前回のビジネスメールの前段階として、ビジネスで出す手紙がある。ビジネスに限らないが、そもそも手紙文そのものが規則だらけで面倒くさい。
拝啓とか、謹啓とか…わ! 今この言葉をワードで打った時点で、自動的に末尾に「敬具」という言葉が出てきた!
敬具
ワードってそんな機能があるのか。知らなかった。今までそういう手紙文を書いてこなかったことがバレて、ちょっと恥ずかしい。確かに、「拝啓」とか「謹啓」という頭語には「敬具」という結語。女の人の場合は「かしこ」。頭語が「前略」なら結語は「草々」とか…手紙文にはルールが多い。それが自動的に挿入されれば便利ということなのだろう。
しかし、ルールというものは最初は意味があってできるのだが、出来上がってしまえば誰も意味なんか考えなくなる。だって、「謹啓」の意味とか「敬具」の意味とか、あなたはわかっていますか?

今あわてて調べると、敬具とは「つつしんで申し上げました」という意味らしい。なるほど、尊敬の「敬」と意見具申の「具」か。知らなかったなあ。教養のなさを露呈してしまった。しかし、敬具を書かない無知も、意味もわからず敬具と書く無知も、自動挿入されている無知も、みんな同じようなものかもしれない。
 今回は典型的なビジネス手紙のルールだ。冒頭は、たいていこう始まる。

清祥・清栄・隆盛・隆昌:吉祥文字テクニック

どれも、ビジネス文書でよく見る二字熟語だ。縁起がよさそうな意味だろうと予測はつくが、違いがよくわからない。

清祥…健康で暮らしていること。
 清栄…健康で繁栄していること。
 隆盛…西郷隆盛のことではない。勢いが盛んであること。
 隆昌…中華料理の店名ではない。勢いが盛んであること。

どれもたいして違いはなかった…。こういうめでたく縁起がいい漢字のことを「吉祥文字」という。清・隆・祥・栄・盛・昌、ほかにも瑞・繁・寿・喜・賀・鳳・豊・禄・福・慶…などたくさんある。いっぱい並べていくと、だんだん中華料理屋の店内みたいな雰囲気になってくる。
 要するにこの文章は、吉祥文字を並べて縁起のいいムードを伝えているだけ。たいして意味はない。ならば、吉祥文字群の中から任意の二文字を選んでも、ビジネス会話は成立するのではないか?

「貴社ますますご祥盛のこととお喜び申し上げます」
 「貴社ますますご清鳳のこととお喜び申し上げます」

まったく違和感がない。そんな熟語があるのかどうか知らないが。いや、二文字より三文字。吉祥文字が多い方が、より縁起がいいのではないか?

「貴社ますますご清栄隆のこととお喜び申し上げます」
 「貴社ますますご隆賀豊のこととお喜び申し上げます」

いけるぞ。意味はまったく不明で、おそらくこんな言葉はないだろうが、より栄えているようには感じる。

ますます〜ことと:推測のサンドイッチ

ご清祥やご隆盛といった吉祥熟語に目がいきがちだが、実はこのビジネス会話最大のポイントは、「ますます〜ことと」というフレーズで前後からサンドイッチしている点にある。「ますます」は、以前より増してということ。これは誰でもわかる。「ますますご隆盛」は、「以前より増して勢いが盛んである」という意味。しかし、以前より増してと言うからには、以前=前年度のデータをもっているのか。現四半期の速報値を知っているのか。それは前年度比何%増なのか。エビデンスはあるのか。

ところがこのフレーズは、そのあとに「ことと」が続くのだ。「ことと存じます」は、「そういうことだろうと思っています」という意味。ただ勝手に推測しているだけなのだ。「ますます〜ことと」は、「以前より〜だと勝手に思っている」という推測のサンドイッチ構造。〜の部分には清祥、隆盛、あるいは清鳳、隆賀豊でも、とにかく縁起のいい吉祥文字を並べていればいいのだ。

大慶:表現はインフレを起こす

このビジネス会話フレーズは、普通は「お喜び申し上げます」と締める。しかし、吉祥言葉は常にインフレを起こす。だんだん、より強めの表現を求めるようになるのだ。

大慶…大きな喜びのこと。

確かに、「お喜び」よりも強い。喜(12画)→慶(15画)→大慶(3画+15画)。基本的に漢字の画数が多く、文字数も多い方が吉祥感が増す。やがて、慶祝、慶賀…はては欣喜雀躍なんて言葉が使われていくのかもしれない。

言葉は、大袈裟になればなるほど、使っている本人の満足度に反比例して、中味は空疎になっていく。

【改造案】
時下は、「この頃」という意味。だったらこのビジネス会話は、「最近、どう?」でいいのではないか。
【魔改造案】
吉祥文字を強化してくと、どんどん落語の寿限無になっていく。
「貴社ますます寿限無寿限無のことと海砂利水魚に存じます」

<著者略歴>
藤井 青銅(ふじい・せいどう):作家、脚本家、放送作家、作詞家。1955年山口県生まれ。「第一回星新一ショートショートコンテスト」に入選。以降、作家兼脚本家・放送作家になり、ラジオ番組「夜のドラマハウス」、「オールナイトニッポン・スペシャル」、「NHK FM青春アドベンチャー」などの製作に携わる。現在製作に携わるのは「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)。腹話術師のいっこく堂の脚本・演出、プロデュースも担当した。著書に「国会話法の正体」(柏書房)、「一芸を究めない」(春陽堂書店)、「『日本の伝統』の正体」(新潮社)、「トークの教室」(河出書房新社)など。
Xアカウント:@saysaydodo

<雑誌紹介>
雑誌名:機械技術 2023年11月号
判型:B5判
税込み価格:1,760円

<販売サイト>
Amazon
Rakuten ブックス
Nikkan BookStore

<特集>旋削加工の進化と高精度部品への最新適用動向
旋削に用いるNC旋盤では、高速回転主軸や振動抑制、切りくず処理など高付加価値加工のための機能開発が進む。人手不足を背景に、ワンチャッキングで複雑形状を加工できる複合加工機や自動化へのニーズも高く、各社からの提案が活発化している。特集では、高精度かつ複雑形状の部品を効率的に製造するためのポイントや、安定加工に欠かせない工具のトラブル対策を解説。NC旋盤の最新技術動向や活用事例も紹介する。