就職活動に失敗して本意ではない会社に入社してしまった...。希望通りの会社に入ったはいいものの、単純な雑務ばかりで不満...。

そんな悩みを抱く20代は、どのようにキャリア形成をしていくべきなのか? かつて同じ悩みを抱えていたという、作家のジョン・キム氏が語る。

※本稿は、ジョン・キム著『媚びない人生』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。


社会を知らずに仕事を選んでいることに気づけ

社会人をスタートさせるときには、いろんな思いがあるはずだ。就職活動に成功して第一志望の会社に入ることができた人。一方で、こんなはずではなかった、という思いを抱いて会社に入っていく人。それは、ひとつの現実だと思う。

しかし、認識しておかなければいけないことがある。それは、学生の就職活動は、社会を知らないままに行われているということだ。社会に出たことがないのに、業界や企業を選ばなければならなかった。残念ながら、社会についてはわかっていないのだ。それは認めなければいけない。

そしてもうひとつは、自分自身について、まだわかっていないということである。就職活動で、自己分析はしたかもしれない。しかし、社会に出て、実際に働いた経験はない。ある仕事をしたときに、本当の自分がどんな反応をするのか、実はまったくわかっていなかったのだ。想像をはるかに超えた状況だって起こりうるわけである。

この2つの前提をしっかり受け止められれば、学生時代の就職活動は、本当の意味では就職活動ではなかったことに気づけるはずである。社会も、そして自分もよくわからないままに選んだのが、今の会社であり、今の仕事なのだ。

だからこそ、本当の就職活動を、社会に出てから5年後にすべきであると私は考えている。社会を知り、自分を知ってから、本当の就職先を見つけるのだ。そうすることで、より自分の適性に合う仕事に出合うことができる。

本当の就職活動とは、就職してから5年目にあると考えたほうがいいのである。

そうであるならば、とても大事なことは、本当に働きたいところ、本当に就きたい仕事に就けるような力量を5年後までに身につけていくことだ。実のところ就職活動では、この力量がつけられる会社にこそ、入るべきだと私は考えている。もし、これから就職活動を迎える人は、意識しておくといい。

5年後、世の中がわかり、自分が見えてきたときに、どこにでも行ける。そして、そんな自分を確立させるために、最も有効に過ごせるような会社を選ぶ。

そしてひとつ言えることは、就職活動で不本意な結果が出てしまったとしても、悔やんだりする必要はまったくないということである。5年後に訪れる本番に向け、割り切って準備を進めていければよいのだ。

今度は本当に社会を知り、自分を知ってから、就職活動ができるのだ。その5年後の就職活動こそが、本当の勝負なのである。

そして今、条件がいい会社にいることが、すなわち自分に合った会社であるというわけではないということにも気づいておく必要がある。そこでどこまで自分にシビアに向き合えるか。それがこれからの職業人生を決めていく。

人生は、生きている限り続くのだから、焦らず自分を信じて突き進んでいけばよいのだ。


やりたいことをやるためにも、やるべきことをこなす

会社に入ってすぐの頃は、どうしてこんな仕事を自分がやらなければいけないのか、と感じることがたびたびあることだろう。こんな初歩的な仕事を、こんなつまらない仕事を、と不満を持つこともあるだろう。意に沿わない指示や、プライドを傷つけられるような注文もあるかもしれない。

しかし、理解しておかなければいけないことがある。そうした初歩的な仕事、つまらないと思っている仕事ですら、その仕事から意味を見出し、自分を成長させる、本当に満足のいく仕事としてできているか、ということである。

自分の仕事を評価するのは自分ではない。会社であり、他者なのだ。自分はできているつもりでも、まったく話になっていないかもしれない。それこそ、コピーひとつ取れない人間に、何を任せられるのか、ということだ。

自分は明らかに未熟なのだ。自分が思うような仕事がもらえるほど、成熟していないのである。それを認めなければいけない。そして未熟だからこそ、未熟なりにできることを最大限するのだ。

見事に成長していく仕事人も、最初はみな同じスタートをしている。だが、彼らは自らの未熟を認め、未熟な自分に何ができるかを考えている。コピーひとつ、エクセルの表ひとつとっても、誰よりも徹底し、依頼者の期待をも超えるように努力するものだ。

そういうところから、周りの信頼は生まれていく。これが、より大きな権限や新たな仕事のチャンスを生んでいくのだ。

実は私自身、同じような思いを持ったことがあった。しかし、早い段階で自分の未熟さを痛感した。夢は大きいが、夢を実現する実力は自分にはないことが徹底的にわかったのである。

そこで、私は自分に言い聞かせた。20代の10年間は未熟な自分を育てる期間に決めよう。自分を育て、強くしよう。やりたいことは、10年を経た30代から取り組もう、と。

私にはやりたいことがたくさんあった。しかし、やりたいことをやるには力が要るのである。内面的な強さも、仕事のスキルも、周りからの信頼も必要なのである。それを獲得するには、結果を出すしかない。

しかも、周りが評価する結果である。結果に裏付けられた評価でないもので得られた信頼は、危いもので、すぐに崩れてしまう。だから、不断なる努力を積み重ね、揺るぎのない結果を一つひとつ出していくことを心がけた。

今思えば、その10年間があるからこそ、今の自分があると確信できる。自然体にふるまい、自分の人生を生きていくことが今できているのは、この10年に土台を築き上げることができたからである。

10年間の思いが深ければ深いほど、苦しい思いが大きければ大きいほど、それは将来の本物の自分の力になっていく。

だから、20代はやるべきことを徹底的にこなすべきである。やりたいことをやるためにも、やるべきことをこなすのだ。likeではなく、mustやshouldを意識する。

本当にやりたいことは、30代からやればいいのだ。それができるようになると思えば、我慢をしているような意識はなくなる。一瞬一瞬が、学びに満ちたものになる。それもまた自己実現なのである。

20代はもがく時期でいい。わかったつもりになっても、所詮は、20代のわかった、なのである。本当はわかっていない。わかろうとする努力は必要だが、本当にわかるのは30代でいいのだ。

20代は、理想とする自分と現実の自分とのギャップの大きさを味わい尽くし、もがき続けることだ。それが30代に間違いなく生きてくる。一生懸命に頑張ることが正解だと考え、自分を信じ続けること。

そんな20代だったからだろうか。私の20代はセピア色がかった10年だった。しかし今思えば、幸せで、充実した時間だった。それも、さらに充実した30代があってこそ、思えたことだったのかもしれないが。