生まれは鹿児島の薩摩隼人。育ちは大阪。名門・浪商のケンカ野球で生を受け、明治大学島岡学科の首席卒業と呼ばれた神宮の華から、V9巨人の川上野球を骨身に刻み込んだ現役時代。引退した後は、日本ハム監督、巨人二軍監督、北海道移転後の日本ハムGM、ヤクルト監督と各地を転々としながら、若いチームの土台づくりを担ってきた。

 一線を退いていた2011年12月。親会社が変わったDeNAベイスターズから三顧の礼で迎えられ、チーム作りを任されるGMに就任。焼け野原の中から7年間かけ、チームの土台をつくりあげると、2018年いっぱいでGMを退任した。御年78歳。第一線から退いて早5年。高田繁が語ったプロ野球「ルーキー論」とは?<NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む>

高田繁の「記憶に残る」ルーキーは?

――これまで高田さんが出会ってきたルーキーで一番に思い浮かべる選手は誰ですか。

高田 たくさんいますよ。だけどまぁ俺が日本ハムの監督になって最初のドラフトで入ってきた田中幸雄(1986年〜2007年/日本ハム)は違ったね。高卒野手にしては身体ができていて、パンチ力はあるし素晴らしい肩も持っていた。惚れ込むというか、使いたくなる魅力のある選手だった。

 ところが一塁へとんでもない暴投はするわ、粗削りだわで、周りのベテランからすれば「なんでこんな選手を使うんだ」と文句も出るし、起用法で衝突もする。でも監督は惚れ込んだ選手を使う特権があるんや。幸雄の暴投で何試合落したかしらんけどな、目を瞑って使っているうちに成長を見せてくれた。それはよろこびのひとつだよね。

――田中幸雄さんは、のちにショートでゴールデングラブ賞を5回獲りミスターファイターズという偉大な選手となりますが、高卒1年目の6月から一軍に出場して、開幕スタメンに抜擢した2年目は年間で25失策しています。ガマンされましたね。

高田 それが出会い。それが監督としての醍醐味や。あの年のショートには高代延博がいて、社会人出のドラフト1位広瀬哲朗もいた。高代は実績があり、広瀬も粘りのあるいい選手やったけど、指導者が惚れ込む魅力からしたら田中幸雄や。パッと見た瞬間にああこいつは磨いたら光るダイヤの原石やとわかる。勝敗は別として、チームを作る上で、そういう原石の若い選手がいないチームに未来はないよな。

――そんな高田さんから見たDeNAのドラ1・度会隆輝の魅力はなんですか?

高田 まずはヘッドの走りがいい。インサイドの厳しい球もうまく捌ける。そしてなにより、2ストライクまであれだけ思い切って振れるでしょ。それでいて空振りがあんまりない。さらに追い込まれても粘れるしね。あのバッティングは使いたくなるね。ただし、野手は夏に活躍しないといい成績は残せない。これからピッチャーが疲れてきて、暑くなっていくなかでの試合を、どう乗り切っていくかがカギだけどね。

一般的には難関だが…「夏が得意な新人もいる」

――やはり疲れがピークに来る夏場はルーキーの難関でもあるんですね。

高田 いや、壁に当たらない選手もいるし、夏が得意な新人もいる。現に俺なんか、プロに入った1年目に「疲れた」と思ったことないよ。

――さすが浪商、明治大学と野球地獄を潜り抜けてきた体力ですね。

高田 俺がルーキーの年のはじめての夏は、川上さんに指名されて10日間マンツーマンで特別練習をしていたよ。不調だったわけでもないけど、今のうちにやっておこうという考えだったのかもしれないね。あの頃、夜の7時プレーボールやったけど、昼の1時に炎天下の後楽園に行ってね。1対1で毎日特打ちをやる。それが終わったらロッカーで昼寝して、5時頃から全体練習に合流してそのまま試合をやってね。

――高田さんは入団1年目からV9メンバーのレギュラーに割って入り打率3割、新人王と日本シリーズMVPまで獲ってしまったわけですけど……身をもって「そういうルーキーもいる」ことをまずはご自分で証明しているわけですね。

高田 いやいや、俺自身は活躍できるなんて思ってはいなかったのよ。なぜってV9の4回目の年がルーキーだからね。メンバーは長嶋さん王さんを筆頭に盤石や。ドラフトで巨人に指名された時、周りは「よかったね、よかったね」と喜んでくれたけど俺は一番行きたくなかった。試合に出られないじゃない。

 幸い俺には足と守備と肩があった。でもプロはバッティングが違うんや。レギュラーになるには、一軍の主戦級のボールを打てるかどうか。最初は代走・守備要員でベンチに入れるように頑張ろうというのが正直なところだったね。

――そこからキャンプ、オープン戦と使われた試合で結果を残してレギュラーに定着したんでしたね。

高田 だんだん「やれるなぁ」という自信がついてきた。オープン戦で2割8分ぐらい打って、開幕戦に途中から守備で出場して初打席で大洋のエース平松(政次)さんからセンター前ヒットを打てた。その翌日からスタメンに定着することが出来たんだよ。

――さきほどの夏の特別練習にもつながる話ですが、「苦しい練習の末にこそ本当の力が付く」を信念とした川上監督は開幕から順風満帆すぎる高田さんを二軍に落としたかったと聞いたことがあります。

高田 1カ月ぐらい二軍でじっくり鍛えさせたかったんだろうね。今のベイスターズとは事情が違って、あの時の巨人には国松彰さんや高倉照幸さん、森永勝也さんら実績のある外野手もいて、戦力に余裕があったからね。ある試合にライトで出場したら、セカンドの後方にフライが上がって、土井(正三)さんが声を出したから任せたんや。ところがこれがテキサスヒットになってしまった。ベンチに帰ったら、川上さんから「明日から多摩川(二軍)に行け」だからね。あれは土井さんが悪いんやで(笑)。

レギュラーになるには「運」も必要

――牧野茂ヘッドも「高田は新人としてはあまりにも優秀すぎた」と回想していますが、高田さんを二軍に落とす口実を川上さんはずっと狙っていたようですね。

高田 それはわからん(笑)。でもまぁ監督命令だから行くよりしょうがない。ところが翌日多摩川で二軍に合流したら、国松さんが自打球で骨折したからすぐに戻ってこいとなった。

――レギュラーになるには、運も必要だとわかるお話です。

高田 そこからはずっと一軍にいたよ。体力といったって、野球なんてサッカーやラグビーやバスケットに比べたらラクなもんだ。試合時間の半分は座ってるし、ボール飛んでこなきゃじーっとして動かない。だから野球は毎日試合があるんだ。ならば、ほかの時間をどうするのか。身体を休める、練習をする。あとは、夜の町に飲みにだって行けてしまうやろ。活躍すれば誘惑も多くなるからな。

――注目される選手の宿命でもあります。

高田 俺はあの時代の巨人だったこともあるけど、「高田さん、高田さん」ってあらゆる世界の人たちが寄って来る。これがまた気を遣うやろ。ただ幸いにも、俺の場合は元々人と酒を飲んだりメシを食べるのが好きじゃなかった。ネオン街も嫌だし、カラオケも女の子のいる店も好きじゃないと、ちょっと変わった人間なのよ。

――チームメイトに銀座の盗塁王さんなどがいらっしゃる中で、高田さんはご結婚も1年目のオフに中学の同級生とされていたり、野球に集中する環境を整えていたんですね。

高田 そうそう。最後は体力勝負。結局、体力のあるやつには勝てんのよ。夜の町に繰り出す選手でも活躍できる人はいるよ。ただ、俺の場合はやっぱりこの身体だったからね。試合が終わったら真っ直ぐ家に帰って早く休んで明日の試合に備えるしかない。

 毎日外にフラフラ飲みに出歩いていたら一年間体力的に持たなかったやろうな。そういった意味でも、これから来る夏は体力的にも相当気を遣わないけない。若いうちに野球に一生懸命になれるか、だろうね。

「度会はスター性も抜群にある」が…?

――プロの世界に入って周囲の環境が激変していくなかで、順応できる環境を自分でどれだけ整えることができるかというのも成功する条件なのでしょうね。

高田 そうそう。特に度会なんかはスター性も抜群にあるしな。さらに球場でも歌ってしまうぐらいのタマや。いいじゃない。ただな、歌好きは気をつけなアカンよ。オフに歌う分だけにしてくれりゃあ文句はないけどな(笑)。              

文=村瀬秀信

photograph by JIJI PRESS