2000年代に「かおる姫」の愛称で注目を集めた菅山かおる(44歳)。バレーボール日本代表、そしてビーチバレーでも活躍した菅山にインタビューを行った。後編ではビーチバレー転向後の日々や、今も現役ビーチバレー選手として活躍する夫・西村晃一さんとの出会いなどについて聞いた。《NumberWebインタビュー/前編から続く》

「かおる姫」の愛称で瞬く間にスター選手となった菅山かおるさんは2008年、29歳のときに引退を決意する。引退したあとは「少しのんびりするつもりだった」と振り返るが、直後、ビーチバレーボールを生で観戦し、プレーする機会があり、その魅力にすっかり取りつかれてしまったのだという。

 すぐにビーチバレーボールに転向することを決意し、当時、自身のマネジメント業務で相談に乗ってくれていた株式会社WINDS代表の西村晃一氏を頼ってプロ・ビーチバレーボールチーム『WINDS』に入団。グアム、ブラジルと海外での合宿を経て2009年2月、ビーチバレーボール転向を正式に発表する。

夫は驚いた「僕より練習する人に初めて会いましたね」

「最初は砂の上でどう体を使ったら動けるのか、全くわかりませんでした。スパイクは打てないし、インドア時代なら簡単に上げられたレシーブも、ボールに追いつけない。それが本当に悔しかったんです。幼いころ、ずっと『もっとうまくなりたい』『もっとスパイクを決めたい、レシーブを上げたい』という思いでやってきたのですが、ビーチバレーボールとの出会いは、その思いに立ち返らせてくれました」

 インドア時代と同様、一つのプレーができるようになれば嬉しくて、次の課題をクリアできるとまた嬉しい。その繰り返しだった。

 海外合宿でも自分が納得できるまで練習した。当時のかおるさんについて夫の西村晃一氏はこう振り返る。

「僕より練習する人に初めて会いましたね、アハハ。毎日、WINDSで雇っていたプロのブラジル人コーチから『かおるがまだ練習したいと言っているけど、どうする?』『残業代は出る?』って聞かれて困った覚えがあります(笑)」

 転向を発表してすぐに、同じ年の4月からは大会にも出場するようになる。

元日本代表はなぜビーチバレーにのめり込んだのか?

 WINDSに入団した大きな理由の一つは、ビーチバレーボールに特化したトレーニングの知識や練習施設などの環境面が揃っていたことだった。インドア時代は初動負荷を意識したトレーニングが中心だったが、ビーチバレー選手となると、砂の上で動き回ることを想定しなければならない。不安定な場所で踏ん張るため、下半身の力がより必要になる。練習の方法もガラリと変わった。しかし、かおるさんは「戸惑うというより楽しかった」と、練習とトレーニングをエンジョイしながら上達していった。

「本当に原点に戻ったという感覚でした。もちろん、試合に負けると悔しいし、自分が思うようなプレーができなくて、歯がゆくてイライラすることもあるんですが、そういった過程もすべて楽しくて仕方がなかったですね。少しずつ確実にうまくなっていると感じる喜びの方が大きかった。それを味わう充実感がとても大きかったです」

 インドア時代の集団生活とは違い、ビーチバレーボールの選手は自分でどの大会に出場するか考えてツアーを組み、渡航チケットを手に入れる。移動もペアで行動する場合が多く、マネージャーなどはついてこない。

「一度、海外遠征のとき、空港の乗り継ぎで一泊しなければいけないことがあり、乗り換えフロアの隅っこで寝たことがあります。治安が悪いと聞いて、バッグを絶対取られないように、しっかり抱きしめて眠りました。ビーチバレーボールの遠征ではいろいろな経験をしました。インドアだけでは絶対に経験できないことばかり。すべてが新鮮で、とても楽しかったです」

2011年、結婚を機に第一線から退いた

 アクシデントもすべてがいい思い出だと語るかおるさん。では、そんな菅山さんが感じるビーチバレーボールの競技の魅力とはいったい何なのだろうか。

「インドアって監督がいて、監督の戦略や指示をもとに選手がプレーしますよね。でもビーチバレーボールは監督がいない(※監督を置くチームもあるが試合中に監督やコーチは介入できない)ので、試合中、苦しい展開になってもペアの選手と2人で考えて答えを見つけなければいけません。どんなに調子が悪くてもメンバーチェンジはできないので、なんとか自分で立て直して、戦い続けなければいけない。大変ですが、そうやって戦況を盛り返すことができたときの喜びは格別でした。2人でサインを出し合って、その戦術がハマるとすごく嬉しかったです」

 こうして充実したビーチバレーボーラーとしての日々を過ごし、かおるさんは2011年、西村氏との結婚を機に第一線から退いた。ビーチバレーボール選手としてプレーしたのは2シーズンだけだったが、2010年には最後の国内大会で準優勝を飾るまでに至った。それは「できないことが悔しいので、できるまで何度でも練習する」というかおるさん従来の負けず嫌いな性格や、「かおる姫」という愛称で注目を浴び、はたから見れば一変したように見えた生活も「幸せだった」「ありがたかった」と楽しめる、競技へのポジティブな姿勢があったからこそだ。

夫の第一印象は「関わらないほうがよさそうな人」だった

 そういえば、公私ともにパートナーとなった西村氏との最初の出会いはいつ頃だったのだろうか。

「最初に会ったのはまだインドアの日本代表の頃ですね。遠征先の海外で偶然、ビーチバレーボールの代表選手何名かと会うことがありまして……。でも最初、会ったときの印象はあまり良くなかったんですよ(笑)」

 当時のかおるさんから見た西村氏は「関わらないほうがよさそうな人」だったとか。

「真っ黒に日焼けしていて……ビーチバレーボール選手なので当たり前なんですけど(一同笑い)。なんだか自分の周りにはいないタイプの人だったので、かなり警戒していました。その後、インドアを引退して、マネジメントをどこの事務所にお願いしようかと迷っているときに『西村晃一さんに相談してみたら?』と紹介されて話をしてみることになりました」

 その後、前述のようにかおるさん自身もビーチバレーボールの選手となり、『WINDS』に所属。海外合宿、遠征と一緒に過ごす時間が増えるごとに、最初の印象とは全く違う人だとわかっていったのだとか。

「まず、練習で手を抜かない。やると決めたことは何があってもやり遂げるところに惹かれました。あとは性格に裏表が全くないところですね。言いにくいことを相手にズバズバ言い過ぎて、隣で聞いていてヒヤッとすることもあるんですが(苦笑)、面と向かって言えないことは、陰でも絶対に言わない人です」

 会社の業務でどれほど遅くなろうと、翌日の練習を休んだことはない。自分で決めたことを最後までやり遂げるところを尊敬もしていると語った。

夫婦生活は「束縛するタイプでないことは確かです」

 パートナーではあるが西村氏のほうが6歳上ということもあって、夫婦生活では「わたしがあれこれ言われてばかり」と苦笑するかおるさん。子育てが一段落した際も「家にばかりいないで、もっと外に出た方がいいよ」と背中を押してくれた。

「束縛するタイプでないことは確かです。わたしが何も言わずに外出しても、何も聞きませんし、どこへ行っていたかなども聞かれたことがありません。そうやって信頼してくれるところも『すごいなぁ』って思いますね。子供たちに対しても、どんなに忙しくても、必ず遊ぶ時間をしっかり作ってくれています」

 子育てについては考え方も似ているそうだ。中には自身が厳しい経験をした分、子供には同じ競技を勧めたくないという元アスリートもいるが、かおるさん夫妻は違う。

「主人もわたしも子供たちにはバレーボールをやってほしかったんです。でも親があまり言うのは嫌だったので、小さいころから主人やわたしが相手になってバレーボールで遊んだりしていました」

 その結果、長男はサッカーや水泳など、興味を持った複数の習い事を続けてきたが、小学校高学年になった際「バレーボールがやりたい」と言い出した。西村氏のプレーを見てビーチバレーボールにも興味を抱き、今はインドア、ビーチ、両方でプレーしているという。

現在はビーチバレーのコーチとしても活動中

 では、かおるさん自身が今後取り組んでみたいこと、挑戦してみたいことは何なのだろうか。

「やはりバレーボール、特にビーチバレーボールの楽しさをもっと多くの人に知ってほしい。インドアは幸い、先日、男子代表がオリンピック出場権を獲得して、とても注目を集めていると思います。ビーチバレーボールもぜひ、もっと知ってほしいですね。ビーチバレーボールの楽しさって、本当に、その競技に触れてみないとわからないですから」

 かおるさん自身、全く未知の競技だったビーチバレーボールに、あっという間に心を惹かれ、プレーするようになり、世界の舞台に立つまでに至った。同じように興味を抱いた人が、気軽に体験できる環境を作ることも普及のためには大切だと考えている。

 MIYASHITA PARK(渋谷区立宮下公園)の屋上多目的ビーチはTOKYO VERDY WINDSのホームコートとして4年間活動中で、夕方の時間帯は子どもたち向けにビーチバレースクールも開催し、かおるさんはコーチとして指導に当たっている。

「都心でもビーチバレーボールを体験できる場を作りたいですね。特に子供たちには、海まで行かなくても気軽にボールや砂に触れてほしいです。そういった意味でもMIYASHITA PARKの多目的運動施設にあるサンドコートでの活動も徐々に増やしていけたらいいなぁと思っています。プレーするのも楽しいけれどビーチバレーボールって見るのも楽しいですよ。インドアの試合だと着席して、応援のスタイルも何となく決まっていますが、ビーチは自由。お酒を飲みながらでも、立ったままでも、ワイワイと好きなスタイルで観戦できます」

 2人制だけではなく4人制など自由にアレンジできるスポーツであることも魅力のひとつだと強調した。「皆さんも、ぜひやってみてください」と取材陣にも笑顔で勧める。

 自身が夢中になり、輝きを放った競技の普及のため、今後は積極的に周囲に働きかけるつもりである。

《前編「『かおる姫』のニックネームは本当に幸せでした」編も公開中です》

文=市川忍

photograph by L)Sankei Shinbun、R)Takuya Sugiyama