幸運も災難も自分でつかめば納得する

──なにかをすれば、そのメリットとデメリットがつねに生まれる。

これは当たり前のことなのですが、クヨクヨする人はつい忘れてしまいます。

なにかをして悪い結果が出れば「動くんじゃなかった」と悔やみ、なにもしないまま気持ちがふさいでくれば「動けばよかった」と悔やむからです。

なにかをすることには、つねにメリットとデメリットがあると気づけば、「それなら動いてみよう」という答えをスパッと出すことができます。ためらうのはデメリットだけに目が行くからで、つねに「セット」としてメリットも用意されていることを忘れてはいけません。

つまり、動く前にメリットとデメリットを比べてもあんまり意味がないのです。

「失敗したら恥をかくだろうな(デメリット)」と思っていたのに、いざ失敗してもだれも気にしないことだってあります。「これがうまくいけばみんな注目するだろうな(メリット)」と思っていたのに、成功してもだれもほめてくれないことだってあります。

動いてみなければ、メリットとデメリットのスケールだってわからないのです。わかっているのは、つねにその両方が同居しているということだけです。

動かなければどうなるでしょうか。

クヨクヨするだけですね。なにも答えは出ないのですから、頭の中であれこれ想像して、「動けばよかったかなあ」と後悔することのほうが多くなります。動くことのメリットが大きく見えてくるのです。わたしたちには欲があるから、これは仕方ありません。

そこで小さなことでクヨクヨしないためには、自分で答えを出す気持ちが大事になってきます。幸運も災難も、どうせなら自分でつかむ気持ちになることです。

幸運をつかめば「やった!」と喜べます。災難をつかんだら「乗り切るしかない!」と腹が据わります。どっちにしてもクヨクヨすることはなくなります。