【ゲンダイ式ドジャース選手名鑑】

 フレディ・フリーマン(内野手/背番号5)

 今季、メジャー15年目を迎える左打ちのスラッガーだ。

 短縮シーズン(60試合)だったブレーブス時代の2020年のキャンプ前にコロナウイルスに感染。高熱や嗅覚障害など重症を患って大幅な調整の遅れを強いられたが、開幕に間に合わせて全試合に出場し、打率.341、13本塁打、53打点でナ・リーグMVPに選出された。

 ブ軍からFAになったフリーマンは22年3月、ドジャースと6年総額1億6200万ドル(当時約190億円)で合意したが、契約内容に不満を抱いて代理人のケーシー・クロース氏を解任した。

 07年のドラフト2巡目で入団してからブ軍一筋で、本人は残留を希望。当時のアトランタのメディアなどによれば、球団から5年総額1億4000万ドルを提示され、本人が納得したにもかかわらず、クロース氏が上積みを要求したという。業を煮やしたブ軍は方向転換し、アスレチックスからトレードで獲得した同じ一塁手のマット・オルソンと8年総額1億6800万ドルで契約延長した。

 契約年数、年俸総額ともブ軍を上回るド軍に移籍したとはいえ、平均額はド軍が2700万ドルで、ブ軍の2800万ドルを下回った。ブ軍の本拠地であるジョージア州と比べてはるかに高いカリフォルニア州の住民税を支払うと、年俸の目減りが避けられないだけに、代理人に対して不信感を抱いたようだ。節税のため、シーズン中はロスに居を構え、オフには元女優のチェルシー夫人とともにアトランタの自宅で暮らしているという。

 アナハイム近郊で生まれ育ったことから、幼少時からエンゼルスファン。ジャマイカ出身の選手で唯一、2000安打を達成し、エ軍の主砲だったチリ・デービスが憧れの存在だった。

 トレーディングカードの収集家で、子供の頃に集めたデービスのものだけでも100枚以上、所有している。

1989年9月12日
米カリフォルニア州ファウンテンバレー
34歳 196センチ、100キロ
右投げ左打ち
打率.331、102打点、29本塁打
40億5000万円

ムーキー・ベッツ(背番号50)

 メジャーを代表する「5ツールプレーヤー」(ミート力、長打力、走力、守備力、送球力)だ。

 レッドソックス時代の2018年に首位打者を獲得し、5年ぶりの世界一に貢献。ア・リーグMVP、シルバースラッガー(SS)賞、ゴールドグラブ(GG)賞にも選出された。同じ年に、打撃タイトル、SS賞、GG賞とワールドシリーズのチャンピオンリングを手に入れたのはメジャー史上初めての快挙。フランク・ロビンソン(61年レッズ、66年オリオールズ)以来、史上2人目となる両リーグでのMVPを狙う大谷の強力なライバルでもある。

 身長175センチとメジャーリーガーとしては小柄。ジョン・オーバートン高校(テネシー州ナッシュビル)時代は三拍子揃った二塁手としてメジャーの注目を集めたが、上背がないため、指名に二の足を踏む球団が少なくなかった。地元テネシー大学など複数の強豪大学から勧誘され、本人は進学を決めていたが、ボディーサイズは二の次で能力を重視したエプスタインGM(当時)の方針でレッドソックスから11年のドラフト5巡目(全体172位)で指名された。レ軍は事前に用意していた契約金60万ドル(当時約4800万円)から75万ドル(同6000万円)に上積みしたことから、当時の期待の高さがうかがえる。プロ入り当時についてベッツは「レッドソックスから指名されなければ、プロ入りなんて考えられなかった」と振り返っている。

 スポーツ万能で、野球以外だとボウリングはプロ並みの腕前。オフに出場する大会では何度もパーフェクトを達成している。

 意外にも英国王室とのつながりは深く、ヤンキースとレッドソックスが英国遠征した19年にはヘンリー王子の妻で米国出身のメーガン妃と縁戚関係にあることが判明。専門家が家系図をたどって調べたところ、それぞれの高祖父が兄弟だったという。英国遠征の際、2人は対面し、メーガン妃から親戚として認められたが当然、ベッツに王位継承権はないそうだ。

1992年10月7日
米テネシー州ブレントウッド
31歳 175センチ、82キロ
右投げ右打ち
打率.307、107打点、39本塁打
37億5000万円

クレイトン・カーショー(投手/背番号22)

 サイ・ヤング賞を3度受賞し、最強左腕のひとりに位置付けられている。昨季終了後、FAになったカーショーはキャンプイン直前にド軍と再契約。昨年11月に左肩を手術したため、リハビリを強いられるが、ポストシーズン進出争いが熾烈になる夏場以降の復帰を目指している。

 ドジャース一筋17年目を迎える左腕は通算210勝92敗、防御率2.48。ピンチに強く、得点圏に走者を背負った際の被打率.194、過去16年間での満塁本塁打は17年9月のフィリーズ戦でアルテールに喫した1本のみだ。ここ数年は度重なる故障もあって精彩を欠いたが、長らく抜群の安定感を誇った。

 カーショーについてド軍首脳陣や同僚らは「完璧主義者」と口を揃える。16年まで専属捕手を務めたA・J・エリス(現パドレス特別補佐)は現役時代、米メディアの取材にカーショーの調整法についてこう明かしている。

「ブルペンでの調整は入念に行っており、(捕手を立たせたまま)直球を3球。捕手を座らせてからは直球と変化球をコースごとに3球ずつ、持ち球をコースごとに投げ分ける。球数もきっちりと34球で終えるなど、ブルペンでのルーティンは確立している」

 投球技術の向上、調整法に関してはどこまでも貪欲。若手時代には当時の同僚で日本で経験豊富な黒田博樹(現野球解説者)の投球術、練習法を吸収するため、志願してキャッチボール相手を務めた。他球団のライバルを参考にすることもあり、過去に10回選出されたオールスターでは同じナ・リーグの投手に変化球の握りなどの教えを請うこともあった。

1988年3月19日 米テキサス州ダラス 36歳
193センチ、102キロ 左投げ左打ち
13勝5敗、防御率2.46 7億5000万円

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