今年の第82期名人戦七番勝負は、桜が咲き誇った時期に開幕した。初防衛を目指す藤井聡太名人(21=竜王・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖を合わせて八冠)に対して、名人戦に4年ぶりに登場した豊島将之九段(33)が挑戦している。

 両者のタイトル戦での勝負は過去に4回あり、王位戦2回、叡王戦、竜王戦でいずれも藤井が制した。12歳の藤井が豊島と初めて指した練習将棋、藤井が豊島に公式戦で6連敗から巻き返したきっかけ、名人戦の大舞台に臨む両者の思い、4月10、11日に行われた名人戦第1局の激闘などについて、田丸昇九段が解説する。【棋士の肩書は当時】

豊島は“現在の藤井1強”をすでに予測していた

 2014年12月、藤井初段(当時12歳)は師匠の杉本昌隆七段の研究会で、豊島七段(当時24歳)と練習将棋を初めて指す機会があった。順当に勝った豊島は「小学6年でこれだけ指せたら、自分のときと比べてかなり強い」と高く評価した。2017年5月、デビュー戦から負けなしで16連勝していた藤井四段は、あるイベントの公開対局で豊島八段と対戦して敗れた。藤井は「A級棋士の力というものを感じました」と語り、実力差を率直に認めた。

 2017年8月、豊島八段と藤井四段は棋王戦で対戦し、公式戦での初対局は豊島が勝った。その後、藤井は2020年10月まで豊島に6連敗した。藤井が同じ棋士にこれほど負けたのは異例のことで、5局目の時点では二冠(王位・棋聖)を獲得していた。藤井は「実力が足りないから」と語ったが、少年時代に抱いた豊島への畏敬の念によるものという声もあった。

 そんな時期に豊島は、「藤井さんの将棋には、自分には指せないという手が多いんです。特別な才能を持っています。実力をさらに伸ばしていけば、タイトルをいずれ独占するでしょう。自分はそのときに何とか戦えるように頑張りたい」と語った。現在の藤井1強の状況をすでに予測していたのだ。

王位戦、叡王戦、竜王戦と戦っていく中で

 2021年7月、藤井王位に豊島竜王が挑戦した王位戦七番勝負第2局が北海道・旭川で行われた。藤井は第1局で敗れ、豊島との対戦成績は1勝7敗。初防衛に向けて苦しい状況で、形勢も不利な局面がずっと続いた。しかし、終盤の土壇場で豊島の疑問手に乗じ、驚異の終盤力を発揮して逆転勝ちを果たした。勝ちを逃した豊島は終局後、呆然とした様子だったという。

 ちなみに、藤井は地元の名古屋から旭川への直行便ではなく、新千歳空港を経由して札幌から旭川への在来線に乗り、車窓から北の大地ののどかな景色を見て楽しんだ。鉄道好きの藤井は、大いにリラックスできたという。

 藤井が王位戦第2局で豊島に逆転勝ちしたことによって、結果的に勝負の潮目が変わった。その王位戦は4勝1敗で防衛した。さらに藤井は、叡王戦(2021年7月〜)で豊島叡王を3勝2敗で破って叡王を獲得。竜王戦(同年10月〜)で豊島竜王を4連勝で破って竜王を獲得。王位戦(2022年6月〜)で豊島九段に4勝1敗で防衛している。

藤井に2ケタ勝利している棋士は豊島しかいない

 かつては「天敵」だった豊島との関係は逆転し、藤井は前記のようにタイトル戦で豊島を4度下した。名人戦の開幕時点の対戦成績は、藤井が22勝11敗と勝ち越していて、直近で豊島に9連勝している。なお、藤井に2ケタ勝利している棋士は豊島しかいない。

 2020年6月、豊島名人が渡辺明三冠の挑戦を受けた名人戦は、コロナ禍によって2カ月遅れで始まった。緊急事態宣言が出て4月と5月は対局がまったくなかった影響で、6月と7月の対局は計14局という過密日程になった。豊島は7月以降に調子を落とし、渡辺に2勝4敗で敗退して名人位を失った。負けが込んだときは勝った棋譜を並べて復調を目指したそうだが、そのときは何をしても良くなかったという。

 豊島はその後、2020年度と22年度のA級順位戦で6勝3敗の成績を挙げたが、挑戦者争いから外れた。23年度は6連勝のスタートダッシュが生き、7勝2敗で挑戦者になった。

 2023年6月、名人戦で挑戦者の藤井竜王は渡辺名人を4勝1敗で破り、最年少記録の20歳10カ月で名人を獲得した。藤井新名人は「名人は特別な重みのある称号。今後はそれにふさわしい将棋を指していきたい」と会見で語った。

 記者から具体的に問われると、「少しでも技術を高め、面白い将棋を指せるように努めたい」と答えた。なお、藤井が考える面白い将棋とは、サーカスの曲芸みたいな派手な立ち回りという意味ではない。終盤で結論が出ないほど難解な将棋を指すことだという。

藤井と豊島は名人戦前、何を語ったか

 藤井名人と豊島九段は今年の名人戦に臨み、インタビューなどで次のように語った。

 藤井「豊島九段は最近、いろいろな戦型を指します。未知の局面になったとき、中途半端に知識に頼るのは良くないので、初心に帰って盤面に没頭します。勝ち負けを意識せず、極限まで考えられる瞬間が面白いです」。名人戦の記念扇子には《初心》と揮毫した。

 豊島「将棋のスタイルを少しずつ変え、挑戦し続けたいと心がけています。居飛車党の私は23年度に振り飛車を何局か指しました。名人戦では終盤まで競り合えるような将棋を指したい。それには集中力が大事です」。同じく記念扇子には《一心不乱》と揮毫した。

豊島が「振り飛車」をほのめかしたが

 そんな今年の名人戦七番勝負第1局は4月10、11日に東京都文京区「ホテル椿山荘東京」で行われた。名人戦が毎日新聞社と朝日新聞社の共催となった2008年の第66期以降、開幕局の対局場として定着している。

 第1局では恒例の「振り駒」が行われ、藤井名人が先手番に決まった。両者の過去33局の戦型は、主に「角換わり」と「相掛かり」で二分されていて、直近では前者が多かった。

 豊島九段は4手目にわずか1分で9筋の端歩を早めに突いた。新しいスタイルの「振り飛車」をほのめかしたが、すぐに居飛車を明らかにした。藤井に▲3四飛と横歩を取らせる「横歩取り」の戦型になった。

 両者の過去の対戦で横歩取りは、2020年9月の将棋日本シリーズJTプロ公式戦での1局(豊島が後手)のみ。激しい攻め合いの末に豊島が勝った。名人戦はその一戦とは別の展開になった。

 豊島は事前に研究してきたようで短時間で指し進め、△2七角と敵陣に打った。しかし、藤井の応手が意外だったのか、当然の一手の次の△4五角成に102分も長考した。

 藤井も中段に角を打って▲5三角成で馬を作った。双方の飛車と馬が中段でにらみを利かし、一触即発の空気がみなぎった。ただ直後に馬と馬が交換され、序盤の駒組み手順に落ち着いた。豊島が力将棋に持ち込む意図は不発になった感じだ。その後、藤井は飛車を8筋に転じて「ひねり飛車」のような戦型となった。

藤井の懸命な粘りに対して、ノータイムでの香車が…

 2日目の午後、豊島が△9五角と飛車取りに打って局面が動いた。働きが限定されて指しにくい手だが、藤井の攻め駒を抑える狙いがあり、角を4筋に転換して戦機をうかがった。少し苦しいと思った藤井は▲4六角と打って攻めにいった。以後は激しい攻め合いとなった。豊島が藤井の玉に襲いかかると、藤井は懸命に粘った。

 そして終盤の局面――豊島は残り時間を17分残している中で、ノータイムで金取りに打った△4四香が敗着だった。△4八竜で金を取れば勝ち筋になったところで、最後の集中力が欠けていた。

 窮地を逃れた藤井は、しっかり寄せ切って141手で勝った。終局は21時22分。

 豊島は「チャンスの局面があったのに、正しい寄せを逃したのはひどかった。ただ持ち時間が9時間の名人戦の対局を4年ぶりに経験できたのは良かった」と、前向きに語った。

 藤井は「あまり想定されていない展開となり、内容的に押されている時間が長かった。しっかり振り返って次局につなげたい」と、反省の弁を述べた。

大山十五世名人の持つタイトル戦連勝記録まであと1勝

 藤井名人は名人戦第1局に勝ち、初防衛に向けて好発進した。第2局は4月23、24日に千葉県成田市「成田山新勝寺」で行われる。また、藤井は本局に勝ってタイトル戦の対局で16連勝し、大山康晴十五世名人が持つ歴代記録の17連勝まであと1勝と迫っている。

文=田丸昇

photograph by 日本将棋連盟