その勢いは本物か、それとも瞬間風速か――。

 球団史上初の屈辱である2年連続最下位に沈んだ中日ドラゴンズが、セ・リーグで注目の的となっている。2016年以来となる8年ぶりの単独首位にも立ち、全国放送のスポーツニュースでも頻繁に取り上げられる。2022年から就任した立浪和義監督が断行した大改革。ようやく目にみえる結果となって表れ始めてきた。

 なんといっても話題の中心は、巨人から出場機会を求め移籍した中田翔(35歳)だ。日本ハム時代は3度の打点王に輝くなど、ここ一番の勝負強さに定評があるスラッガー。休養を挟みながらではあるが、開幕から4番に座り、ここまでチームトップとなる10打点を挙げている(4月27日現在)。

 ド派手な金髪スタイルの見た目込みで、チームに新風を吹き込んだ中田。実際のところ、チーム内での評判はどうなのか。中日選手たちに直撃した。

 中田の打順の前後を打つことが多い打線の主軸、細川成也は、中田についてこう語る。

「打席を見ていても勝負強いですし、勉強になる部分は多い。打てない時も声をかけてくれて『打てないからといって、変えなくていい』と言ってもらっている」

 取材を進めるにあたり、多くのチームメイトから聞こえてきたのは、中田の勝ちへの執念とその発信力だった。

証言1…「ベンチでボソッと言うんです」

 22年シーズンの途中にオリックスから移籍した後藤駿太は、中田の加入によるチームの変化を瞬時に感じ取ったという。名古屋の老舗球団に移籍してきたからこそ分かる、雰囲気を明かしてくれた。

「中田さんの存在は、チームにとってめちゃくちゃ大きいですよ。(4月16日のヤクルト戦の終盤の逆転劇も)中田さんのおかげです。中田さんがいて、さらに細川もいるから相手もなかなか気が抜けない。『今年ドラゴンズ強いな』って思ってもらえたら、これからの試合、ここ一番で絶対こっちが優位になる。中田さんよく『勝ちたいわぁ』ってベンチやロッカーでボソッと言うんですよ。去年までは、心の中で秘めていても直接そういうことを言う人はいなかった。僕は“外様”なんでよくわかるんですけど、そうやって発言するのはすごく勇気のいることだと思うんです。

 でも、中田さんが言うことで、ロッカーでも言いたいことを言えるようになった。『今日の勝ちは大きいよな』『今日は負けたけど次に繋がるよな』って自然とポジティブな声が出るんです。グラウンドやベンチだけでなく、裏もすごく雰囲気がいい。いい意味で何も恐れない中島(宏之)さん、中田さんがチームに入ったことで劇的にチームは変わったと思います」

証言2…黒星の右腕に「マジでごめんな」

 ドジャース・大谷翔平を彷彿とさせる、竜の次期エース候補・梅津晃大も、中田の気遣いに奮い立ったという。今季初登板だった4月4日の巨人戦の試合後だった。6回2失点で黒星を喫し、ウエイトルームで肩のケアをしていた右腕をわざわざ探しだし、「梅津、ナイスピッチング。今日は勝てなくてごめんな……」と労ってくれた。同14日の阪神戦でも8回2失点で再び黒星がついた右腕。今度はロッカーで顔を合わせると「『マジでごめんな』と言ってもらった。その試合、翔さんヒット打ってるんですよ。なんか、こっちが逆に……って感じになるくらいめちゃくちゃ優しい。そういう言葉とかを求めているわけではないです。ただ翔さんみたいに、長年活躍していればそういうこと言わなくてもいいと思う中で、わざわざ探して言ってくれるのは本当に嬉しかったし、奮い立ちました。2月のキャンプ中も、翔さん主催の『投手会』を開いてくれました。そこで野手目線の話をたくさん聞くことができた。そして『このチームで絶対勝とうな』って。そういう機会はなかったんで、本当に頼れる存在だし、心強い“お兄ちゃん”のような存在です」

 中田本人のインスタグラムにも登場したが、2月のキャンプ休日前に沖縄・北谷にある鉄板焼き店を貸し切り、北谷メンバー(年齢が35歳以下のメンバー)と語り合った。支配下に最も近いと評される期待の若手・松木平優太投手も最初は、強面の見た目に圧倒されたというが、「すごく優しく喋りかけてくれて、中田さんは『投手のみんなは思い切ってインコースにバンバン投げればいい。もし何かあったら俺が守るから』といってくださいました。本当に“大将”というか、心強いです。早く一軍で一緒に野球がしたいです」と心待ちにした。

証言3…かつて「待ち受け画面が中田だった」選手

 取材を進めていると、ナゴヤ球場で“中田翔ファン”に遭遇した。二軍で調整中の龍空だ。滋賀出身ということもあり阪神で長く遊撃を守った鳥谷敬氏への憧れを持っていた一方、闘争心あふれるプレースタイルに幼い頃の龍空少年が心酔したのが背番号6だったという。かつて携帯電話の待ち受けも中田の写真だったとか。龍空は「いや、もう全部かっこいいですよ。小さい頃からずっと好きでした。そういう方とまさか同じユニホームで野球するなんて思ってもなかった。実は去年、翔さんに話しかけて『ファンでした』って告白したら、ご飯に連れてってもらうことになって。翔さんと、ジャイアンツからは横川(凱)さん、秋広(優人)、中山(礼都)がいて、ドラゴンズは僕と福永(裕基)さんがいました。そこからの縁なので、今は(一軍と二軍で)あまり会えなくて寂しいですけど、一軍に上がって早く一緒に野球がしたい」と明かした。

 紹介し切れなかった多くの証言で一貫していたのは、中田が「勝ちたい」という言葉を周囲に発信し続けていること。それを聞いたチームメイトが、それぞれの立場で刺激され、突き動かされていた。

グッズの売上「チームダントツ」

 好影響はグラウンド外でもあった。2月の沖縄キャンプで販売されたグッズの売り上げは、チームダントツ。背番号1に変更した人気選手・岡林勇希が「中田さんには敵わない……」と早々に白旗をあげるほど爆売れだった。球団関係者も「日本ハム、巨人時代から根強いファンもいらっしゃいますし、ドラゴンズに来て新たにファンになった方も多くいたと聞きます」。球場では大混乱を招くため制限はあったものの、時間があればペンを走らせてサインを書き、子供たちに優しい眼差しを送った。

証言でわかった「中田の影響」

 唯一、不安な面を挙げるとするならば予期せぬ離脱だ。プロ17年目となれば、常に健康体でなど言っていられない。満身創痍で日々グラウンドに立っている。5度もゴールデン・グラブ賞を獲得する実力者ゆえ、守備固めで試合の終盤に交代させることも簡単な判断ではない。それでも首脳陣は常に「最悪の事態」を回避すべくリスク管理をしている。

 ドラゴンズの直近10年でのAクラスは、コロナ禍で開幕が遅れクライマックスシリーズが開催されなかった20年の一度のみ。現有戦力の大半が、ひりついた上位争いを経験していない。ここまでの証言を聞けば、中田の存在は外部から見ている人間の想像を超えるほど大きい。立浪監督が慎重に起用する理由も大きく頷けるし、中田、中島、涌井秀章といった他球団で日本一を知るベテランに、細川、岡林、石川昂弥ら若手の勢いが交わって優勝してこそ、長年無理難題と言われ続けた「若手の成長と結果」がようやくリンクしてくる。

 まずは8年前に越えられなかった「5月の壁」が竜を待つ。前回単独首位に立った16年は、5月8日に首位となったものの、その後はずるずると後退し順位を下げ、終わってみれば借金24の最下位に沈んでいる。桜の季節も終わり、初夏が近づく。「翔竜」に期待は膨らむ。

文=長尾隆広

photograph by JIJI PRESS