昨年、18年ぶりの優勝を果たした阪神タイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。第8代監督・岸一郎。1955年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるこの謎の老人の正体とは?

阪神タイガースの歴史上、「最大のミステリー」


昨年、アレよアレよという間に38年ぶりの日本一となった阪神タイガース。2008年以来の復帰で見事に日本一を成し遂げた岡田彰布監督への賛辞はいまだ収まらず。今季はいよいよ球団初の連覇への期待がかかる。

そんな岡田は1935年のタイガースの球団創設以来35代目の監督となる。一方、ライバル巨人軍は阿部慎之助新監督で20代目。つまりタイガースはそれだけ監督が長続きしてこなかったという表れでもある。

選手から「ベンチがアホやから」と言われたり、オーナーに「スカタン」呼ばわりされるなど、何かと槍玉に挙げられてきたタイガース監督。名将、知将、闘将……などなど虎の星座に瞬いては消えていく監督の系譜の中で、これまでその存在をほとんど語られてこなかった監督がいることをご存じか。

岸一郎。昭和30年(1955年)の指揮を任されたタイガース第8代監督。甲子園歴史館にある歴代監督コーナーに掲示された彼のパネル下には、こんな短い説明書きが添えられている。

〝異例のプロ野球未経験での監督就任。オーナー野田誠三宛に書いた『タイガース再建論』に野田が感激し、監督に就任した背景があったが、約半年という史上最短で退陣した〟


阪神タイガースの歴史上、「最大のミステリー」ともいわれる第8代監督・岸一郎(写真/産経新聞社)


プロ野球経験なし、60歳になるまで田舎で農業をして暮らしていたおじいさんが、「私なら今の動脈硬化を起こしかねないタイガースから古い血を入れ替え、新たな健康体に立て直すことができる」と、腹案の『タイガース再建論』をオーナーに手紙で直訴し、本当に虎の指揮官に抜擢されてしまったのだ。

これだけ読めば全国数百万人のタイガースファンの夢を現実化させたシンデレラストーリーのように思えるかもしれない。

その上、優勝でもしてしまえば、伝説の名監督として人々の記憶に残ったのだろうが、現実は甘くない。この岸老人の監督生活はわずか33試合で終焉を迎えてしまう。選手たちから反発され、チームを掌握しきれずに追われてしまったからだ。

当然といえば当然なのかもしれない。

当時のタイガースは「ミスタータイガース」藤村富美男らを中心とした猛虎や豪傑が群れる孤高の集団。そんなところへプロ野球の世界とはまったく無縁だった老人が監督に就任したのだから…。


わずか33試合で休養。理由は「痔瘻の悪化」


だが、岸一郎はとんでもない実績を持った野球人だった。1954年11月。就任会見を契機に、野球界の長老格からしだいに明らかにされる老人の正体。

日本プロ野球の創設に尽力した元巨人軍の市岡忠男は「早大時代は沢村栄治に匹敵する投手であり、満洲の野球が強くなったことにも岸君の力は大きく貢献している」と戦前の大選手であることを証言している。


早稲田大学で無双のエースだった頃の岸(写真/遺族提供)


岸一郎も就任の席で「自信がなければ大阪神の監督は受けない」とかつてのスーパースター然として言い切ると「タイガース再建論」を披露。

ダイナマイト打線に代表される強打のタイガースから、広い甲子園に見合った「投手を中心とした守りの野球」へのモデルチェンジを宣言すると「完投できる先発投手4人を作りたい」などと意気込んだ。

その一方で、「たとえ藤村富美男君でも当たらずと見ればベンチに置きますよ」とベテランたちの血の入れ替えを示唆。だが、いくら相手がかつての早大・満洲の英雄とはいえ、歴戦の猛虎たちがプロの世界の厳しさも知らない老人の言うことをすんなりと聞くはずもなかった。

キャンプから若手投手を積極的に指導した岸は、シーズンに入るとルーキーの西村一孔を開幕投手に指名するなど、若手の積極起用で一時は首位にまで躍り出る。

しかし、ベテラン陣との溝が埋まることはなく、采配に従わない、ベンチであからさまに暴言を吐かれるなど、岸は孤立していく。さらに、絶対に負けることが許されない宿敵巨人軍に対し9連敗を喫すると、5月21日、岸一郎は33試合で休養となる。

その理由が「痔瘻の悪化」というのは、果たして本当のことだったのかはわからない。

これ以降、岸一郎がタイガースの歴史に登場することはなかった。残された記録も少なく、幻の監督ともいわれてきた所以でもある。

「古い時代のわずかな期間にあった冗談のような本当の話」と一笑に付してやり過ぎてしまいそうになるが、タイガースの歴史を紐解いていけば、この岸老人の就任と退任が、球団の体質を決定づける大きなポイントになっていることがわかる。


タイガース“お家騒動体質”の原点


1980年。日本のスポーツライターの草分け的存在である大和球士は『真説日本野球史』において、岸一郎をこのように書いている。

〈昭和三十年の阪神のオーダーは優勝を狙うに十分な布陣であったが、内紛があってチームは和を欠いた。思うに阪神はその後も小型内紛、大型内紛を繰り返し、常に実力兼備のチームでありながら昭和五十五年に至るまでに優勝わずか二度に過ぎぬ。情けない限りである。チームの和を欠く阪神の悪伝統の原点が、三十年の岸退陣事件にあったと断定しても差し支えあるまい〉

ひとつに、岸一郎の監督就任はオーナーの独断で行なわれたこと。タイガースの監督は、それまでチームの主力選手がなるべくしてなっていた。

誰もが納得できるチームの顔が順番に就任していたわけだが、岸の就任はタイガースでオーナーがはじめて監督人事に口を出したケース、つまり現場介入の元祖となり、以降電鉄本社の意向は大きくなっていく。


甲子園球場


もうひとつに、この岸退陣事件では、主力選手が監督を無視、反抗し、ついにその座から追い落としてしまうという、あってはならないことが起きたといえる。

これにより悪しき伝統といわれる〝選手王様気質〟が確立され、やがてプロ野球史上に残る大事件「藤村排斥事件」へと繋がるタイガースの〝お家騒動〟の発火点となった。

だが、このことも付け加えておきたい。岸一郎が野球界から消えた7年後の1962年。タイガースは藤本定義監督の下、2リーグ制になってはじめての優勝を成し遂げる。

その中心には村山実とWエースを張った小山正明に鉄壁の内野陣を形成した吉田義男、三宅秀史など、岸が期待をかけた若手選手が主体となった「投手を中心とした守り勝つ野球」の結実でもあった。

そこから61年後の2023年。タイガースは6度目のセ・リーグ優勝を果たした。岡田監督にとっては2005年以来2度目の栄冠。複数回優勝は、藤本定義監督以来2人目の快挙でもある。

「投手を中心とした守り勝つ野球」で優勝を手にした早稲田大学出身の名将二人。しかし歴史の影には、彼らの大学の先輩でもあり、タイガースではじめて「守りの野球」を提言した悲運の監督の存在があったことを忘れてはならない。

文/村瀬秀信


虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督

2024年2月5日

1,980円

四六判/320ページ

ISBN: 978-4-08-790149-8

2023年に18年ぶりの優勝を果たし、沸き立つ阪神タイガース。
そのタイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。

第8代監督・岸一郎。

1955 (昭和30) 年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。

「なんでやねん?」 「じいさん、あんた誰やねん?」
困惑するファンを尻目に、ニコニコ顔で就任会見に臨んだ岸一郎。
一説には、「私をタイガースの監督に使ってみませんか」と、手紙で独自のチーム改革案をオーナーに売り込んだともいわれる。

そんな老人監督を待ち構えていたのは、迷走しがちなフロント陣と、ミスタータイガース・藤村富美男に代表される歴戦の猛虎たち。メンツを潰された球団のレジェンド、前監督の松木謙治郎も怒りを隠さない。

不穏な空気がチームに充満するなかで始まったペナントレース。
素人のふるう采配と身勝手に振る舞う選手たちは互いに相容れず、開幕後、あっという間にタイガースは大混乱に陥っていく……。

ファンでも知る人は少なく、球史でも触れられることのないこの出来事が単なる“昭和の珍事”では終わらず、タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるのは、なぜなのか? そもそも岸一郎とは何者で、どこから現れ、どこへ消えていったのか?

満洲─大阪─敦賀。ゆかりの地に残された、わずかな痕跡。吉田義男、小山正明、広岡達朗ら当時を知る野球人たちの貴重な証言。
没年すら不詳という老人監督のルーツを辿り、行方を追うことで、日本野球の近代史と愛憎渦巻く阪神タイガースの特異な本質に迫る!