ポストコロナウイルス時代となったが、不安定な世界情勢や物価高、円安の継続と業界を取り巻く環境は刻一刻と変化している。そのような中で、IT企業はどのようなかじ取りをしていくのだろうか。各社の責任者に話を聞いた。連載第12回は日本IBMだ。

【連載一覧】

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 日本IBMは「価値共創領域」に力を注いでいる。価値共創領域として掲げているのは、「社会インフラであるITシステム安定稼働」「ハイブリッドクラウドやAIなどのテクノロジーを活用したDXをお客さまと共に推進」「CO2やプラスチック削減などのサステナビリティー・ソリューション」「半導体、量子、AIなどの先端テクノロジーの研究開発と社会実装」「IT/AI人材の育成と活躍の場」の5つだ。

 日本IBMは、なぜこの5つの領域に力を注ぐのか。前編では、その中から半導体/量子/AIといった先端テクノロジーの取り組み、そしてメインフレームへの継続的な取り組みなどについて、山口明夫社長に聞いた。山口社長は、「IBMはテクノロジーカンパニーである」と断言する。

●なぜ「5つの価値共創領域」を定めたのか

―― 日本IBMでは、5つの価値共創領域に力を注いでいます。この狙いを教えてください。

山口 コロナ禍においては、全世界が一斉に行動様式を変えるほどの大きな変化を私たちは経験しました。また、地政学的リスクなどを背景にしたサプライチェーンの混乱、資源およびエネルギー調達に対する不安など、さまざまな業界のお客さまが、多くの課題に直面しています。これらの課題を解決するために当社では「5つの重点領域」を定め、これを価値共創領域に位置づけました。

 これは、2022年に打ち出したのですが、社員やパートナー、お客さまにも、この考え方が理解され、腹落ちしてきた段階にあるといえるのではないでしょうか。日本IBMがどの方向に行こうとしているのかという位置づけが明確になり、社員がこの方向に向かって行動しています。

―― まず「半導体/量子/AIなどの先端テクノロジーの研究開発と社会実装」について聞かせてください。この領域は、日本においても積極的な動きが見られています。

山口 ご指摘のように、当社では半導体/量子/AIなどの領域に力を注いでおり、積極的な投資を行っています。2022年には、今後10年間で半導体や量子コンピュータ、AIなどの研究開発や製造に200億ドル(約3兆円)を投資する計画を発表しています。そして、これらの領域においては、日本が重要な役割を果たすことになります。

 例えば、新たな半導体を事業化するには日本が持つ技術が必要であり、製造装置や素材といったところでも日本の企業が貢献できる部分は大きく、IBMコーポレーションとしても半導体分野に留まらず、日本市場に積極的に投資を行うことを決めています。

―― 半導体については、2nmの半導体製造プロセスの開発に注目が集まっています。日本のRapidusとの協業も一気に加速していますね。

山口 ロードマップの描き方が、かなりのスピード感を持ったものになっており、今はそのスピードに沿って展開が進められています。IBMはRapidusに対して2nmの技術をライセンスするとともに、人材育成を支援します。また、IBMが持つ半導体製造管理ソリューションを提供することも考えています。そして、Rapidusは北海道千歳市に製造拠点を建設し、量産を開始することになります。

 経済安全保障の観点でのメリットや、新たな雇用を創出するという効果がありますが、この取り組みは、日本の半導体産業の復興に大きな影響をおよぼすことになると考えています。振り返ってみますと、日本の半導体産業は、1980年代後半には世界の半導体市場の50%を超えるシェアを持っていましたが、その後競争力を失い、現在では10%弱のシェアに留まっています。しかし今回の取り組みなどを通じて、これを「産業」と呼べる規模にまで成長させ、「半導体産業」が再び日本に創出されることを期待しています。

―― 日本の半導体産業には、30年以上に渡るブランクがあります。このギャップを埋め、キャッチアップすることができるのでしょうか。

山口 日本は、先行する他国をキャッチアップする必要はありません。それには理由があります。Rapidusとやっている2nmの半導体製造プロセスは、新たな世代の半導体です。これまでの世代においては、出遅れたため微細化競争の中に入っていっても勝てません。しかし、今は世代が変わるタイミングに入っています。IBMは次世代トランジスタ技術であるNanosheet(ナノシート)によって、2nmを実現することになります。

 つまり、これまでの世代の半導体をやってきたところも、全くやっていなかったところも、次世代となった時点で同じスタートラインに立つことができます。今だからこそチャンスなんです。

●量子コンピュータの活用で先行する日本

―― 一方で量子コンピュータは今、どんなフェーズに入っていますか。

山口 日本では、2023年10月に127量子ビットのEagleプロセッサを搭載した「IBM Quantum System One」が東京大学で稼働しました。また、2023年12月には、米ニューヨークで開催された「IBM Quantum Summit 2023」で、世界最高性能の量子プロセッサとなるIBM Quantum Heronプロセッサを発表した他、IBM初のモジュール式量子コンピュータ「IBM Quantum System Two」も発表しました。

 量子セントリックなデータセンターの構築にも取り組んでおり、古典コンピュータとつないだ環境が、日本でも構築されることになります。量子コンピュータと古典コンピュータのいいところをそれぞれ生かした適材適所の使い方が模索され、量子コンピュータだけではできなかったこと、古典コンピュータだけではできなかったことが解決できるようになります。

 素材研究や創薬での活用、金融リスク計算などが想定されていますが、日本の企業は量子コンピュータの活用では先行しています。実際、東京大学に設置した量子コンピュータの稼働率は100%を維持しており、世界中で最も稼働率が高い量子コンピュータとなっています。

 日本企業の取り組みは各社の差異化部分になるため、具体的な事例があまり公開されていませんが、私たちが想定している以上の使い方をしています。将来的には、日本においても、IBM Quantum System Twoを設置したいと考えています。

 さらに、2033年にはBlue Jayシステムとして、2000量子ビット、10億ゲートを実現するロードマップを新たに発表しています。エラー訂正による大規模な量子コンピューティングに留まらず、最終的には完全なエラー訂正を組み込んだシステムを構築することができるようになります。

―― IBMは、数年前まで「サービスカンパニー」になることを打ち出していましたが、2023年の動きをみると、「テクノロジーカンパニー」としての色合いを強く感じました。IBMは何の会社なのでしょうか。

山口 「テクノロジーカンパニー」であることを、特に強調するつもりはなかったのですが、結果として、その印象を強く持った方が多かったと思います。私自身は、2019年に日本IBMの社長に就任して以降、IBMが持つテクノロジーの強みについては訴求をしてきたつもりですが、2023年には半導体/量子/生成AIなどにおいて、IBMのテクノロジーに注目が集まったことで、「あれ? サービスカンパニーになるんじゃなかったっけ」とか、「半導体もやるのか」といった声が聞こえてきたのも事実です(笑)。

 IBMの姿を表現すると、以前と変わらず、テクノロジーとサービスの会社だといえます。ただ、米IBMのCEOがジニー・ロメッティだった時代には、ITシステム全体を見ることができるインテグレーターとしての訴求を前面に出したことで、サービスカンパニーという色合いが強くなったといえます。しかし、2020年4月に、研究部門出身のアービンド・クリシュナがCEOに就いて以降は、テクノロジーカンパニーとしての色合いが濃くなっています。

 IBMの立場から見ると、こうした最先端のテクノロジーがないと、5つの価値共創領域で掲げたITシステムの安定稼働やDX、サステナブルは実現できません。また、サービスを提供するにもテクノロジーを組み込むことが重要になります。テクノロジーの重要性は、これまで以上に増しているわけです。ですから、どちらかといえば、IBMはテクノロジーカンパニーであると言ってもらった方が適しているかもしれませんね。

●社会インフラを支えるITシステムの「1丁目1番地」は安定稼働

―― 2023年は、社会インフラを支える他社ITシステムの不具合が大きな問題となりました。日本IBMでは、5つの価値共創領域のうち、「社会インフラであるITシステムの安定稼働」を最初に掲げています。他社で発生している不具合を見て、日本IBMの姿勢にはどんな変化がありますか。

山口 安定稼働は当然のことではありますが、これを実現するには大変な努力を伴います。私自身、金融分野のシステム開発や保守を担当してきましたから、その大変さは身に染みて理解しています。

 さらに、今のITシステムはさまざまなものとつながったり、あらゆるところで活用されたりしているため、1つのシステムに問題が起きると、その影響範囲が大きくなるということも起きています。中には、ITシステムの不具合が人命にかかわるような場合もあります。

 安定稼働は最も重視しなくてはならない要件になっており、社会インフラを支えるITシステムにとっては「1丁目1番地」の要件です。だからこそ、当社では価値共創領域の1番目に「社会インフラであるITシステム安定稼働の実現」を掲げました。

 まず毎日確認しているのは、社員が安全に仕事できる環境が整っているか、お客さまのシステムに問題が発生していないかという点であり、安定稼働をもっと深掘りして強固なものにしていくという努力は怠りません。

 ただ、システムが複雑になり、人手だけでは安定稼働の維持が難しくなってきているのも確かです。AIなどの新たなテクロジーを活用して、安定稼働を支えることも必要になってきています。また、セキュリティをより重視する必要があります。日本はまだセキュリティが弱い部分がありますから、これも永遠の課題として取り組んでいきます。

―― IBMは、メインフレームに対して、継続的に投資する姿勢を打ち出していますね。

山口 メインフレームについては、3世代先のロードマップまで明確にしています。メインフレームは、IBMにとって重要な事業として投資を継続し、長期のロードマップをもとに、お客さまに対して、今後も安心して使ってもらえる環境を提供します。

 IBMのメインフレームは、日本のコンピュータメーカーのメインフレームとは全く異なるものであり、正直なところ、ひとくくりでまとめてほしくはないという気持ちがあります。例を挙げると、IBMの最新メインフレームには7nmプロセスのIBM Telumプロセッサを搭載しており、オンチップAIアクセラレータや耐量子暗号技術なども搭載しています。最新のテクノロジーが搭載され、年間出荷処理能力は過去10年間で3.5倍以上に拡大しています。

 確かに、メインフレーム上で動作しているアプリケーションはレガシーではありますが、30年前にCOBOLなどによって開発されたアプリケーションが最新のテクノロジーの上で動作させることができる上位互換性を保っています。

 また、メインフレームではエンジニアの高齢化によって、COBOLで開発できる人がいなくなるといったことが、継続性や維持の観点で問題視されてきましたが、生成AIの登場によってアプリケーションが言語に依存しないという状況が生まれようとしています。

 例えば、生成AIを活用することでCOBOLからJavaへと変換でき、その品質も劇的に進化しています。これまで課題とされていたことが、新たなテクノロジーの力によって解決されようとしているわけです。これからはCOBOL人材の不足は課題ではなくなり、その知識も不要になります。求められる人材は、作られたものが正しいかどうかを確認するスキルを持った専門家ということになります。

 ※後日公開予定のインタビュー後編に続く。