車にはねられたのか、けがをした猫が道路に横たわっていた。見つけた女性が動物病院に運び、治療後、自宅に引き取った。つけた名前は「つう」。「いつか恩返ししてね」と、昔ばなし「鶴の恩返し」になぞらえて◆あるときから、つうは不思議な行動を始めた。毎朝、枕元で飼い主を起こす。目を覚ますまで前足で髪の毛を引っかくのである。必ず時間は決まっていた。午前5時46分より前。つうが飼い主と被災した阪神大震災の発生時刻である◆名前通りの恩返しだと、メディアは美談に仕立てた。しかし当時、被災者のケアに当たった神戸の精神科医中井久夫さんの見方は違っていた。同じ時刻に目が覚めてしまう自身の体験から、ひと以上に繊細なペットたちの深い「心の傷」を読み取った◆災害後、多くのひとがストレスによる不調を訴える。うち75%は自然に回復するという。ただ、心の傷も身体のけがと同じで、かすり傷から致命傷までさまざまである。か弱い生き物のように、4人に1人は治りにくい傷を抱えて生きる◆それは明日もきっと平穏な日が訪れるという、この世界に対する「信頼」を失うことでもある。熊本地震の「本震」から8年。もう、なのか。まだ、なのか。忘れられない思いを置き去りにして、私たちは「復興」という美談を急ぎすぎているのかもしれない。(桑)