「一人一殺」の連続テロ事件

昭和7年(1932)の五・一五事件直前には血盟団事件が起きた。

血盟団とは、日蓮宗を信奉する井上日召の指導によって組織された右翼グループである。国家主義に基づく国家改造を信念とする井上は、茨城県大洗の立正護国堂に住み、恐慌で疲弊する農村の青年らに向けて、非常手段によって政党や財閥、特権階級の打破を訴えた。

井上ら血盟団の同志には、海軍初の革命行動組織である王師会を結成した霞ケ浦航空隊の藤井斉中尉ら海軍将校たち、官僚政治や資本主義を否定して、「君民一体の社稷 (日本に伝統的に存在した、天皇と民衆とによって治められる一種の生活共同体)政治へと復帰すべきである」と主張する農本主義者の権藤成卿、「昭和の由井正雪」ともいわれた安岡正篤が設立した金鶏学院に出入りしていた四元義隆らの学生たち、さらには農本主義教育を唱えて水戸市郊外に愛郷塾を開いた橘孝三郎らがいて、国家改造を目的として井上と交流していた。

井上は十月事件のクーデター計画を知るや、青年や学生たちを率いてクーデターへの参加を決心した。

十月事件が未遂に終わると、その後も井上は非合法手段による国家改造方針を捨てず、海軍の藤井らと協力して、独自のテロ計画を実行しようとした。

しかし、昭和7年1月に上海事変が勃発し、藤井ら海軍側に出征する者が続出したために計画の変更を余儀なくされた。

新たな計画では、第一陣として井上一派が「一人一殺」による暗殺を実行し、第二陣として海軍側が決起するというものになった(この第二陣計画が五・一五事件となる)。

昭和7年2月、血盟団の小沼正が前蔵相の井上準之助を、翌3月には菱沼五郎が三井合名会社理事長の団琢磨を相次いで暗殺した。

小沼と菱沼が逮捕されると、そのほかにも犬養毅首相、元老の西園寺公望、財界大御所の郷誠之助など、政財界要人十数人を暗殺する計画が明らかになった。

井上および小沼、菱沼ら血盟団員14人が裁判に付され、井上、小沼、菱沼に無期懲役、ほかの団員には懲役3年から15年の判決が下されたが、昭和15年(1940)、恩赦によって全員出獄した。


五・一五事件に続くクーデター

五・一五事件から4年、昭和11年(1936)には二・二六事件が勃発した。

『日本改造法案大綱』を著した北一輝の思想的影響を受けた皇道派の青年将校たちが、2月26日早朝、約千四百人の兵を率いて首相官邸、警視庁、朝日新聞社などを襲い、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らを殺害した。

岡田啓介首相の義弟松尾伝蔵海軍大佐も首相と誤認され射殺、鈴木貫太郎侍従長は重傷、湯河原に滞在中の牧野伸顕前内相は危うく難を逃れた。

事件の背景には、陸軍内の派閥争いがあった。

「昭和維新」を掲げて天皇親政の新しい政治体制を築くことを目指し、そのためには武力蜂起も辞さずとする青年将校中心の「皇道派」と、官僚・財界とも提携しながら軍中央の一元的統制の下に国家改造を図ろうという幕僚将校たち「統制派」の確執である。

皇道派の総帥真崎甚三郎教育総監の更迭(昭和10年〈1935〉7月)、その推進者と見られた統制派のリーダー永田鉄山軍務局長の惨殺(相沢事件、同年8月)など対立がエスカレートしていたところ、皇道派青年将校の拠点である第一師団の満洲派遣が決定し、これを機に皇道派が蜂起を決意したのだ。

蹶起軍は国会を含む国政の中枢を2月26日から29日まで4日間にわたって占拠した。

当初、川島義之陸相ら陸軍首脳は蹶起軍に同情的な態度で、蹶起を容認するような陸相告知が出された。

だが、重臣らを殺傷された昭和天皇は激怒し、直ちに事態の鎮圧を命じた。陸軍が蹶起軍の鎮圧に消極的な姿勢を見せると、天皇は「朕自ら近衛師団を率いて、鎮圧にあたらん」とまで言った。

こうして蹶起軍は「反乱軍」となり、27日から戒厳令が敷かれるなか、28日には反乱鎮圧の奉勅命令が戒厳司令官に発せられた。

反乱軍は抵抗を継続するか帰順するかで方針が二転三転したが、29日、戒厳司令部が反乱軍を包囲して戦闘態勢をとり、ラジオや飛行機からのビラで帰順を呼びかけると、大部分の将兵は帰隊した。

事件後、軍法会議が非公開、一審制、弁護人なしで行なわれ、首謀者17名とともに、理論的指導者の北一輝、西田税も処刑された。

二・二六事件を機に陸軍内では皇道派が一掃され、統制派が実権を握った。

事件後の広田弘毅内閣では陸軍による露骨な人事介入が行なわれ、軍部大臣現役武官制を復活させた。これにより、軍は内閣の生殺与奪の権を握り、軍部独裁へと進んでいく。

【著者紹介】水島吉隆(みずしま・よしたか)
近現代史研究家。昭和44年(1969)、 神奈川県生まれ。立教大学社会学部卒。出版社勤務、 編集プロダクション「文殊社」所属を経て、 現在、近現代史を中心に執筆活動を展開。著書に 『図説 満州帝国の戦跡』『図説 日本の近代100年史』 『写真で読む昭和史 太平洋戦争』などがある。