能登半島地震で被災しながらも、元日以降営業を続けるスーパーが石川県輪島市町野町にあります。震災から3か月余りが経ち住民のニーズも変わる中、店では19日移動販売車の試験運行を行いました。

もとやスーパー・本谷一知さん「避難所では話せない事もある。そういう意味では(私たちは)モノを売るだけではないというのを再認識した。言葉では言っていたけど(被災して)やっぱり本当にその通りやなと」

輪島市町野町で元日から営業を続ける「もとやスーパー」は、この地域で唯一のスーパーです。

輪島市町野町では一軒しかないスーパー

震災から1か月が経ったころ、当時は電気も水道もない中で手探りの営業でした。店の人は、再会した客に「でも元気で良かった!心配した!」声をかけます。時には懐中電灯で商品を探しながらも、住民のために店を開け続けてきました。

2月の店内の様子 停電の中営業を続けた

店主・本谷一郎さん「もしこの店が経営がいかなくなって無くなったら、ここに住む方はどうしますか。特にお年寄りとか。ここの平均は60歳以上。それを考えたら、私たちが頑張らないといけない」

あれから2か月。

店には電気が戻り、少しずつ生鮮食品も並ぶようになってきました。しかし、本谷さんが店の片隅に布団を引いて寝泊まりする生活は変わっていません。

4月になった被災地…変わらない部分と、変わった部分

本谷一郎さん「ベッドがこれなんです。ここに一応寝泊まりして。もう少し時間がかかるでしょうね。まともに商売するには」

MRO


本谷さんは「地域に育てられたら恩返しを」と、営業へのこだわりを見せます。

本谷一郎さん「地震が教えてくれたのは何だと思う?家族の和、相手を思いやる心を教えてくれた。これから恩返しするんですよ、私らは。この店を中心にして」

人とのつながりを信じて、息子の一知さんが思い描いたのが、取り止めていた移動販売でした。

中断していた移動販売を再開へ

一知さんは「畑する、田んぼするにしても「さあやるぞ!」となっていない。心の復興がキーになるのではないかなと私は思う」と話します。

息子の一知さん

車の棚には生鮮食品や酒、菓子などを取りそろえ、移動販売車は輪島市南志見地区の仮設住宅に向かいました。

今は“試験販売”だけど…「命のつなぎ」待ちわびた住民たち

車のスピーカー「仮設住宅の皆様、ただいまから食品の詰め放題をはじめます」

がれきを避けて進む移動販売車

本谷一知さん「いらっしいらっし!全部詰め放題!千円だけでいいし。わぁっと詰めていってくだ!」
客「ゴミ袋は? 」
一知さん「店に行けばある、今度持ってきてあげる」
客「リポビタンももらっていいが?」
一知さん「いいよ!」

明るく接客する一知さん

客「誠意でやって、もとやスーパーが潰れんか心配」
一知さん「南志見の人のためなら別に」

利用した客からは「来るのずっと楽しみにしてて、やっと来てくれた。命のつなぎ」と言った声や「(仮設住宅に入っても)買いに行かれんもん。車もないし、私は独りぼっちやから。移動販売はきょうが初めてやから、嬉しいやら…どういっていいやら訳わからない」といった歓迎の声が聞かれました。

少しずつでも日常を取り戻すために。

人だかりになった移動販売車

従業員が避難先から戻っていないこともあり、定期的な移動販売には踏み出せない状態ですが、少しづつでも日常を取り戻すために、地域で唯一のスーパーが住民たちの心に寄り添います。