のちの世界4階級制覇王者・井岡一翔への憧れと下剋上、そして井上尚弥との初遭遇――アマチュアボクシングに青春を捧げた駒澤大学の林田太郎は、2010年の全日本選手権決勝で高校2年生の井上と初めて拳を交えた。当時すでに圧倒的なポテンシャルを示していた“17歳のモンスター”の実力は、一体どれほどのものだったのか。「井上尚弥に勝った日本人ボクサー」が、若き怪物との激闘を振り返る。(全3回の2回目/#1、#3へ)

井岡一翔が見せた「北斗百裂拳のような高速ミット」

 林田太郎は高校時代、同級生の三須寛幸が井岡一翔に2度挑むのを間近で見てきた。一緒に攻略法を研究し、手本にしてきた選手でもある。

「ウォーミングアップ会場で井岡さんのミット打ちを見てはいけないんですよ。北斗百裂拳のような高速ミット。あれを見たら怖じ気づいてしまうんです」

 大学でのデビュー戦。試合は思っていた以上に噛み合った。パンチも当たる。善戦したものの、井岡のバランスがいい。結果は判定負け。だが、リーグ戦で井岡戦以外は4戦全勝。1年生ながら駒澤大学のエースになった。

「井岡さん以外の誰にも負けてはならない」

 約5カ月後の国体決勝でも井岡に敗れ、3度目の対戦は2008年11月16日、新潟で開催された全日本選手権。互いに勝ち上がり、決勝で向き合った。

「井岡さんとは練習量も違うし別世界の人。勝てるわけがない。僕はずっと準優勝でいようと思っていたんです」

 序盤、左で試合をつくる井岡。林田は何度もアタックを仕掛け、時折右フックがヒットした。最終回は激しく打ち合い、ポイントで逆転。27-26で林田の手が挙がった。憧れの井岡から勝利を奪い、全日本選手権を制して「日本一」の称号を手に入れた。

「まず頭に浮かんだのは、『俺が井岡さんに勝っちゃダメでしょ!』と。でも、欲がなかったのがよかったのかもしれません。次に思ったのは『全日本合宿あるのかな。嫌だなあ』ということでした」

 1学年上で憧れの井岡には敗れてもいい。だけど、他の誰にも負けてはならない。林田の頭の中で独自のルールができあがっていた。

練習に来た井上尚弥が有名選手をボコボコに…

 駒澤大2年時の2009年夏、弟の翔太を応援するため、奈良で開催中のインターハイを訪れた。すると、母校・習志野高の恩師が話してかけてくる。

「太郎、あのモスキート級の選手いいぞ。この先来るぞ」

 すぐに名前を確認した。神奈川・新磯高、井上尚弥。まだ1年生だ。リング上を凝視する。動きが速くてダイナミックだ。「これはやっかいだな……」。大会中、ずっと井上の試合を目で追っていた。決勝で奈良朱雀高の寺地拳四朗を破り、1年生ながら優勝を飾った。

 それから1年3カ月後の全日本選手権。3連覇を狙う林田の背後に、あの高校生の「化け物」が迫ってきた。井上が3試合いずれも大学生を破って決勝に進出。大会はライト級の藤田健児とライトフライ級の井上、2人の高校2年生が席巻していた。それは林田の予想通りだった。

「三須が拓殖大にいて、尚弥が練習に来たとき、有名選手をボコボコにしてストップした、と……。『ポテンシャルは半端ないぞ』と聞いていたんです」

「クソッ!」井上尚弥が林田太郎に敗れた日

 2010年11月21日、山口県上関町民体育館。リング上で対峙した井上の体つきを見る。線が細い。これなら大丈夫かもしれない。開始早々、井上のワンツーをかいくぐり、アッパーをブロックする。その瞬間、衝撃が走った。

「なに、このパンチ……。ヤバいな」

 これまで幾多のハードパンチャーと拳を交えてきた。だが、明らかに質が違う。とはいえ、ここで下がったらダメだ。ファイターの林田はさらに前に出る。同じ体重とはいえ、大学3年生と高校2年生では体力差がある。フィジカルで上回る林田は圧力をかけ、ボディを中心にパンチを叩き込んだ。

 初回に「これはいけるな」と手応えをつかみ、迎えた2回。フックの相打ちで井上が効いているのがわかった。完全にペースを握り、最終回。さすがに井上の表情と動きから疲れが見て取れる。終了間際、井上のワンツーを食らった。その瞬間、疲労困憊だったはずの井上が突如息を吹き返し、猛然と襲いかかってきた。

 試合終了のゴングが鳴った。「クソっ!」。井上の悔しがる声が聞こえた。判定は12-7で林田の手が挙がり、全日本選手権3連覇を達成。大会の最優秀選手にも選ばれた。だが、井上が息を吹き返したシーンが忘れられない。

「それまでヘロヘロだったのに、勝負どころを見逃さない洞察力と嗅覚。ここぞの勝負勘が凄いなと思いました。相手が少しでも弱みを見せたら、すぐにいく。辰吉丈一郎さんもフラフラになっても、ボディを打って相手がよろけたらすぐいく、みたいな感じでしたよね。あれはスターの特性なのかなと思います」

「明日、尚弥とだな。ヤバいな」村田諒太の優しさ

 それから8カ月後、再戦のときがやってくる。兵庫県西宮市で世界選手権の代表選手選考トーナメントが行われることになった。やはり、あの高校生が勝ち上がってきた。試合を翌日に控え、ホテルで同部屋の村田諒太がベッドに横たわりながら、話しかけてきた。

「明日、尚弥とだな。ヤバいな」

「はい、めっちゃヤバいっす」

 井上は右肩上がりで成長を遂げ、誰もが「化け物」と認識していた。

「よし、試合のイメトレしようか。目を閉じてみ。いいか、尚弥が来るだろ」

「はい……」

「尚、いいよ! 尚、いいよ!」

 村田が突然、井上の父・真吾の声をまね、真顔で続けた。

「おまえ、この声に惑わされたらアカンよ」

「なんすか、それ?」

 林田がそう聞き返すと、顔を見合わせて2人で大笑いした。

「よし、いけるわ、頑張れよ!」

 村田の優しさが嬉しかった。林田はすっかりリラックスしていた。

僅差で井上尚弥に敗れるも、寺地拳四朗には圧勝

 2011年7月18日、井上は1戦目とは異なり、ゴングと同時にいきなりラッシュを仕掛けてきた。ハイテンポの攻撃だ。国際大会の「インドネシア・プレジデントカップ」で金メダルを獲得したばかりの井上は自信にあふれていた。

 林田はブロックをして必死に打ち返す。1回は完全にポイントを奪われた。2回は林田が前に出て盛り返したものの、主導権を握るまでには至らない。互角の展開が続いた。3回、徐々に林田のペースになっていった。接近戦で手数を出す。フットワークを駆使して、林田をかわそうとする井上に対し、さらに近づきボディを目がけてパンチを放った。井上が疲れ切った表情を見せたところで終了のゴングが鳴った。林田の頭の中では、最後はポイントで逆転したように感じていた。

 判定は接戦の末13.7-11で井上が序盤のリードを守り、逃げ切った。

 試合後、控え室で、林田は井上の顔を見ると、声をかけた。

「尚弥、ありがとうね。でも、俺、負けたとは思ってねえからな」

 この時点で1勝1敗。「またやろうな」という思いを込めて言った。そして、林田はエールを送った。

「頑張ってこいよ、世界選手権」

「はい。ありがとうございました。本当ですよね、頑張ってきます!」

 井上のハキハキとした口調に、「礼儀正しい子だな」と感心した。井上からは家族から愛されて育った温かみのようなものが伝わってくる。思い出すのは、ある選手がSNSで誹謗中傷を受けたときのことだ。井上の父・真吾が「そんなこと誰が言ったんだ、恥ずかしいと思わないのか!」とまるで自分のことのように怒っていた。ただボクシングが強ければいいのではない。礼儀や振る舞いを重んじ、教育熱心な親子の姿勢に惹かれていった。

 井上がいない大会となれば、林田の力は群を抜いていた。3カ月後となる2011年10月の山口国体。決勝に進んできた相手は奈良の寺地拳四朗だった。

「指導者がいなかったのか、決勝の前に学生と2人で笑いながらマスをしているのを見た覚えがあります。当時からすごくセンスはありましたけどね」

 アウトボクシングの寺地に圧力をかけ、右ボディ、右ストレートと手数を出した。前に出る林田の馬力が勝る。16-3の圧勝。相手になるのは井上しかいなかった。

<続く>

文=森合正範

photograph by AFLO SPORT