バドミントンの男子シングルスで、元世界ランキング1位の桃田賢斗(NTT東日本)は18日、国・地域別対抗戦、トマス杯(27日開幕、中国)を最後に日本代表から引退すると発表した。「自分の口から感謝を伝えたい」との桃田自身の意向で都内で会見を開いた。

 黒のスーツ、青のネクタイで起立して一礼し、口を開いた。「代表に選んでいただいてから、約10年間、ほとんどがしんどいことだらけだったけど、すごく貴重な経験をさせてもらいましたし、充実した代表期間だったなと思います。僕自身、たくさんの人に迷惑をおかけして支えていただいた。周りの人たちのサポートや、応援のおかげだと思っています。(代表期間は)とても長いようで短く、トータルして見たら、すごく幸せな時間だったなと思います」と思いを述べた。

 香川で生まれ育ち、中学から福島に移り、富岡一中、富岡高で腕を磨いた。13年にNTT東日本入りし、14年に日本代表に初選出され、国・地域別対抗戦、トマス杯で日本の初優勝に貢献。日本代表として世界の舞台で戦ってきた。15年にシンガポール・オープン男子シングルスでは、スーパーシリーズ日本勢初の頂点に立った。日本の「エース」として歩み、18年、19年世界選手権連覇。18年9月には日本男子シングルスで初めて世界ランキング1位に君臨。21年東京五輪にも出場した。

 20年1月に国際大会で滞在中した、マレーシアで交通事故に遭った。右目の眼窩底(がんかてい)骨折で手術。「シャトルが二重に見える」などと、競技にも影響が出た。日の丸のユニホームを脱ぐ決断をした理由については「交通事故から苦しいこともたくさんありましたし、自分の中で思うようなプレーだったり、試行錯誤してやってきたつもりですけど、気持ちと体のギャップというか。このまま世界一を目指そうというところまでいけないと判断した。また、自分が動けるうちに(子供らと)もっと羽根を打つ時間がほしいなと思って、決意しました」

 22年には思うような結果が出ず、一時は引退も考えたが、昨年5月のパリ五輪選考レースが始まる前に覚悟を決めた。だが、同年秋の杭州アジア大会を腰痛で欠場するなど、レースで出遅れた。今年3月の全英オープン終了時のランキングで日本勢6番手となり、最大2枠の五輪出場権の可能性が消滅した。奈良岡功大(NTT東日本)と西本拳太(ジェイテクト)が権利を確実にした。

 今後については競技人生は継続する。「バドミントンが大好きなんです。(今後は)チームの練習だったり、地域貢献活動も積極的に貢献していきたいですし、バドミントンの楽しさを感じてもらえるイベントをどんどん発信していきたい。バドミントンの活性化じゃないけど、いろんな人にバドミントン、スポーツの楽しさを感じてもらえるような活動をしたいです」と見据えた。波瀾(はらん)万丈の道を走ってきたエースが新たなスタートを切る。

 ◇桃田 賢斗(ももた・けんと)1994年9月1日、香川・三野町(現・三豊市)生まれ。29歳。小学1年で競技を始め、福島・富岡一中、富岡高へ進み、3年時の2012年世界ジュニア選手権で優勝。13年にNTT東日本入社。15年世界選手権で銅メダル。18、19年世界選手権で2連覇。初出場した21年東京五輪は1次リーグ敗退。全日本総合選手権は6度制覇。座右の銘は「感謝」。左利き。175センチ。