は志本の店主・橋本 憲吾さんにインタビュー
豪雨災害で大きな被害を受けましたが、約2年半をかけて再開にこぎつけた菓匠庵 は志本。
店主の橋本憲吾(はしもと けんご)さんに話しを聞きました。
インタビューは2021年3月の初回取材時に行った内容を掲載しています。
金融業界から和菓子店を手伝うことに……
──開業の経緯を知りたい。
橋本(敬称略)──
当店は、私の兄が開業しました。
私のおじが大阪で和菓子職人をしていたので、兄はおじを頼って、大阪のおじの店で働いていたんです。
私も大阪に出ていましたが、兄と違ってまったく別分野の金融機関で働いていました。
あるとき家庭の事情で、私も兄も地元・真備町に戻ることになったんです。
当然、仕事を辞めることになったんですが、兄はこちらでも和菓子の仕事をしたかったんですよ。
だから兄は、自分で和菓子店を始めることに決めたんです。
そのときに兄から、私も和菓子店を手伝うように頼まれました。
私は和菓子に興味はなく、別の仕事を探すつもりだったので困りましたね(笑)。
結局、兄の情熱に負けて手伝うことにしました。
そうして昭和56年(1981年)、真備町の有井に「京菓子処 は志本」としてオープン。
昭和61年(1986年)に今の場所に移転し「菓匠庵 は志本」と改称しました。
──金融機関と和菓子店では、まったくやることが違って大変だったのでは?
橋本──
そりゃあ、大変でしたよ(笑)。
店は、兄夫妻と私の3人で運営することになりました。
義姉は接客担当だったので、私も和菓子づくりをしなければいけません。
兄にいろいろと教えてもらいながら、なんとか続けていきました。
長年やっていくと得意なことも生まれ、カステラなどの焼き菓子は兄よりも得意になりましたね。
しかし残念ながら、兄も義姉も亡くなってしまいました。
今は私一人で店を切り盛りしています。
一人での店舗運営に慣れてきた矢先に豪雨災害で被災
──「平成30年7月豪雨」で被災したときのことを教えてほしい。
橋本──
「平成30年7月豪雨」が発生したのは、ちょうど義姉が亡くなって私一人になり、一人での店舗運営に慣れてきたときでした。
菓子づくりや店舗運営に必要な道具・機械類は、ほぼすべてダメになりました。
店内も泥だらけ、ゴミだらけ。
清掃・片付けも最初は親族・知人総出でおこないましたが、細かい作業は私一人で続けたので、完全に片付けが終わるまで半年以上かかりましたかね。
最初は絶望して、先のことなどは考えられませんでした。
でも近所のかたなどから「再開はいつ?」「早く和菓子が食べたい」など、応援する声に支えられて被災から半年経ったころには、再開する気持ちが強かったですね。
ただ店の片付けが終わっても、臭いがなかなか取れません。
衛生面の問題もありますし、店の再開は長丁場になると覚悟しました。
そんななか被災したいろいろな店や施設が再開を始めていき、正直なところあせりもありましたね。
「は志本は、再開をあきらめたのではないか?」と心配もされました。
しかし、幸いなことに今は私一人の運営。
私の子供たちも、社会人として独立して自分たちで生活しています。
だから、あせる必要はないと気づきました。
やるべきことをひとつずつやっていきながら、淡々と準備を進めていったんですよ。
豪雨での被災から2年半かけて復活
──店が再開したときは?
橋本──
店が再開したのは、令和2年(2020年)12月5日。
その日をねらっていたのではなく、さきほどのように、やるべき準備を順におこなっていって、再開できるようになったのがたまたま令和2年12月になったんです。
被災から約2年半かかりました。
当初は11月の予定だったんですが、予定外のことも発生しましてズレ込んだんです。
再開のときは予想以上のお客様がお越しになり、驚きました。
だから2日目からは予定以上に仕込みをするようにしたので大変でしたが、うれしい悲鳴です。
再開のアナウンスは、私の子供や知人たちがSNS等で拡散してくれました。
加えて「再開のことは知らなくて、たまたま店頭の国道を通っていたら、店が開いていたので寄った」というお客様が意外にも多くて……。
前を通りながら、店のことを気にしてくれていたかたが多かったんだなぁと、ありがたい気持ちになりました。
人気商品・わらび餅の復活と「生き甲斐」としての店舗運営が目標
──今後の展望ややってみたいことがあれば、教えてほしい。
橋本──
当面の目標は当店の人気商品のひとつ、わらび餅の復活。
被災してわらび餅をつくる機械が壊れたので、これを早く導入したいですね。
今のところわらび餅の販売再開は未定なんですが、できればわらび餅が一番売れる夏場までに再開できれば。
当店のわらび餅は加熱処理をするので、年中食べられる通年商品。
冬でも人気があるんですよ。
贈答用としての需要もあるので、お客様の希望に応えたいですね。
あとの目標は、「は志本」を私の人生の「生き甲斐」として運営していくことです。
兄は生前に「仕事ややり甲斐をなくしたら生きづらくなる。和菓子職人は細やかな作業が多いのでボケない。生き甲斐として続けていくには最高だ」と語っていました。
実際に被災して2年半ほど仕事をしていないと、体がおかしくなりそうで、生活のリズムがイマイチでした。
身をもって兄の言葉を体感しましたね。
今は子供たちも独立して、私と妻の生活ができれば十分。
だから無理して店を運営するのではなく、残りの人生を楽しむための「生き甲斐」として和菓子づくりや店の運営を続けていくのが目標ですね。
は志本は魅力的な商品がそろう、地域に根差した和菓子店
実は私の実家では、法事や講で出す菓子を は志本で買っています。
なじみのある店だから再開するのかどうか心配でしたが、無事再開してうれしい限りです。
早く人気のわらび餅を食べたくて、今から待ち遠しく思います。
ぜひ、は志本のこだわりの和菓子を食べてみてください。
著者:アサノ ・ヨウスケ