ひと組4チームによるホーム&アウェイ方式のリーグ戦が行われおり、各組の上位2チームが最終予選に進む。

 

 

B組の現在の成績
1位 日本 勝ち点12 4勝 14得点0失点
2位 シリア 勝ち点7 2勝1敗1分け 9得点6失点
3位 北朝鮮 勝ち点3 1勝3敗 6得点6失点
4位 ミャンマー 勝ち点1 1分け3敗 2得点19失点

 

 

日本代表は6月6日、ミャンマーとアウェイで対戦したあと、エディオンスタジアム広島でのシリア戦が2次予選ラストマッチとなる。

 

 

国内でのフル代表戦は日本サッカー協会の収入面やサポーター、スポンサーニーズなどを勘案して4万人以上の収容能力があるスタジアムで開催されることが多い。2万8500人規模のエディオンスタジアム広島での開催は異例となる。

 

 

2023年のフル代表戦は、国立競技場(収容人数約6万8000)、ヨドコウ桜スタジアム(同約2万4500人)、豊田スタジアム(同約4万人)パナソニックスタジアム吹田(同約4万人)、ノエビアスタジアム神戸(同約3万4000人)で行われた。また今年の3月21日にあったW杯2次予選の北朝鮮戦も国立競技場であった。

 

 

一方で、4万人以上が収容できるエディオンスタジアム広島(3月よりホットスタッフフィールド広島)は、19年間、フル代表戦から遠ざかっていた。

 

 

広島広域公園陸上競技場(エディオンスタジアム広島の正式名称)は、1994年の広島アジア大会メーン会場として建設された。

 

 

AFCアジアカップ1992が広島で開催された際、広島アジア大会のリハーサル大会として広島広域公園陸上競技場など県内3会場が使われ、4万人以上の大観衆が見守った決勝戦では日本がサウジアラビアに勝って優勝した。

 

これはまだJリーグが誕生する1年前の話であり、当時、国内にある4万人以上収容のスタジアムは旧国立競技場と神戸ユニバー記念競技場だけだった。

 

 

そのためフル代表戦開催に関して、広島は大きなアドバンテージを手にしていた。だが、リーグ誕生後は国内スタジアム建設が加速し、加えて2002年日韓共催W杯の試合会場に関して広島が最後の最後で落選した一方で、開催県ではスタジアム整備が一気に進んだ。広島は、フル代表戦“後進県”に回った。

 

 

そんな状況に広島県内のサッカー関係者はもちろん、県民・サポーターも危機感を募らせ、」“巻き返しを図るには街中の新サッカースタジアム”…と声を上げ続けた。

 

 

サンフレッチェ広島が初めてJ2での戦いを強いられることになった2003年、同クラブの生みの親である今西和男氏はクラブが設置した「スタジアム推進プロジェクト」の事務局長として新スタジアム建設に向けた動きを具体化させようとした。当時の広島市行政トップは秋葉忠利市長。2003年春にあった2度目の選挙で「サッカースタジアム建設」を公約に掲げて当選した。

 

 

ところが今西和男氏らが秋葉忠利市長の下を訪ねると、返ってきた答えは「私はみなさんのスタジアム建設を手伝うだけ」(今西和男氏)というものだった。

 

 

2011年4月、秋葉市政のバトンを引き継いだのが現在の松井一実市長。しかし「サンフレッチェ広島が3度優勝すればスタジアム建設する」と公言し「秋葉よりひどい」(県内関係者)状況を作り、2015、16年にサンフレッチェ広島がJ1優勝すると、2013年12月4日にあった地元メディアとの懇親会で「サンフレッチェ広島は2位でいい」とまで言い切った。

 

 

実はこの「3度優勝すれば…」の話は、当時のサンフレッチェ広島の指揮官、森保一監督にも懇親の席で直接、松井一実市長から告げられていた。

 

 

国際平和文化都市の首長がサッカー競技と都市基盤の整備・市民への環境作りを“ごっちゃまぜ”!あり得ない話だ。

 

 

だが、森保サンフレッチェ広島は「2位でいい」のひと言を反発のエナジーに換えて、「2位でいい」発言の3日後、カシマスタジアムであった最終戦で鹿島アントラーズに2−0で勝利、首位だった横浜Fマリノスが敗れたためミラクル逆転優勝!さらに森保サンフレッチェは2015年にJリーグチャンピオンシップで頂点に立ち見事、3度目のJ1優勝を果たしたのである。

 

 

それから、どうなったか?

 

 

“約束を守った”形になった森保一監督は「横内コーチ(当時サンフレッチェ広島で森保一監督を支える参謀役)もいますから…」と、チーム強化と並行して新スタジアム建設実現に向け独自のアクションを起こしていた。

 

 

遅々としてスタジアム建設が進まないのはなぜなのか?誰に会って話を聞き、話をすればいいのか?

 

 

広島で大きな会合があれば、当時、外務大臣だった岸田文雄首相にも直談判した。しかし、何をやっても話は進まなかった。

 

 

そこには決して表には出てこない“見せない力”の存在があった。もしかしたら、何等かのタイミングでその“見えない力”について、森保一監督も気づいたかもしれない。

 

 

“新スタジアム構想”は松井市長×湯崎英彦知事のツートップによる”邪な考え“によって、2015年7月以降、スタジアム建設の一番の適地である旧広島市民球場跡地ではなく「広島みなと公園優位」の流れへと引っ張られていた。サンフレッチェ広島がJ1で3度目の優勝を目指すその勢いに抗うかのように、だ。

 

 

危機感を募らせたのはサンフレッチェ広島関係者だけではない。みなと公園にスタジアムが建設されれば港湾物流機能が滞る。よって港湾関係者は声高に反対したし、広島市民の多くやサポーターも、広島みなと公園案には疑問符を投げかけた。もちろん旧広島市民球場跡地への建設を希望していたサンフレッチェ広島も…

 

 

2016年3月3日、サンフレッチェ広島の久保允誉会長は、新サッカースタジアム「Hiroshima Peace Memorial Stadium」(仮称)の旧広島市民球場跡地への建設提案を会見で発表し、同時に広島みなと公園での建設の際にはサンフレッチェ広島は使用しない、との宣言した。松井×湯崎ツートップがいかに回りの声に耳を貸さず突っ走ってきたかがわかる事案となった。

 

 

この時、発表された新スタジアムのパースではスタンドの一部が切り取られて“原爆ドームがピッチからも見える”ようになっていた。今もネット上ではその姿を確認できる。誰が考えたのか?たぶん森保一監督だろう。

 

 

長崎と広島で“育った”森保一監督はサッカーと平和とスポーツと人々の笑顔について、その大原則を常に念頭に置いてピッチに立ってきた。それは東京五輪監督として戦った際も、フル代表を指揮し続ける今も変わらない。

 

 

森保一監督を五輪・代表監督に“指名”した田嶋幸三サッカー協会会長(3月23日で会長任期終了)は、広島の新スタジアム建設に際して広島県サッカー協会との連携を密にしてことあるごとに県・市関係者、サンフレッチェ広島と情報交換して、2022年2月の“新スタジアム着工”に漕ぎつけた。

 

 

田嶋幸三会長は機会があるごとに「新スタジアムでの代表戦開催」に向けた調整を進めたい、と口にしていた。

 

 

その田嶋幸三会長からのバトンを先ごろ受けた宮本恒靖新会長も、そうした過去の流れを把握して、広島における代表戦開催の意味はよく理解してくれていると思いたい。

 

 

2012年、13年、そして15年。就任からの4シーズンで3度のJ1リーグ戦を制した森保一監督だったが、浅野拓磨がシーズン半ばに海外移籍した2016年は6位に終わり、2017年はシーズン半ばでJ2転落の危機に直面した。そして7月、森保一監督はクラブから“クビ”を宣告された。(辞任会見すらなかったから表向きあるような辞任ではない)。3度目のリーグ優勝からわずか1年半後の出来事だった。

 

 

広島の人々やサポーターに挨拶する機会もなく、新たな活躍の場を求めることになった森保一監督は、しかしSAMURI BLUEの風を身にまとうと、2019年11月のキリンチャレンジカップでU−22を率いてエディオンスタジアム広島に乗り込み“広島帰還”を果たした。

 

 

そしていよいよこの6月には、トップチームのSAMRAI BLUEの風を広島の街中に運んでくることになる。「ポイチ」のその“素質”を高校時代に見出した今西和男氏を筆頭に、広島サッカーファミリーのみんなが待ち望んでいたW杯頂点の目指す戦い、平和都市の真ん中でキックオフ…(ひろスポ!取材班&田辺一球)