<プロボクシング:4団体統一スーパーバンタム級タイトルマッチ12回戦>◇6日◇東京ドーム

ボクシング4団体統一スーパーバンタム級王者井上尚弥が所属する大橋ジムの大橋秀行会長(59)が日刊スポーツに手記を寄せた。今年2月22日にジム創設30年を迎えたタイミングで現役時代から目標に掲げていた東京ドームでのボクシング興行を実現させた。井上が大橋ジムに入門するまでの意外な経緯やジム会長として過ごした30年間を振り返った。

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34年ぶりとなる東京ドームのボクシング興行がジム創立30年の節目に開催できたのは、関係各位のご尽力とファンの皆様の温かいご支援のたまもの。誠にありがとうございました。

4月初旬、私は大腸ポリープ5個を除去する手術を受けた。当初は担当医から5月下旬の手術で問題ないと言われたが、東京ドーム興行前に何か起こるといけないので前倒しした。手術の件は妻と尚弥、八重樫らごく少数に伝えたのみ。2日で退院し、東京ドーム興行の準備を再開した。

この興行が開催できたのは尚弥の存在なくしては語れない。思い返せば、私の勘違いで尚弥の入門が決まった。本当は協栄ジム入りで9割決まっていた。当時は尚弥と同学年の松本亮が入門しており、無理に勧誘しなかった。しかし静岡・伊東市で選手合宿をしていた時、松本のもとに尚弥から「ご飯を食べないか」と誘いのメッセージが入ったと知った。私は「うちに興味があるのか?」と思い、父真吾さんに連絡を入れた。そこから大逆転で入門が決まった経緯がある。

しかし後日、尚弥に当時のメッセージの真意を尋ねると、まったく覚えていなかった。完全な私の勘違いで尚弥の大橋ジム所属が決まったが、これも運命だった。川嶋(勝重)が世界王者の時に八重樫が入門、八重樫が世界王者の時に尚弥が入門した。これは私の師匠となるヨネクラジム米倉健司会長の教えだ。ジムに強い世界王者が出た時、その選手だけに注力するとジムは続かない。「強い選手が1人出れば、向こうから入ってくる」と言われたことを覚えている。

当初は、井上兄弟の引退を持ってプロとしてのジム運営を終え、フィットネスボクシングなどの全国展開を考えていた。競技人口を増やし、別の形でボクシング界に貢献しようと考えた。しかし22年初頭、真吾さんと八重樫にジムの継続的な発展のため、有望選手獲得とトレーナー人員増加を提案された。最初は驚いたが、2人の熱意を感じて方向転換した。ジム創立時は2人、21年末で6人だったトレーナー数が現在は20人。今春、日本男子3人目の世界ユース制覇を果たした坂井優太ら6人のトップアマが入門している。

私は現役時代から米倉会長に連れられ、交渉の場に同席していた。「背中」でジム運営のノウハウを教えてもらった。将来的にはジム運営は八重樫、尚弥にはプロモーターの立場で携わってほしいと思い、今から伝授しているつもりだ。いずれ私が退くまでには、すべてを伝えたいと思う。

30年前は「大橋スポーツジム」の看板で始まった。敷居を低くし、250〜300人の会員を集めてジム運営を安定させた。後輩の松本好二がトレーナーとして入った3年後から「大橋ボクシングジム」に変更し、世界王者も生まれた。そしてジム30年の節目に東京ドーム興行が実現したが、これはスタートだ。私の頭にマッチメーク、興行設計など多くのプランがある。

米倉会長が65年前、東京ドームの前身・後楽園球場で試合していたことは意味深い。昨年4月に天国へ旅立ったが、天国から孫弟子4人の試合を見守ってくれたと思う。4人の試合を師匠にささげたい。