高卒2年目にして初の開幕一軍入り。ファン待望の選出ではあったが、横浜DeNAベイスターズの捕手である松尾汐恩は、特に喜びの表情を見せることもなく、真剣な面持ちで言うのだ。

「とてもありがたいことですし、自分としては一軍でいろんなことを勉強していきたいと思っています」

やっぱりこの場所で勝負したい気持ちが…

 3月29日に横浜スタジアムで開催された広島カープとの開幕戦、松尾は、布袋寅泰らが出演した光あふれるド派手なセレモニーの中に身を置いた。満員の観衆が詰めかけたハマスタで、どんな景色を見たのだろうか。

「すごかったですね。とにかく開幕戦は経験したことのない緊張感がありました。1年前とはまったく違う環境ですからね。また、たくさんの人たちに見てもらえると、自分の持っている力以上のモノを発揮できますし、詰めかけてくれたファンの方々には本当に感謝したいなと思いました」

 19歳とは思えぬこの落ち着き。すると、松尾は若干口調を強め続けるのだ。

「昨年よりも冷静に周りを見ることができていますし、改めて開幕一軍を経験したことで、やっぱりこの場所で勝負したいという気持ちがより一層強くなりました」

2軍で好成績も「しんどかった」

 昨年はイースタン・リーグで104試合に出場し、95安打、51打点、打率.277という高卒1年目としては十分すぎる成績を残すと、9月6日のヤクルト戦ではサイクルヒットを記録するなど非凡な才能を見せつけた。一見、順風満帆のようだが、実際のところは悪戦苦闘したルーキーイヤーだったと松尾は振り返る。

「初めのころは慣れないことばかりで、どうしたらいいのかわからないことも多かったですし、体と心の疲れもあって、夏場ぐらいまではしんどかったんです」

 初めてのプロとしての社会生活。学生時代とは異なり、連日のように試合があることで肉体は徐々に疲弊し、思うようなパフォーマンスが発揮できない。また捕手という立場上、初めて接する投手をいかにベストなピッチングに導くことができるのか考え抜くことで心が削られた。そしてドラフト1位という衆目を浴びる立場。まさに“キャパオーバー”だった。

ファームの首脳陣からかけられた言葉

 苦しみの渦中にいた夏の盛り、ファームの首脳陣に何度も言われていた言葉が自分を変えるきっかけになった。

「失敗を恐れるな」

 松尾は、その時のことを素直に振り返る。

「やっぱり、やらなきゃいけないってプレッシャーもあって気負っていた部分があったと思うんです。でも『自分はできへんもんや』と吹っ切れたことで、気持ちが楽になったというか、後半戦のいいパフォーマンスに繋がっていきました」

 この世界を生き抜くために必要不可欠なのは、フィジカルやスキルばかりではなく、“割り切り”と“切り替え”をすることができるメンタルだ。

「キャッチャーというポジションは、誰よりも“切り替え”が大事だと思っているので、そこは今後も意識していきたいですね」

 苦しみの末、松尾は等身大の自分を知ることによって潰れることなく、右肩上がりに成長を遂げてルーキーイヤーを終えている。

コーチが唸る「本当に素晴らしい才能の持ち主」

 松尾の最大の魅力は、自他ともに認めるバッティングである。オープン戦ではチーム1号となるホームランを放つと、11試合に出場し打率.350という数字を残した。三浦大輔監督は「松尾の打力を買いました」と評価し、開幕一軍に抜擢している。

 懐の大きい構え。投手のタイミングを読み、軸をぶらすことなく振り抜く鋭いスイング。そして速いストレートを意識しつつも、変化球を巧みに捉える適応力。シーズンに入ると、代打として2打席目となった4月2日の阪神タイガース戦で、同学年の門別啓人からプロ初ヒットを放っている。レフトオーバーの目の覚めるような弾道だった。

 松尾のバッティングについて、鈴木尚典打撃コーチは次のように語る。

「松尾は本当に素晴らしい才能の持ち主だと思います。ボールを捉える感覚に加え、この1年でフィジカルの面も成長し、打球の速さや飛距離もアップしています」

 成長速度の早さに鈴木コーチは唸った。

「松尾にかぎっては、バッティングに関して昨年1年間ほぼ触っておらず、本人の好きなように、感じたとおりにやらせてきたんです。自分で考えることのできる選手ですし、そこを更に伸ばしていってもらいたいですね。本当に近い将来、打てるキャッチャーとしてクリーンナップを担う存在だと思いますし、もっと一軍の打席を見たいと感じさせる楽しみな選手です」

プロに入っても変えなかった「スタイル」

 松尾自身、プロの速く強いボールに対応するために始動を早めたり、鋭いスイングをするために体力増強に努めたが「基本的には高校時代と変わらないんです」と言う。

「大事なのは自分の持っているスタイルを崩さないこと。細かい部分はあまり意識しておらず、来たボールに対して、待ちの姿勢ではなく自分から入っていくこと。あとはプロになって色んなピッチャーと対戦することで経験値が増えたということも大きかったと思います」

 一方で、センスだけではクリアできないのが捕手というポジションである。自身のスキルだけではなく投手の能力を引き出すことはもちろん、チーム全体に目配り、気配り、心配りができなくてはいけない。

14歳年上の先輩の戸柱恭孝に弟子入り

 松尾は捕手として成長するために、オフに先輩である戸柱恭孝に弟子入りをしている。この貪欲な姿勢。33歳のベテランに自主トレを願い出た理由を松尾は、「昨年一軍に昇格したとき(2試合帯同も出場なし)、試合での戸柱さんの様子はもちろん、チーム全体を見渡すことなど、野球以外の部分でも学べる部分が多く尊敬していたので、ぜひ一緒にやらせてもらいたいと思ったんです」と語る。

 申し出があった時の様子を戸柱は次のように教えてくれた。

「秋季トレーニングの早朝、(松尾)汐恩が近くに来たんで『どうしたん?』って訊いたら『いや……』って言って離れて行ったんです。あれ、おかしいなと思ったら、翌日に改めて『自主トレを一緒にお願いします!』って言われたんですよ。19歳の選手がベテランの選手にお願いするのは、すごく勇気のいること。だから、いいよって返事をしたんです。正直『今後レギュラーになり得る素質のある選手と一緒にやってどうするの?』という声もありましたし、自分がもし20代半ばだったら断っていたかもしれない。けど汐恩が成長することで、チームの味が変わるというか、キャッチャー陣の刺激になるし、僕自身さらに気が引き締まると思ったんで、受け入れたんですよ」

今日のことは忘れないように

 戸柱との自主トレではウェイト・トレーニングから始まり、キャッチングやスローイング、ブロッキング、フレーミングなど徹底して量をこなし、捕手の技術に磨きをかけた。

「汐恩は呑み込みが早いんですよ。教えるとすぐできるようになる。ただ、次の日に忘れていることも多い。そこは若いなって(笑)。だから練習を終えても、食事や風呂で『今日のことは忘れないように』って何度も言ってあげて。まあでも僕自身、10代の選手と共に過ごす機会を得られて刺激になったし、一緒にやれて良かったですよ」

一軍でマスクをかぶって深く感じたこと

 そんな成果もあってか、松尾はオープン戦からマスクをかぶる機会を得ると、ついに4月4日の阪神戦で、プロ初のスタメンを任された。バッテリーを組んだのは、キャンプから頻繁にボールを受けてきたアンダースローの中川颯だ。5回途中2失点という結果だったが、強力打線を相手にDeNA初登板となる中川と共に緩急を武器とする繊細なリードで必死にゲームメイクをした。

「一軍でマスクをかぶって深く感じることがありましたし、そこはファームで経験できないまったく違う部分でした。バッターのレベルの高さに加え、周りの雰囲気や緊張感。ピッチャーと力を合わせないと抑えられないし、より密な意思疎通が必要だと感じました」

松尾を安心して見ていられるのかと言われれば…

 松尾の捕手としての評価を相川亮二ディフェンスチーフ兼バッテリーコーチは次のように語る。

「守備に関してはまだまだ課題はありますが、経験というのは私たちが使わなければ一生つくことはありません。ただ1年前の姿とは大きく違いますね。スローイングやキャッチング、ブロッキング、そしてフレーミングなどは年単位で伸ばしていく部分ではあるのですが、確実に成長していますし、キャッチャーとしてのあるべき姿という部分で大きく変わったな、と」

 相川コーチは、捕手としての所作振る舞いの重要性を説く。

「正直リードに関しては、ベンチからも指示ができますし、あまり心配はしていないんです。それよりもピッチャーはもちろん、守っている選手、ベンチから見て、キャッチャーとして不安を抱かせない存在であることが大事なんです。『松尾で大丈夫か?』って目があるうちはまだまだですし、守備陣は打者に集中できない。確かに松尾を安心して見ていられるのかと言われれば、まだ足りない部分はありますが、以前よりも信頼のおける存在になっているのは間違いないです」

 松尾自身、入団した時から「チームメイトから信頼されるキャッチャーになりたい」と何度も口にしており、戸柱との自主トレ志願もしかり、そのために何が必要なのかを常に模索している。

山本祐大を筆頭にハイレベルな捕手の陣容

 現在DeNAの捕手は、昨年ブレイクし、侍ジャパンにも選出された山本祐大を中心に回っている。出番が限られてしまう松尾はまだ2年目ということもあり、ファームで経験を積ませるべきではないかといった意見もあるが、相川コーチは頷きながら見解を示した。

「ファームでいくら頑張っても、一軍にいなければわからないこともあります。一軍のゲームを体感して学んでいくのか、あるいはファームでスキルを磨くのか。そこはファームのコーチ陣とも協議して、松尾が一番成長できる方法を球団としてもプランニングしています。実際は一軍にいて成長できるのが一番いいのですが、それが叶わない場合はファームに行くことになるかもしれない。けど、そこは彼の頑張り次第なんですよ。事実、松尾は実力を示すことで、開幕一軍の切符を手に入れたわけですから」

 そのことに関し松尾に尋ねると、決意をしたようにシリアスな表情でこう言うのだ。

「自分の感覚としては、一軍にいて、より高いレベルの世界を経験することの方が成長に繋がると思っています」

一軍に残るために考えていること

 そしてひと呼吸おくと、次のように続けた。

「現状、一軍では出番も少ないですし、その中でいかにして状態をキープするのかを考えて日々を過ごしています。練習量を確保すること、与えられたチャンスを活かすこと、どうやったら一軍に残れるのかを常に上を見ながら、気持ちだけでは絶対に負けないようにやっていきたい」

 一軍デビューを果たした、若き打てる捕手。打撃と守備の両輪でチームに貢献しようと厳しい競争の中、必死にサバイブしている。

 こちらが「やりがいしかないですね」と伝えると、「はい。これからが楽しみです!」と、松尾はようやく爽やかな笑顔を見せてくれた。まだ2年目のシーズンは始まったばかりだ。

文=石塚隆

photograph by JIJI PRESS