乃木坂46、1期生の高山一実が小説家デビューを果たした同名青春小説をアニメーション映画化した『トラペジウム』が公開中だ。本作は自分の力で仲間を集め、アイドルを目指す高校生、東ゆう(声:結川あさき)の物語。原作者の高山自身もシナリオなどの映画制作に深く関わり、彼女でなければ描けないテーマ「アイドルが放つ輝き」とはなんなのか?「アイドル」とはなんなのか?という“想い”をさらに追求した。

作家・アイドル評論家として、1980年代から“新人類の旗手”と呼ばれ、多彩なメディアで活動してきた中森明夫氏が、「夢中になって読んだ」という小説「トラペジウム」。完成したばかりの映画を鑑賞するや、「東ゆうは、このような顔をして、このような声でしゃべり、このようなファッションと仕草で、このように歌い踊るべきだったのだ…と目を見張る」と賛辞を寄せてくれた。「おたく」という言葉の名付け親として知られ、昨年は自伝的アイドル論「推す力 人生をかけたアイドル論」(集英社新書)も刊行した中森明夫が『トラペジウム』を評価する理由とは?レビューという形でその想いをたっぷりと語ってくれた。

■書店で偶然手にしたアイドル小説に衝撃が走る…

2018年秋、書店で手に取った一冊の本。女の子の顔のイラストがかわいい……表紙をめくる、と。

<アイドル文化が日本に生まれてからもう随分と経つ。数年に一回、ブームが波を打ちに来るが、いまは引いている時代のように感じた。東ゆうにはどうでもいいことだった>

おっ! と思わず、声を上げた。

私はアイドル評論家だ。<アイドル文化>について語ることが仕事である。そんな自分の言説を「どうでもいい」と否定された、いきなり本の冒頭で頬を平手打ちされたかのような「痛み」を感じたのだ。

高山一実 「トラペジウム」<乃木坂46メンバー 初小説 現役トップアイドルが描く アイドルを目指す女の子の10年間>と帯文にある。

へぇ〜、と思った。即、購入したのだ。その夜、ページをめくる手が止まらなくなる。夢中になって読んだ。一気に読みきった。何これ?めちゃめちゃ面白いじゃん!

高山一実の名前は知っていた。乃木坂46の第1期メンバーである。AKB48の公式ライバルとして2011年夏に結成され、いまやトップ人気となった”坂道系”の元祖グループに、こんな才能を持つ女子アイドルが存在していたとは! ……驚きだった。

■東西南北の美少女を探して回るストーリーテリングのうまさ

小説「トラペジウム」の主人公は、東ゆう。アイドル志望の高校1年生の女の子だ。「絶対にアイドルになる」ための4箇条を持っている。

①SNSはやらない
②彼氏は作らない
③学校では目立たない
④東西南北の美少女を仲間にする

東ゆうは、各方面の学校に出向いて美少女をスカウトする。そうして自らの理想のアイドルグループを作ろうとするのである。

この物語設定が素晴らしい。私は即座に黒澤明監督の映画『七人の侍』(54)を想起した。野武士の略奪に苦しむ百姓たちが、7人の侍を雇い、村を守ろうとする物語だ。この作品は大ヒットして、ハリウッドで西部劇『荒野の七人』(60)としてリメイクされた。特異な個性を持つ魅力的な7人の侍たちが、次々とスカウトされてゆく前半部が面白い。「トラペジウム」も同様である。

南のお嬢さま女子高で、財閥令嬢の華鳥蘭子をスカウトする。「エースをねらえ!」のお蝶夫人を実写化したようなゴージャス女子と、東ゆうはいきなりテニス対決することに……(このへんはちょっとマンガ的な展開である)。

西の高等専門学校では、ロボコン部に在籍する理系美少女・大河くるみをゲット!小柄でダボッとした服を着て、ロリっぽいルックスと仕草と口調がなんとも愛らしい。

主人公の東に、南と西が加わり、北の女の子(=亀井美嘉)が不意撃ちのように現れる(このへんの物語展開は心憎いまでに上手い!)。

おそらく作家・高山一実は『七人の侍』の影響を受けて『トラペジウム』の物語造型を行ったのではないか?そう確信するのは、この小説の舞台が城下町であり、その中心には翁琉城がそびえ立っているからである。物語の中盤では、東西南北の美少女による”城攻め”のエピソードとなる。そうなのだ、実はこれは少女たちに託した現代の時代劇ー「4人のアイドル侍」の物語なのである。

さらに言えば、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」をも連想させる。江戸時代後期に書き続けられた戯作文学の大作だ。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の数珠玉を持つ8人の若者たち(八犬士)が集い、戦う物語である。『七人の侍』も『南総里見八犬伝』も、私たち日本人を熱狂させた物語だ。その骨法を知り尽くすストーリーテイリングの才を、「トラペジウム」の作者は持ち合わせているようである。

■アイドル視点でアイドルを描く画期的な物語

実は、アイドルを物語にするのは難しい。近年では芥川賞を受賞した宇佐美りんの小説「推し、燃ゆ」や、映画化された劔樹人のコミック「あの頃。」が話題になった。しかし、それらはファンサイドの視線によるアイドル物語なのである。あくまでアイドルそれ自身の内面は描かれない。

「トラペジウム」が画期的なのは、一人称で内面からアイドルを描いて、初めて成功したアイドル小説となりえたことである。それはそうだろう。著者の高山一実が現役のトップアイドルなのだから……と思うかもしれない。しかし、違う。アイドルがアイドルの内面を描く優れた小説を書けるわけではない。いや、かえって難しい。アイドルとは徹底して(ファンやプロデューサーの)客体となりうる才能を必要とする。そこでは主体的に自身の物語を紡ぐことが困難なのだ。

実際、「トラペジウム」は高山一実の体験を基にした私小説ではない。高山はメジャーグループ・乃木坂46のメンバーとして長く活躍し続けた。他方、『トラペジウム』の主人公・東ゆうはアイドル未満の少女で、彼女が(物語のなかで)アイドルとして輝くのはほんの一瞬のことである。両者は、あまりにも対照的だ。

つまり「トラペジウム」は、作家・高山一実によって構築された完全な虚構の物語なのだ。しかし……。

「東さんはどうしてそこまでしてアイドルになりたいんだい?」
「初めてアイドルを見た時思ったの。人間って光るんだって。」

このくだりを読んだ時、ハッとした。これは主人公・東ゆうの言葉であると同時に、まぎれもなくかつてアイドルになりたかった少女・高山一実の肉声ではないか?この肉声がリアルに聞こえるからこそ、「トラペジウム」はよくできた物語であることを超えて、私たちの心を撃つのだ。

■目を見張る…東西南北の美少女が歌って踊る姿

「トラペジウム」がアニメ映画になると聞いて、私は危惧を持った。アイドルを主題としたアニメ作品では近年「推しの子」が大ヒットしている。しかし、それは同題の人気マンガが原作だ。絵としてのキャラクターがあらかじめ存在する。他方、「トラペジウム」は小説なのだ。言葉のみによって作られている。それを絵にして動かすことは大変なことだろう。

しかも、一人称の物語だ。映像作品に一人称の表現は存在しない。実のところ「トラペジウム」の最大の魅力は、アイドル志望の少女の内面、心の内を一人称で語ったところにあるのだから。

アニメ映画版『トラペジウム』を観た。感動した。東ゆうは、このような顔をして、このような声でしゃべり、このようなファッションと仕草で、このように歌い踊るべきだったのだ……と目を見張る。西、南、北の女の子も同様だ。「ぼっち・ざ・ろっく!」「SPY×FAMILY」を手掛けたスタジオCloverWorksの制作だ。当然、技術的には一級品である。

いや、しかし、それだけではない。原作者・高山一実が脚本から音楽まで全面的に協力したという。高山は優れた小説家であるのみではなく、日本で人気ナンバーワンの女子アイドルグループ・乃木坂46の創設時から10年間も活動した、トップアイドルなのだ。そんな彼女の体験から得た知見や美意識や息づかいや、何よりその情熱がこの映画には吹き込まれている。

ことに小説版では見ることも聴くことも叶わなかった、アイドル東西南北の少女たちが歌い躍るステージのシーンは圧巻だ! これこそアニメ『トラペジウム』のみの魅力であり、輝きである。

■「トラペジウム」の意味が原作者、高山一実と重なる

ところで、「トラペジウム」とは何だろう?小説にも映画にも、その説明はない。そこで小説を読んだ30万人の読者たちは、みんなググったはずだ。すると……。

トラペジウム(trapezium)
①不等辺四辺形。どの二つの辺も平行でない四角形。②オリオン星雲のなかにある四つの重星。

へぇ〜、と思った。不ぞろいの四角形であると同時に、四つの重なる星。すごい!あまりにも出来すぎている。これは誰か編集者か、プロデューサー(秋元康?)の入れ知恵なんじゃないか、と私は疑った。

ところが……。文庫版「トラペジウム」のあとがきを読んだら、作者自身の高校時代の仲間たちについて書いていた。卒業後、OLや古文の教師、テレビ局の政治部に勤める3人の女子たちと、アイドルになった彼女の10年間について。

ああ、そうか、自身を含む4人の仲間たちの経験がこの物語のタイトルへとまっすぐ繋がっていたのだな(先の邪推を私は恥じる)。そう、高山一実は自分自身の「トラペジウム」を生きたのだ。

アイドルという光る人間を見て、憧れた少女がいた。そうして自身も光に化身した。やがて彼女はその光を素晴らしい物語に封じ込めた。それから6年を経て、その物語は声と姿を得て、いま、アニメ作品として歌い、踊り出した。その光は、さらなる次の世代の少女たちを憧れさせ、新たな光を生むだろう。

6年前、本の冒頭でアイドル評論家の頬を平手打ちした、東ゆうよ……。
いや、その物語の背後にいた、高山一実よ。

どうして「トラペジウム」の達成を、<アイドル文化>の勝利と呼んではいけない理由があるだろう?

文/中森明夫