なでしこジャパンが北朝鮮との激闘を制し、2大会連続の五輪切符を手にした。勝利の立役者となったのは、高橋はな(24歳)だった。先制ゴールの伏線、池田太監督への信頼関係を口にするなど“テレビに映らなかった、なでしこヒロインの素顔”を現地取材ライターが記す。

「まさか決めるとは……」

 目の前に広がる光景に息をのんだ。

 2月28日、国立競技場で開催されたパリ五輪女子サッカーアジア最終予選、なでしこジャパン対北朝鮮女子代表。第1戦をスコアレスドローで終え、勝てば五輪出場が決まる第2戦、前半26分に“そのシーン”は生まれた。

 左サイドMF北川ひかるのフリーキックからDF熊谷紗希を経て、FW上野真実が頭で折り返し、FW田中美南がヘディングシュート。バーに当たったこぼれ球の軌道の先にいたのは、DF高橋はなだった。左足で押しこみ、2大会連続6度目のオリンピック出場を引き寄せる先制ゴールとなった。

ホントに決まってよかったなーって

「ものすごく嬉しかったです。ホントに決まってよかったなーって」

 歓喜の輪が解けた約1時間後、約200人いたメディアの熱気がすっと冷めたミックスゾーンで高橋は先制点を振り返った。その表情は安堵に満ちていた。負ければ終わりの大一番。どれだけ切迫していたか。高橋と同じ三菱重工浦和レッズレディース(以下・浦和)の清家貴子はこう話す。

「勝てたからいいようなものの、もし負けていたらどんな気持ちになっていたか、それを考えただけでも怖かったです。とにかくホッとしました」

 なでしこジャパンは想像以上にプレッシャーがかかっていた。まして第1戦、守備では北朝鮮の攻撃を持ちこたえたものの、攻撃は単調さ、手詰まり感があった。だからこそ高橋の先制点は貴重だった。

 高橋本人は「セットプレーの準備が結果につながった」と明かしたが、簡単なゴールではない。それでも「いいところにこぼれてきただけ」とこともなげに言えるのはもともとFWだったからだ。

「身体が小っちゃくて、超ドリブラーで、めちゃめちゃうまかった選手」

 そう証言するのは長谷川唯である。

 先制後、高橋に勢いよく抱きついていたシーンが印象に残る人も多いだろうが――高橋は埼玉県川口市、長谷川は隣接する戸田市出身である。長谷川によれば、自身が中3で高橋が小6のときに対戦した頃の印象が残っている。つまり、高橋にはFWの嗅覚が残っていたのだ。

高橋のゴールには練習での“伏線”があった

 そんな高橋の得点、実は予言めいたものがあった。

 2月19日の公開練習に遡る。この日、24回目の誕生日を迎えた高橋は、練習でペナルティーエリア外から右足で強烈なシュートをゴール右上に突き刺していた。

「絶対、蹴ることはないんで(笑)」

 その時はこう話していたが――第2戦前日に開かれた公開練習後のこと。膠着した試合を打開するゴールは、高橋自身がフリーキックを蹴るなど、意外性のあるところから生まれるのではないかと尋ねた。するとこのように返ってきた。

「もう勝つしかないので、言うことはありません。ただもともと“安パイなプレー”ができないタイプなので(笑)。リスクを冒してプレーしたい。まあ、普通にやって勝てる相手ではないのですから」

 リスクを冒してゴールを決める。それが伏線になったからこそ、冒頭に記した「まさか決めるとは」の心境だった。

高橋、熊谷、南の3バックにある“共通点”とは

 高橋はゴールだけではなく、守備でも良い働きを見せた。

 試合前は4バックが予想されたが、3バックへ変更。池田太監督は試合後会見で「チームの幅を広げようというストーリーは頭のなかにあった」と明かしたが、これが功を奏した。相手のロングボールに対して高橋、熊谷、南萌華の3バックが跳ね返したうえで、セカンドボールを回収。良い守備から良い攻撃へとつなげた。

「3枚のシステムはワールドカップでもやってきました。その分、引き出しも多く、お互いに共通認識も取れています。システムにとらわれすぎず『このパターンにしよう』という考え方なので、そこまでてこずらず、スムーズにできました」

 終盤に1点を返されたものの、90分を通して破綻するシーンはほぼなかった。そんな堅守を支えた高橋、熊谷、南はキャリアの中で浦和レッズレディースに所属したという共通点がある。

 熊谷は2009年常盤木学園から浦和に加入。女子W杯でなでしこジャパンが世界一になった直後の11年7月、ドイツのフランクフルトに移籍した。その後、16年4月に南が、同年6月に高橋が浦和のトップチームに選手登録された。このとき高橋はFW登録。DFにコンバートされたのは17年のこと。翌18年にはフランスで開催された U-20女子W杯で池田監督率いるU-20日本女子代表でCBコンビを組み、初優勝に導いた。さらにWEリーグ2021‐22シーズンでは、20試合中、19試合にフル出場してチームも2位と奮闘した。

 相棒の南は自身が慕う熊谷を追いかけるように代表入りし、22年7月にASローマ(イタリア・セリエA)に完全移籍。去年6月から熊谷とチームメイトとなった。つまり南を媒介し、熊谷と高橋が連動したことが円滑な守備を生んだといえる。パリ行きを決めた瞬間、3人が喜び、肩を組みあったのが象徴的なシーンと言える。

全治8カ月の重傷を負ったもののW杯選出

 一見、順調に歩んでヒロインとなったように見える高橋だが、1年前の今ごろを思い出せばよくぞここまで、と思える。

 2022年11月、スペインでの代表合宿で負傷し右膝前十字靱帯損傷で全治8カ月の診断を受けた。やっとランニングを始めたのが4月下旬で、練習に一部合流できたのが5月上旬。リーグは残りわずか。目前に控えるW杯に向けて、復帰は無理かと思われたものの、WEリーグ最終節の後半25分から出場すると、3日後のW杯メンバー発表で“サプライズ選出”となった。

 当時、会見で高橋はこう思いの丈を語っていた。

「スペイン遠征から帰国してすぐに手術が決まってから、いくつかの選択肢がありました。でも、わたしはできることをやりたかった。(ワールドカップを)諦める理由にはならないと感じました。半年先のことを夢見てやっていたところでいまが変わるわけではありません。日々を大切に毎日、積み重ねるしかない、その積み重ねの先に今日があります」

池田監督は「ずっと熱男ですが…この監督のために」

 当時の高橋を支えたものとして、池田監督の存在があるだろう。指揮官は浦和のホームゲームに何度となく視察に訪れていて、気にかけていたのは間違いない。W杯後も負傷離脱を除いて、招集メンバーの常連となっていて、その信頼の厚さが伝わる。

 パリ五輪切符を手に入れた瞬間、監督と選手が喜び合う様子をテレビ中継で目にした人々は多かっただろうが、選手の証言からも、池田監督との良好な関係性をうかがい知ることができる。

「太さんは熱さをもっていますし、常にチーム、選手のことを考えてくれます。その熱さのなかに繊細さというか……ひとつひとつの言葉や行動にこもっていますね。またこのチームで戦える、その喜びは大きいですね」(長野風花)

「熱さはU-20W杯のときと変わりません。試合当日にはやってきたことをすべてやりきる気持ち、戦う気持ちを出しますが、そのなかに冷静さを感じますね」(南)

 そして何より、高橋はこのように話していた。

「ずっと熱男(あつお)ですが、その熱さのなかに選手を、チームをよく見ているなという冷静さが常にあります。

 この監督のためにプレーしたい、そう思える監督です」

 今のなでしこジャパンの強さが詰まっている——そう実感する高橋のプレーぶりと言葉だった。

文=佐藤亮太

photograph by Naoki Morita/AFLO