佐藤輝明のこれまでのキャリアには壁も試練もあったように映る。だが本人の心の奥底にある思いは「なんとかなるやろ」。阪神タイガース入団から3年間を振り返る言葉でわかったのは、未完のサトテルはまさに泰然自若、ポジティブ思考の持ち主だということだった。
(初出:発売中のNumber1093号[4年目の本格開花へ]佐藤輝明「僕の根っこは楽観主義」より)

プロに入った時も「めっちゃ凄いな」はなかった

 今年、佐藤輝明はプロ入り4年目のシーズンを迎える。たかが4年、しかし初々しかった大学1年生が、貫禄ある最上級生に変貌できるだけの時間である。プロ4年生になった佐藤には、1年生だったころの自分がどう見えるのだろうか。多くの大学1年生が、新社会人が、ほぼ例外なく直面する衝撃や壁に直面していたのだろうか。

「いやあ……」

 困ったように彼は苦笑した。

「あんまり感じてなかったかもしれないですね。大学の時も、野球以外の寮生活とかで戸惑うことはありましたけど、うわ、大学4年生ってオトナやわ、めっちゃ凄いな、みたいなのはなかったかも。プロに入った時も、凄い生意気なんですけど、野球に関しては全然なかったかもしれない」

 もちろん、3年間飲み続けたプロの水が、少しずつ自分に変化、あるいは成長をもたらしつつあるという自覚はある。

「1年目はとにかくガムシャラにやってただけで、余裕はまったくなかったです。試合前の準備や流れみたいなのがわかってきて、少しずつ余裕が出てきたというか。バッティングだったらよりフォームを考えたり、配球にも意識が向くようになった。あと、やることがシンプルになってきたかな」

 もちろん平坦な道ばかりだったわけではない。ルーキーイヤーにはセ・リーグワースト記録を更新する59打席連続ノーヒット、などということもあった。

「それまであんなことは一度もなかったんで、壁と言えば壁だったのかな、あれが」

59打席連続ノーヒットにも「なんとかなるやろ」

 悪夢の始まりは2021年8月22日の中日戦だった。そこから10月3日の中日戦まで、途中初の二軍降格も経験した彼は1カ月以上、一軍でヒットを打てなかった。「もうあかん」と弱音めいた言葉を発したこともあったという。ただ、本音は違った。

「絶対無理、みたいな気持ちがなかったわけではありません。でもあの時に限らず、心の奥底では自信あるというか、なんとかなるやろ、みたいな思いがあったんですよ」

 彼の自己分析によれば、佐藤輝明という人間は「とことん楽観主義者」だという。

「野球以外のところでもそうですね。口ではもうあかんって言ってても、根っこのところでは悲観してないというか」

 長い長いトンネルを抜けたあと、佐藤が再び勢いを取り戻したかといえば、実は違う。そこからの27打席における打率は2割を切っている。59打席ノーヒットに突入する前の打率が2割8分近かったことを考えても、“なんとかなった”とは言い難い。しかし、長いセ・リーグの歴史でも最長となる深刻なスランプですら、佐藤にとっては「壁と言えば壁だったのかな」程度のものでしかなかった。3年間のプロ生活の中で、彼の精神状態が一番追い込まれたのは、昨年、ルーキーイヤー以来となる二軍行きを告げられた時だったという。

「なぜ二軍落ちを命じられたか」という疑念

「交流戦が終わった6月下旬、横浜遠征の時でした。ホテルに戻ったら平田(勝男)ヘッドに呼ばれて二軍落ちを告げられました。そのまま名古屋に移動です」

 まず佐藤の胸中に浮かんだのは疑問符だった。出来が悪かった、許されないミスを犯したというのならばわかる。だが、その日の彼は試合自体に出場していなかった。

「ちょっと、というか、かなりビックリしました。それまで結果が出てなかったんですけど、ちょっと当たりが戻ってきてた時期だったので。このタイミングかあ……というのが正直なところでした」

 ショックはあった。それでも、新幹線に飛び乗り、名古屋で二軍に合流するころになると、「10日で一軍に戻ってくればいいか」と頭は切り替わっていたという。

 なぜこのタイミングで二軍落ちを命じられたのか、という疑念に対する自分なりの答えも見つかった。

「そうか、岡田(彰布)監督ってプレー以外も見てる方なんやなって。あの日、ぼくはベンチにいた。なのに、盛り上げる声とか全然出してなかったんです。監督からすると、試合に出てなくてもベンチからできることあるやろ、なのになんで何もせえへんねんってことだったんじゃないかな、と」

 ベンチで声を出していなかったのは、不調で気持ちが沈んでいたから、ではなかった。大学時代から希代のスラッガーとして注目され、長打でチームをもり立ててきた佐藤には、声でベンチを盛り上げるという習慣も発想もなかった。だが――。

文=金子達仁

photograph by Kiichi Matsumoto