「逸話とゆかりの城で知る!戦国武将」、第3回は「本能寺の変」で広く知られる明智光秀。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」でも話題になりましたよね。今回は、近年判明しつつある意外にも一途なイケメン(イケてるメンタル)!?な人物像や、実は安土城の先駆けとなる近世城郭だった居城・坂本城に迫ります。

延暦寺焼き討ちで活躍!居城・坂本城を得る
主君を裏切った「天下の謀反人」または、織田信長の革新性について行けなかった「常識人」など、光秀のイメージは人によって大きく異なるのではないでしょうか。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では残虐さがエスカレートする信長への葛藤がなんとも切なかったですよね。

明智光秀の前半生については正確な資料があまり残っていませんが、享禄元年(1528)に美濃国に生まれ、斎藤氏の父子ゲンカで道三方についた後に、浪人となったという説が有力です。光秀が歴史の表舞台に現れるのは、足利義昭と織田信長と出会った、後半生から。流浪中だった朝倉氏の一乗谷で義昭に仕え、その後義昭を信長に紹介。そして一緒に上洛を果たします。

上洛から3年後、光秀の人生を大きく転換させる「比叡山延暦寺焼き討ち」が起こります。これまでは、信長の残虐さに驚愕したというのが通説でしたが、近年の研究では、光秀も延暦寺の虐殺に積極的に関わっていたことが判明しています。従来のイメージとは逆だったわけです。

この比叡山での武功が信長に認められた光秀は、近江滋賀郡を与えられ、琵琶湖沿岸に坂本城(滋賀県大津市)を築きます。なんと信長家臣の中で領地持ちの武将、第1号でした。

光秀が築いた坂本城は石垣と天守が立っており、近世城郭のはじまりとされる信長の安土城(滋賀県近江八幡市)の実験場だったとも考えられています。光秀の築城の腕前はなかなかで、日本に滞在していたイエズス会宣教師のルイス・フロイスも「築城について造詣が深く、すぐれた建築手腕の持ち主」と評しています。さすが、信長から厚い信頼を得ていた男です。