少子化が急速に進むにつれて、受験戦争が過熱しています。高偏差値の高校や大学に何としてでも子どもを合格させようと奔走する親は数多いですが、親が学歴や就職率に振り回されてしまうのは何故でしょうか? 本稿では作家の佐藤優さんが、中学生のナギサとミナト、ロダン先生の対話形式をとって「メリトクラシー(能力主義)」の問題について解説します。

※本稿は佐藤優著『正しさってなんだろう 14歳からの正義と格差の授業』(Gakken)から一部抜粋・編集したものです


能力主義は不公平?

【ナギサ】いい高校って結局、進学実績が高いってだけなんですよね?

【ロダン】成績によって入れる高校や大学が決まったり、仕事の実績に応じて出世が決まったりすることを、ちょっとむずかしい言葉で、メリトクラシーと言います。メリトは「メリット(成績や実績)」のことで、メリトクラシーは能力主義と訳されています。

【ミナト】能力主義なんて言われると、人間に線引きしているみたいで、ちょっと引いちゃうな。

【ロダン】あなたたちは、そう感じるかもしれないね。でも、日本もいまから150年くらい前までは、身分やどの家に生まれたかによって職業が決まってしまう身分社会でした。それと比べれば、努力すればそれだけいい仕事、自分に合った職業に就ける可能性が高い能力主義社会は「公平」と言えるんじゃないかな。

「外の評価」に振り回される大人たち

【ロダン】ところが、何をもって能力を測ればいいか、じつは決まった答えはないんです。たとえば、学校のテストの結果だけで人の能力は測れません。まして、一発勝負の入学試験でははかれない。だから、学校の内申書で評価しなさい、部活や委員会活動、ボランティア活動の経験も評価しましょう、ということになりました。

【ミナト】それでみんな、学校の先生の顔色をうかがうようになったんだ。

【ロダン】さらに、グローバル時代には英語力が欠かせないから英検やTEAP(ティープ)も受けたほうがいい、社会で生きていくためにコミュニケーション能力をのばすべきだ、いやPISA(ピサ)などの国際学力調査の順位を上げるために読解力や理数系の基き礎そ学力こそ重視すべきだ......などと、言ってることが時代によってコロコロ変わるんです。

【ナギサ】受験制度もコロコロ変わって大変だって、お父さんが言ってました。