神戸市の一部エリアのみで約60年間親しまれている清涼飲料「アップル」に、新作の「アップルサイダー」が誕生して下町がざわついているらしい。なぜ今さら新作を発売したのか? 製造する「兵庫鉱泉所」(神戸市長田区)で話を訊いた。

◆ スタンスは「なるべく話題にして欲しくない」

神戸市長田区を中心に販売されている「アップル」は、みかんのようなさっぱりした酸味がある黄色いドリンク。伊丹や大阪で「みかん水」として売られているものとほぼ同じものだ。創業者の父親から同社を引き継いだ代表の秋田健次さんは、「なんでアップルになったのかはわからない。神戸はずっとアップルで、僕は逆にみかん水を知らなかったから」と話す。

アップルはお好み焼き屋や銭湯、駄菓子屋などで売られており、子どもだけでなく大人も飲む地元では当たり前にあるドリンクだ。販売地域が限定されている理由は、アップルの容器が洗浄して繰り返し使うリターナブル瓶だから。

全国に広げるのではなく、秋田さん自らが配達と空き瓶の回収ができる範囲にこだわる、いわゆる「地場産業」。「なるべく取材は受けたくないんだけどね(笑)」と秋田さんは笑い、このテリトリー内だからこそ成り立つ商売だという。

◆ とある神戸市職員が立ち上がる「下町を驚かせたい」

ある日そんな秋田さんに、古い瓶などを切り口に兵庫県の炭酸飲料文化を発信する「炭酸飲料愛好会」の志方功一さん(神戸市職員でもある)が「アップルサイダー」を提案。「神戸市内で鉱泉所と名のつくのは、『兵庫鉱泉所』さんだけになっています。兵庫県ゆかりの炭酸をもっと知ってもらいたいというのがあって。ご当地サイダーのように新たに作り出すのではなく、今あるものをベースに炭酸飲料を作るならアップルが良いのではないかと」

「それにアップルにサイダーができたら、下町が驚くんじゃないかと思って秋田さんにお願いしました」と、志方さんは目を輝かせて経緯を話す。

最初は「ややこしい」から作らないと言った秋田さんも、志方さんの猛アプローチにより「昔から神戸の下町にいる人間しか知らないアップルを、もっとたくさんの人に知ってもらえるなら」と炭酸入りアップルの製造に踏み切る。

父親から引き継ぐアップルの原液に炭酸を入れて完成したアップルサイダーは、アップルよりも甘味が少なめで大人も飲みやすく、焼酎を割る人もいるという。2023年9月に販売がスタートし、まだ夏を迎えていないがすでに売り上げがプラスになってきていると秋田さんが言うと、販路開拓も担う志方さんもうれしそうだ。

◆「おいしいって言ってくれるのが一番うれしい」(秋田さん)

「やっぱり飲んだ人がおいしいって言ってくれるのが一番うれしい。なくなったら困るって言ってくれるのも」と話す秋田さんは、現在67歳。後継者はいないが、「コロナの影響で借金もあるし、新しいアップルサイダーも製造しながら、まだしばらくはがんばりますか」と笑顔を見せる。

取材・文・写真/太田浩子