1972年札幌五輪スキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で、日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患で札幌市の病院で死去したことが26日、分かった。80歳だった。札幌五輪では日本選手が表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と称され、日本中を沸かせた。葬儀は近親者で行われ、後日、お別れの会を開く。

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 98年長野五輪団体で金メダルに輝いた全日本スキー連盟副会長の原田雅彦さん(55)は「突然の訃報(ふほう)を聞き、悲しい思いでいっぱいです。心からご冥福(めいふく)をお祈りいたします」と哀悼の意を表し、思い出とともに故人をしのんだ。

 95年世界選手権。ノーマルヒルで岡部孝信が金、斎藤浩哉が銀メダルを獲得したが、原田さんは不振で2回目に進めず、銅メダルをつかんだ団体戦もメンバーに入れなかった。

 「落ち込んだ姿を見て声をかけてくれたのが笠谷さんでした。『後輩たちがメダルを取れたのは、お前がV字の先駆者となって道を切り開いたからだ』と言ってくれて…」

 原田さんはその後、自信を取り戻して97年世界選手権のラージヒル金メダル、98年長野五輪団体金メダルへとつなげた。

 「常に寄り添い、たくさんのことを教えていただき、私が途方に暮れた時も力強く励ましてくれたこと、今でも忘れません。そのおかげで成長できたと思っています」

 勇気を与えてくれた元祖レジェンドに感謝の言葉をささげた。

 葛西紀明(1972年生まれ、2014年ソチ五輪個人ラージヒル銀メダリスト)「私が生まれた年の札幌五輪で金メダルに輝かれた笠谷さんは、子供の頃から憧れの存在。日本のジャンプ界を代表する偉大な方の訃報に接し、哀悼の意を表しますとともに心よりご冥福をお祈り致します」

 船木和喜(長野五輪個人ラージヒルで笠谷さん以来の金メダル)「札幌五輪の偉業があったからジャンプが日本で盛んになった。笠谷さんという大きな存在があったから僕たちがいる」

 小林陵侑(22年北京五輪金メダリスト)「ジャンプ界のみならずスキー界をリードしてくれた方と聞いています。ご冥福をお祈りいたします」

 全日本スキー連盟の勝木紀昭会長「(72年札幌五輪は)私も宮の森ジャンプ競技場でこの歴史的瞬間に立ち会いました。今でも鮮明に記憶しています。日本のスキー界に大きな影響を与え、日本のジャンプ選手の快進撃の幕開けだったと思います。引退後は指導者の道に進み、本連盟の理事、競技本部長を務められ、多くの優秀な選手を育成した。笠谷さんのご功績は、日本スキー界の代えがたい宝であります」