流しのタクシーが捕まらないのも「宜なるかな」
全国には20万台超、東京だけでも4万台超が走っているタクシー。都市と都市をつなぐ高速道路、大動脈たる幹線道路、抜け道の裏ルートや、数々の住宅が立ち並ぶ路地裏まで、国内のあらゆる道を知り尽くした運転手たちが「できれば避けたい」と考えるまち、シチュエーションとはどのようなものでしょうか。熟練ドライバーの筆者が、これまでの経験を基に「避けた客・い街・日付」などを語ります。
「書き入れ時」と思いきや避けたい大規模イベント
東京都内には大きな花火大会が多くあります。江戸川河川敷の葛飾公園納涼花火大会、2万発も打ちあがる隅田川花火大会、音楽イベントもある神宮外苑花火大会は、人出が100万人に膨れ上がる。タクシーにして盛れば客は入れ食い状態です。
しかし実は、ほとんどの運転手はこうした会場付近へは行きたがりません。近くへ入ると、交通規制による大渋滞と人混みの混雑で客を運ぶどころじゃなくなるからです。仮に客を乗せたとしても、なかなか周辺を抜け出せず疲れ切ってイライラした客からのクレームにつながる例もあると聞きます。
こうした事情を知らない新人は勇んで現地へ飛び込んでいって、結局のところ稼げないという失敗を経験し一人前となります。要は、商売にならない。都内どこでも客だらけだから、わざわざそんな危ない区域に行かなくても、となるのです。
そもそも、車での来場を禁止し公共交通機関を利用するよう促している大会は多いため、当然タクシーでの移動も不向きと言えます。
家族連れで花火を見たければ、帰路のタクシーなど基本的には当てにせず、できるだけラッシュを避けて電車に乗るか、夜空に打ち上がる大輪の花火を見ながら1駅2駅のんびり歩いてみてはどうでしょうか。
このような大規模イベントの日付やスケジュールは、タクシー運転手は当然ながら頭に入れて車を走らせています。
全国ニュースにもなる「例のイベント」は近寄らない
若者カルチャーの発信地、渋谷ハチ公前のスクランブル交差点。ご存じの通り常に大勢が行き交う場所です。最近では訪日外国人客にもますます人気のスポットになっているとか。
つい数年前では、10月のハロウィーンイベントのたびにお祭り騒ぎが起きて逮捕者まで出たことは全国的にも有名です。若者がわいわい楽しむだけならば何の問題もありませんが、ゴミを散らかし、公衆で酩酊(めいてい)し、通行する車をひっくり返すなどの暴徒化は感心できません。
当然のことながら、タクシーもハロウィーン客は敬遠しています。この日に限っては、先述の花火大会と同じく、もしくはそれ以上にトラブルが起きかねない状況だからです。
うっかり区域へ入ってしまい、その場からどう逃げ出すかと思案して、ここだけの話“偽装回送”をやって何とか渋谷を離れたなんて話もしばしば聞きました。
昭和の日本を体現した町、今はなき情景の思い出
これは30年以上前、昭和の匂いがまだ残る平成初期、簡易宿泊所が連なる一画……日本3大ドヤ街(※)の一つと呼ばれる山谷地区の話です(※「ドヤ」という言葉は不快用語とされているが、今回は時代の風景を描写するためあえて使用する)。
当時、タクシーはこの山谷地区には立ち入らないという“暗黙のルール”がありました。
「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ……」という歌い出し、放送禁止歌にもなった岡林信康氏「山谷ブルース」は、かつての情景を繊細に表していたのでしょう。今聴いても悲しい哀切が漂います
客を降ろした後、たまたま山谷を通り掛かると、朝から男性たちが公園で酒盛りをしていたり、老人が路上にぼんやり顔で座っていたりしました。
筆者が自販機の横に車を止めて休んでいると、通りすがりの男性に「あんた、こんなとこウロウロしていても当たり屋か乗り逃げしかいないよ。他に行った方がいいよ」と声を掛けられたのが懐かしいです。
変わりゆく街、人、そしてタクシー
令和の現代、山谷地域は日雇い労働市場(寄せ場)が縮小し、この町に寝泊まりする人々も高齢化した。昭和30年代には1万5000人いたとれさる宿泊者数も、2021年には3000人以下まで減少したといいます。
かつて多くの労働者たちを受け入れた「ドヤ」は、今や安く泊まれる簡易ホテルとして訪日外国人観光客に人気のスポットとなり、国際色豊かになった町は明るささえ感じさせます。
今やタクシーも当たり前に流し営業をするエリアですし、1日の稼ぎもそこそこになります。タクシーと街の関係も、時代とともに移り変わっていくのを感じます。
(橋本英男)