日本で信仰されている「七福神」。お正月の縁起かつぎである「七福神めぐり」の風習が生まれ、現在でも多くの人が、七福神を祀っているお寺や神社に詣でています。新聞や雑誌等で、数多く執筆されているマーク・矢崎さんが、七福神の歴史、そして「東海七福神」について紹介します。

※本稿は、マーク・矢崎著『いにしえからの贈り物 お守り・厄除け・おまじない』(説話社)より、一部を抜粋・編集したものです。


初夢と七福神

七福神とは、恵比寿天、大黒天、福禄寿、布袋尊、毘沙門天、寿老人、それに紅一点の弁財天を加えた七人の神様。宝船という金銀財宝が積まれた船に乗り、はるか唐、天竺(インド)から日本にやってきた外国生まれ神様だ。

そして七福神は神様と言いながら、なぜかお寺と深い関係があり、それぞれの神様にお祈りをするご真言もある。もともとはインドから中国を通って、仏教が日本へと伝わった際に、その仏教を守護する神様として、各地の土着の神様が仏教と一緒に伝わってきたものなのだ。

そして本来は、お多福や達磨、お稲荷さんや吉祥天などの福の神をもう1つ加えて、仏教ゆかりの蓮の花の花弁にちなんで、八福神とされていたのが、七難即滅、七福即生という七福神のご利益にちなんで、今の七福神の神様に落ち着いたというわけだ。

年が明けて初めて見る初夢は、その一年を占う大切な夢。もちろん悪い夢なんて見たくはないし、願わくば、金銀財宝に包まれる縁起のいい夢を見たいものだ。

昔の人は、悪い夢を見ると、夢の意味をいい意味に置き換える、「夢違え」という儀式を行なったと言われている。その夢違えの儀式から、悪夢を食べる獏の伝説や、夢判断などのおまじないや伝説が生まれた。

そこで昔の人は七難即滅、七福即生という七福神のご利益にあやかって、宝船の絵を枕元に置き、「長き夜の、遠の眠りの皆目覚め、波乗り船の、音のよきかな」という呪文を三度唱えて眠るという、いい初夢を見るためのおまじないをするようになったのだ。


日本最強の風水パワーも得られる? 「東海七福神」めぐり

初夢と七福神の乗った宝船の関係が生まれると、いつしか七福神のご利益を求めて、お正月の初詣に、七福神を祀ったお寺や神社にお参りをする、七福神めぐりという風習が生まれた。

お正月の七草や、春の七草、秋の七草ではないけれど、七という数は縁起がよい数とされている。七つの神様をめぐる七福神めぐりは、お正月の縁起かつぎの風物詩となった。

日本全国各地で、七福神めぐり、七福神詣で、といって設けられている。ここでは、「東海七福神」をご紹介しよう。そしてぼくがめぐった東海七福神には、もう1つ紹介するだけの深いわけがある。

皇居に流れ込む日本最強の風水の通り道、龍脈の1つが、東海道を通っていると語られるが、この東海七福神は、まさに旧東海道沿いに点在する七福神で、この七福神めぐりをすることで、日本最強の風水パワーもいただける、というわけなのだ。

毎年、元旦から15日までの七福神めぐりの期間には、宝船の絵が描かれた色紙が売り出される。ぼくのおすすめは、初詣でで、七福神めぐりをしてご朱印を集め、1月2日の初夢の晩に枕元において眠ろう。

きっと新年の幸運がいっぱいの、いい初夢が見られるはずだ。ではさっそく、東海七福神めぐりへ!


開運の神様 大黒天(品川神社)

東京・京浜急行の新馬場駅北口を降りて、第一京浜国道を挟んだ向かい側に、大黒天を祀る品川神社がある。大きな鳥居のある長い石段を挟んで、品川神社と彫られた大きな石柱と、俵に乗って打出の小槌を振り上げた大黒様の石像が並んで立っている。

この品川神社はその昔、源頼朝公が海上の安全を祈願して建立し、徳川家康が関ヶ原の戦いに戦勝祈願をしたという由緒正しい神社だ。

この境内には、都内で最大級の富士塚や、水の神様のカッパを祀ったみたらし、金運のパワースポットとして有名な一粒万倍の泉など、いろいろなご利益様が点在する。

大黒様は国作りと農耕の神様。本来はインドの神様だけど、日本に伝来したときに、大国主の命という神様と同一視されて、今のお姿になったのだとか。

大黒様のご利益は、一粒万倍の泉のご利益のように、1つのいいことが千倍にも万倍にも増え広がっていく、そんなご利益を与えてくれる神様なのだ。


金運の神様 布袋尊(養願寺)

品川神社から国道を渡り、新馬場駅前の道を進んで、左の路地を入ると、品川虚空蔵尊と呼ばれる養願寺がある。東海七福神の布袋尊が、祀られているお寺だ。

普段は、虚空蔵菩薩が祀られて、無限の知恵や望みのものを好きなだけ授けてくれるという、太っ腹な仏様がメインのお寺。お正月の七福神めぐりの期間は、同じ太っ腹つながりで、本堂に布袋尊が置かれ、布袋様のご朱印をいただけるとのこと。

布袋様はでっぷり太った笑顔の仏様で、もともとはあらゆる欲望を乗り越えた徳の高い中国のお坊さん。手にした袋は、さまざまな富や欲望を押し込めた堪忍袋で、富を求める者には、その袋から金銀財宝を取り出して与えてくれる、と言われているのだ。

布袋尊は福徳円満の神様だから、金運はもちろんだけど、人間関係や友情、恋愛などの、人と人とが仲良くなって、円満にしてくれる働きもある。


長寿の神様 寿老人(一心寺)

養願寺の本堂を背にして参道へ目を向けると、路地の向こうの旧東海道を挟んだ正面にあるのが寿老人を祀る一心寺。このお寺は、別名、品川のお不動様と呼ばれ、千葉の成田山新勝寺の不動尊を分霊したお不動様が本尊で、寺の前を旧東海道が通る由緒正しいお寺なのだ。

またこのお寺は焙烙という素焼きのお皿を頭に乗せて、その上に大きなモグサを載せて火をつける、「焙烙灸」という風習が残っている。

毎月28日に行われる行事で、七福神めぐりと同時には体験できないが、肩こりや頭痛持ちなど、肩から上の病気にはご利益があるとのこと、興味のあるあなたはぜひ体験してほしい。

一心寺にお祀りされている寿老人は、中国の道教の神仙で、南極老人星と呼ばれるりゅうこつ座のカノープスという星の化身とされている神様。寿老人という名前が示すように長寿のご利益をもたらす神様だ。

不死の霊薬が入った瓢箪を持っていて、どんな病気も治してくれて、不死の命を授けてくれるというありがたい神様だ。

寿老人は、鹿に乗ったり、鹿を連れた姿で表されることが多いが、藤原氏の氏神である奈良の春日大社の神様は、茨城県の鹿島神宮から鹿に乗ってやってきたという伝説があり、寿老人は、春日大社の神様と同一視されている。


商売繁盛を願う 恵比須天(荏原神社)

一心寺の前の旧東海道を左に下って、山手通りを越えて品川橋の手前を目黒川沿いに右手に折れると、東海七福神の恵比須天を祀る荏原神社がある。 目黒川沿いの参道の鳥居の脇には、品川神社の大黒様と対になるような、大きな石の恵比須様の像が立っている。

恵比須様の「えびす」には、多くの当て字があり、蛭子、恵比須、恵比寿、夷、戎などいろいろに書かれている。夷、戎は昔、北海道を蝦夷と言ったように、辺境の地の異民族という意味がある。つまりえびす様は、本来は、海を越えてやってきた海外の神様、という意味があるのだ。

また漁師は、海で漂流する異人の遺体を見つけると、えびす様が来なさった、と手厚く供養した。すると、そのお礼として必ず大漁になったとされ、そこから漁業の神様としての、えびす様信仰が生まれたのだ。

しかし七福神が広まるにつれて、海を漂流することから日本神話の葦の船で海に流された蛭子神や、海の彼方の常世の国から来た事代主の神と同一視され、烏帽子に狩衣姿の日本の神様の姿で表されるようになった。

また縁起物としてえびす様と大黒様が一緒に祀られることが多いけど、大黒様と同一視された大国主は事代主の父神で、大国主は農業の神、事代主は漁業の神。

この親子の神様が頑張ってくれると、豊漁豊作で商売繁盛という意味がある。ぼくは、おいしいビールが飲めますようにと、ヱビス様に祈ってきたんだけどね。