GP2試合を連勝し、世界選手権でも優勝候補の一人だったシャオ・イム・ファ。その彼が世界選手権のSPで2度ミスし、19位スタートになったのは予想外のことだった。プレッシャーが大きすぎたのだろうか。
「SPもフリーも、滑る前に感じたプレッシャーは同じでした。GPファイナルで感じたようなストレスはなかったのですが、攻める気持ちが十分でなかったのかもしれません。SPの後とても失望して、自分に腹をたてていました。フリーでは、とにかくできることを全てやるということに集中しました」
バックフリップを決意したのは「跳ぶ12秒前」
フリーではコレオシークエンスの部分で、禁止技のバックフリップを入れた。バックフリップをここで見せるといつ決めたのだろうか?
「実際に跳ぶ12秒前くらいです(笑)。フライング・チェンジフット・コンビネーションスピンの後くらいに。良い演技ができたし体調も良く、バックフリップを入れたらいいかな、と。それまでは全然考えていなくて、良い演技をしたいとしか思っていなかった。でもこのプログラムはバックフリップを入れたらさらに良くなると思ったんです」
観客たちからは熱狂的な歓声と拍手を受けたものの、ジャッジからは2ポイントの減点を受けた。それでもフリー206.90でイリア・マリニンに次いで2位。総合でマリニン、鍵山優真に次いで3位と、SPから実に16人抜きを果たした。
なぜ今季、あえて禁止技に挑んだのか?
シャオ・イム・ファがバックフリップを試合で見せたのは、上海杯、ニース杯、ヨーロッパ選手権に続いて4度目のことだ。今季あえて禁止技を入れることに決めた経緯は、何だったのか。
「初めて習ったのは昨年の5月で、実は日本のアイスショーでSPを滑っていた時に、バックフリップを入れたらかっこいいかもと思いついたんです。何人かのジャッジに聞いて回って、試合でバックフリップをやったらどんな減点を受けるのか、失格になるのか確認しました。2ポイントの減点だけだと聞いて、それならやろうと思ったんです」
アイスショーでバックフリップを演じるスケーターのほとんどは、過去に体操をやっていた経験がある。だがシャオ・イム・ファはそうではないのだという。
「僕のコーチが体操の経験があり、氷の上でもバックフリップをやっていた。その彼から習ったんです。危なくないように最初はフロアで練習をして、それを2週間毎日やった。ハーネスとヘルメットをつけて、段階をふんでやりました。氷の上に移ってからは最初の日は怖くてできなかった。不安だったらやるなと言われていたので。でも次の日は自信がついたのでやってみようと思ったんです」
結局、氷の上では2日間でマスターしたという。
体力的には“2回転ジャンプ程度の負担”
だが通常ならスケーターが新技をマスターするのは、より高いポイントを得るためだ。減点されるとわかっている技を、なぜわざわざ時間をかけて学ぶことにしたのか。
「スポーツをプッシュするために、新しいコレオジャンプを入れたかったんです。このスポーツにはたくさんの可能性があるけれど、バックフリップが禁止されていることが少し残念でした。できるスケーターはたくさんいるし、それぞれが得意なことを見せることができたらと思ったんです」
体力的には2回転ジャンプ程度の負担だという。危険だと言われているが、彼によると一旦習得してしまえば難しくはない。
「フィギュアスケートは、アスレチズムと芸術を融合させる稀有なスポーツ。もっと色々な可能性に挑戦してみたいんです」
禁止技を演じたのは、彼が初めてではない。よく知られているように、1998年長野オリンピックではスルヤ・ボナリーがやはりバックフリップを跳んだ。また2011年欧州チャンピオンのフローラン・アモディオが当時まだ禁止されていた歌詞入りの音楽で滑ったこともあった。いずれもフランス代表の選手である。
「我々フランス人は、良い意味でルールをちょっと破ってプッシュすることが好きなのかも」と笑う。
「自己流でやろうとしては絶対にダメ」
ISU(国際スケート連盟)は、6月の総会でこの技を解禁させる可能性が高い。そうなると他にも試合でこの技に挑んでくる選手が出てくるだろう。
「それは良いことだけど、一番大事なのは安全な方法で学ぶこと。自己流でやろうとしては絶対にダメです。準備ができていなければ、やるべきじゃない。他のジャンプもそうですが、準備のできていない子供にいきなり3アクセルや4回転をやらせませんよね。それと同じです」
同じくISU総会で、フリーのジャンプ要素を7本から6本へと減らす提案も出されている。それによって生まれる時間の余裕はおよそ15秒と言われているが、これについてはどう思うのか。
「フリーはジャンプ、ジャンプなので、ステップシークエンスを別にすると本当の振付を見せる時間がなかった。だからこれは良いことかもしれません」
現在は4アクセルに挑戦中
現在彼はルッツ、サルコウ、トウループの4回転をプログラムに入れているが、何か新しい技を練習しているのだろうか。
「4アクセルを練習しています。実は18歳くらいから練習していたのですが、一度ひどい転倒をして足首を負傷したので中断していました。でも今はどう準備をしていくのかわかっているので、時間はかかるかもしれないけど、できるようになると思います」。もし成功したら、マリニンに次いで史上2人目になる。
2026年のミラノオリンピックまで、世界のトップはマリニンと彼、そして日本男子勢の戦いになっていきそうだ。
「彼らとはジュニア時代から一緒に試合に出てきて、お互いをプッシュし合ってきた良いライバル。特にイリアとは『アート・オン・アイス』の時に一緒に練習する機会があって、とても刺激を受けました」
「ギターが趣味のトライリンガル」シャオ・イム・ファの素顔
スケート以外はどんなことに時間を使うのか。そう聞くと、現在オンラインでコミュニケーションとグラフィックデザインを学んでいることを教えてくれた。ブログを作って、スケート以外の日常や旅行の記録などをまとめたいのだという。学業以外ではギターで、歌とピアノも学び始めた。試合の遠征には、エレクトリックギターを持っていく。
彼はフランス生まれだが、両親はインド洋に浮かぶモーリシャス共和国出身。親しみのわく優しいアジア系の容貌は中国系の祖父母から受け継いだものだが、中国語は全然わからないと笑う。フランス語、家族で使っていたクレオール語、英語のトライリンガルだが、今は韓国語とロシア語を学び始めた。「日本語も学びたいのですが、韓国語と比べてみて、日本語の方が難しそうだったので断念したんです」と、笑顔を見せた。
文=田村明子
photograph by Akiko Tamura/Getty Images