次に、日本のトイレの歴史。起源は不明ですが、遅くとも弥生時代には排泄専用の施設があったようです。平安時代の貴族は、おまる状の「樋箱(ひばこ)」を室内で使っていました。庶民は屋外で用足しを。のちに穴を掘る汲み取り式が登場し、鎌倉時代〜戦国時代頃には、都市部の町屋では各家庭で厠が設置されていたようです。

全国で初めて「金隠し(厠の穴の前に設けた覆い)」が出土した一乗谷朝倉氏遺跡(福井県)では、復元町屋の庭に、複数に区切られた厠もあります。吉川元春館(広島県)でも、金隠しを含む厠の遺構が検出されています。貴人の厠は内部が畳敷になっていて、外から係の者が引き出しを引くように排泄物の入った箱を取り出し、健康観察を行っていました。西郷頼母(さいごうたのも)邸を復元した会津武家屋敷(福島県)には、藩主訪問時用に作られた厠も復元されていて、この引き出し式の構造を屋内外から見られるようになっています。

武家の厠は、敵襲に備えて扉の方を向いてしゃがむようになっていたとか。武田信玄は厠に籠もるのが大好きだったという逸話があり、信玄専用の厠は刺客避けのため京間6畳敷で、朝昼晩と香を焚いていたといいます。しかも、風呂の残り湯を引いて流す水洗式。かなりの快適空間だったようで、作戦を練るのも書簡を読むのも厠で行っていたそうです。また、伊達政宗も厠読書の達人(?)だったとか、加藤清正が厠で1尺(約30cm)の高下駄を愛用していたなど、戦国武将とトイレの逸話はいくつか伝わっています。