太平洋戦争中、米軍の魚雷攻撃で3700人が犠牲に…「富山丸」沈没80年、遺族高齢化で最後の海上慰霊祭 74人が献花、冥福祈る 徳之島沖
午前8時半ごろ、遺族を乗せたマルエーフェリー「フェリー波之上」は、当時火の海と化した沈没海域付近を旋回。長い汽笛に合わせて一般乗客も一緒に黙とうをささげ、菊の花を海に投じた。
父を亡くした姶良市加治木の花井ミエ子さん(82)と日置市伊集院に住む妹の久木崎ヒサ子さん(80)は「父の記憶はほとんどなく、年に一度の慰霊祭が父との接点だった。最後になるのは寂しい」。穏やかな海に目を落とした。
遺族らは徳之島町亀徳新港で下船し、慰霊碑のある「なごみの岬公園」で町主催の式典に参列。垂水市出身の川南廣展さん(88)=東京都町田市=は父が犠牲になった。「今回は犠牲者の孫15人、ひ孫3人が参加した。次の世代が関心を持ってくれ、心強かった。この悲惨な出来事を繰り返さないためにどう語り継ぐかが今後の課題」。神戸市の本山第一小学校6年、宮田有里さんは「話には聞いていたが実際に来てひいおじいちゃんの生きた証しを肌で感じられた」と話した。
18日は瀬戸内町古仁屋で供養祭がある。鹿児島県富山丸遺族会の平均年齢は約80歳。遺族会全国連合会は高齢化などを理由に2013年に開いた50回目の慰霊祭で解散した。海上慰霊祭や式典は各県の遺族会や徳之島町が引き継いで開催している。