兵庫県立歴史博物館と東京大史料編纂所の村井祐樹准教授は8日、織田信長側近から羽柴(豊臣)秀吉に宛てられた返書など35点が見つかったと発表した。秀吉は主君信長の歓心を買おうと、側近に戦果を逐一送って、自賛していたとみられる。そのたびに「さすがの御手柄」「天下で大変な評判」などと持ち上げる返書を出しながらも信長側近らが困惑していた様子がうかがえるという。

 発見された書状などから村井准教授は、信長を「部下に常に報告などを求める中小企業の社長」、秀吉を「聞いてもいない手柄を自慢する嫌な同僚」と両者の性格を分析している。

 村井准教授によると、21点は秀吉宛ての返書。書状からは、現在の兵庫県三木市で織田信長と、信長から離反した別所長治が戦った三木合戦(1578〜80年)や、鳥取城(鳥取市)の兵糧攻め(81年)の詳細が明らかになるとともに、秀吉が信長へ逐一戦況を報告していたと推測される。側近に功績を自賛する書状を大量に送ることで、信長の耳にも入ることを狙った工作とみられるという。