井深大、兄盛田昭夫とともに黎明期からソニーの発展を支え続けたビジネスリーダー、盛田正明氏。ソニー・アメリカを指揮し売上スケールを10倍に拡大、ソニー生命では社長兼会長として、金融事業の大きな成長を実現させた。

70歳でソニー退任後は盛田正明テニス・ファンドを設立、ソニーで培ったリーダーシップで、錦織圭ら世界で活躍するプロプレーヤーを輩出。日本テニス協会の会長としても、組織の変革を行い発展に寄与した。

技術者からスタートし、グローバルでのマネジメント、未経験の保険事業の拡大、さらには、テニスのジュニア育成の成功など、フィールドを選ばないリーダーシップは、オーケストラを鑑賞していたときのある気づきから生まれたものだった。

※本稿は、盛田正明・神仁司共著『人の力を活かすリーダーシップ』(ワン・パブリッシング)より、内容を一部抜粋・編集したものです。


いい人材は、役割によって違うもの

ソニー・アメリカ時代の経験を踏まえて、私が思ういい人材ですが、部門によって違います。セールスをする人、事務をする人、製造をする人、それによってみんなタイプが違います。

ソニー・アメリカで主に製造を見ていた私も、だんだんとセールスをするようになったのですが、セールスの人とは、たとえ日本人同士であってもメンタリティの違いを感じました。

私は技術者なので、セールスの日本人よりもアメリカ人の技術者と話したほうが話が通じると感じていました。言葉が違うだけで、やはり技術者は、世界中どこに行っても技術者のメンタリティを持っています。セールスはどこに行っても、セールスのメンタリティを持っています。

一番尊敬されるのは、クリエイティブな人です。何か同じことするにしても、「ハッ」と思うようなことを言う人は、どこの国の人であろうと、「オッ」と思われます。

自分がどういう技術者か自己分析すると、私はものすごく不器用です。むしろアイデアや人の面白がるようなことを考えることが得意です。人がびっくりするようなものを作るという才能はまったくないと思っています。

そういうわけで、時々自分は技術者なのかなと考えることがあります。技術者ではなく、むしろ、マネジメントのほうが興味ありますから。


「現場に勝てない」という現実に直面

実は、これには一大転機がありました。

1954年からソニーの仙台工場にいた時には、私は材料を扱って磁気テープを作ったり、いろんな部品を作ったり、そういうことを勉強してきました。

本当に一番かどうかは分かりませんが、「この分野では自分が一番だ」と考えていました。また、そういう自負と自信を持って、一生懸命みんなを指導していました。

1968年に突然、井深さんから厚木の半導体工場へ行けと言われて、その工場の副長、ナンバー3として赴任することになりました。仙台での材料とは違い、私は半導体をまったく勉強していませんでしたから、何とか熟知しようと努力しました。

しかし、みんな優秀な半導体技術者ばかり。しかも、ソニーの基幹部門で、トランジスタを全部作った人たちなので、どう考えても私は勝てないのです。自分は工場のナンバー3の立場なのに、どの技術者とディスカッションしても、「勝てない」と思ってものすごいショックを感じました。だから、指導なんかできっこない。

仙台では、何を聞かれても答えられて、「俺が技術部門を引っ張っているんだ」という自負でやっていました。しかし、厚木では、「本当にどうしたらいいのか?」と深刻に悩んだのです。「こうやったほうがいい」とアドバイスしたいが言えない。「俺は何で上の立場にいるんだ、俺は何をしたらいいんだ」と悩みました。厚木工場に行った時ですから、私が40歳手前くらいの時だったと思います。