2016年、リオデジャネイロ五輪にて。松田が4歳から薫陶を受けた久世由美子氏(右)は、宮崎県延岡市で約45年にわたって子供たちに水泳を教えた名指導者として知られる。21年3月にコーチを引退
2016年、リオデジャネイロ五輪にて。松田が4歳から薫陶を受けた久世由美子氏(右)は、宮崎県延岡市で約45年にわたって子供たちに水泳を教えた名指導者として知られる。21年3月にコーチを引退
2004年のアテネ大会から4大会連続で五輪に出場し、うち3大会で計4つのメダルを獲得した日本競泳界が誇るレジェンド・松田丈志がアスリートの視点で、そしてアスリートを支えるさまざまな活動をしている現在の立ち位置から日本のスポーツ界が抱える問題を考察。第2回は選手と指導者の関係性にフォーカスする。

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スポーツの未来を考えたときに、各スポーツの愛好者を増やしていくことが大事だと私は考えています。この愛好者の中には「する、みる、支える」人たちが含まれていますが、どのスポーツも愛好者が減れば衰退していくのは避けられません。連載第1回で書いた五輪然り、各スポーツも無数にあるエンターテインメントのひとつとして、人々に選ばれる存在にならなければなりません。

私のやっていた競泳であれば、子供に習わせたいスポーツでは常に上位にランクインされていますが、成人後に日常的に泳ぎ続けている人や、「みる競技」として試合会場に足を運んでくれる人が少ないという課題があります。

スポーツも「選ばれる必要がある」時代において、現場のコーチや指導者の存在も大きいです。

「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」

という格言があるように、どんなスポーツを学ぶにしても良き指導者に出会うこと、探し求めることが重要ですし、選ぶ権利が選手側にはあると思います。各競技団体目線で見れば、良い指導者を増やしていくことが競技の愛好家を増やしていくことにもつながります。

私は相撲も好きで幼少期からよくみているのですが、先日の宮城野部屋での暴力問題のようなことが起これば、大相撲の本場所は連日満員御礼で興行としては成功していても、そのスポーツを実際に自分の子供にやらせたいと考える人は減ってしまうでしょう。

世間でも「謎ルール」や「謎校則」がときどき話題になりますが、例えば高校や大学の部活動や寮生活の中で、下級生だけが練習の準備や後片付け、寮の掃除をするなど、合理的でないルールは今でもスポーツ界に多数存在します。それらも指導者が時代の変化に対応し、チームのパフォーマンスを最大化するために改善していくべきことだと思います。理不尽なルールでは人は集まりませんし、高圧的、抑圧的な指導方法はもう時代遅れで、指導者やコーチ側の知識やコミュニケーション能力が乏しいと判断されることになります。

私は久世由美子コーチに、4歳から32歳で引退するまで長年師事しましたが、久世コーチと私の関係性も年齢に応じて変化していきました。水泳を始めた当初は、とにかく「コーチの指示をやり抜く」という気持ちでその通りにやることを意識していました。それで実際記録も伸びたわけですから、成果は得られていました。

そのスタイルに変化があったのは私が20歳のとき、自身初めての五輪となった2004年のアテネ大会後でした。アテネ五輪では目標としていたメダルには届かず悔しい思いをしました。悔しさの中で、なぜ自分はメダルに届かなかったのかを考えていたとき、気づいたことがありました。それは私の中にやってみたいトレーニング方法や強化スケジュールなどがあったとしても、それを意見としてコーチに言えていない自分がいたことです。「次の北京五輪では絶対リベンジをしたいし、これは自分の水泳人生だ。後悔だけはしたくないから、自分が100パーセント納得した状態でトレーニングしたい」と考えるようになりました。

そこから積極的にコーチに意見するようにしました。幼少期から指導してもらっているコーチに意見することは、最初は緊張しましたし、コーチも戸惑ったと思いますが、根気強く私の意見にも耳を傾けてくれました。指導者から選手への一方的なものではなく、双方向のやりとりの中でお互いが意見を出し合い、時に意見がぶつかりながらも最適解を導き出し、合意の上でトレーニングに臨む。そうすることで、きついトレーニングにも「自分たちで決めたことをやり切る」という強い気持ちで挑めるようになりました。アテネ五輪をきっかけに指示を待つだけでなく、「自ら考え、ふたりで議論し、実行する」というスタイルに変化したのです。

五輪金メダリストや世界記録保持者を多数輩出しているオーストラリアのマイアミスイミングクラブで、当時ヘッドコーチを務めていたデニス・コテレル氏(左)。現役時代の松田はそこで、コーチと選手がフラットな関係を築けていることに強い感銘を受けた。写真はリオ五輪の際のもの
五輪金メダリストや世界記録保持者を多数輩出しているオーストラリアのマイアミスイミングクラブで、当時ヘッドコーチを務めていたデニス・コテレル氏(左)。現役時代の松田はそこで、コーチと選手がフラットな関係を築けていることに強い感銘を受けた。写真はリオ五輪の際のもの
オーストラリアの水泳チームから学んだこともあります。私は高校3年生の冬から毎年オーストラリア・ゴールドコーストのマイアミスイミングクラブの練習に参加していました。五輪金メダリストや世界記録保持者を多数輩出しているチームで、当時のヘッドコーチはデニス・コテレルという世界的にもハードなトレーニングをすることで有名なコーチでした。

私が驚いたのはそのチームの雰囲気でした。想像するだけで気持ち悪くなりそうなハードトレーニングの前に、デニスコーチや選手たちは直前まで笑いながら話をしているのです。そのあまりの明るさに、「今から本当にこの練習をやるのかな?」と疑うほどでしたが、本当にやりました。きついことをきつそうにやるのは並のチームで、きついことを楽しくやるのが一流のチームだと学んだ瞬間でした。

コーチと選手の関係性がフラットであることにも驚きました。世界的に知られた名伯楽であるヘッドコーチのデニスに対して、「ヘイ、デニス!」と選手が声をかけてプールサイドで立ち話をする姿を何度も見てきました。ここでも双方向のコミュニケーションがあり、お互いの意見を聞き合いながら合意形成がなされていました。

スポーツが人生のすべてではないですが、スポーツの指導者が選手や子供に与える影響は大きく、スポーツとは、人ひとりの人生を変えうる可能性があるものです。ゆえに私は、指導者やコーチである以上、学び続ける姿勢が求められると思います。指導やトレーニングは科学的根拠に基づいたものが提供されるべきだし、パワハラやモラハラ、セクハラはあってはなりません。スポーツを楽しむことや競技力向上につながらない、旧態依然とした慣習も必要ないでしょう。

昨今の社会情勢から、スポーツの世界もかつてに比べれば子供や選手側の立場が守られ、意見が通りやすい状況になってきています。一方でそれは「自分に甘く、容易な環境を築く」ことはいくらでもできる状況である、ともいえます。指導者やコーチが選手に対して遠慮し、本来ならば言うべき事を言えない状況もよく見受けられます。

久世コーチ(中央右)、デニスコーチ(中央左)との写真。マイアミスイミングクラブでは、クイーンズランド州のスポーツ科学センターから週に1回のペースでスタッフがプールを訪れ、データを測定して選手やコーチとトレーニングの内容や現在のコンディションについてディスカッションするなど、日常的に科学的視点から現場をサポートする体制が構築されていた
久世コーチ(中央右)、デニスコーチ(中央左)との写真。マイアミスイミングクラブでは、クイーンズランド州のスポーツ科学センターから週に1回のペースでスタッフがプールを訪れ、データを測定して選手やコーチとトレーニングの内容や現在のコンディションについてディスカッションするなど、日常的に科学的視点から現場をサポートする体制が構築されていた
その点、久世コーチの指導は一貫しており、常に私に対してこう言っていました。「私はあなたを選手として、そして人として成長させるためにここにいる。どんなにあなたに嫌われようとも、選手として、人として必要なことは言い続ける」と、一切の忖度なしに指導してくれました。

そして、誰よりも私の可能性を信じてくれた人でもあります。「丈志、あんたならやれる」と常に私を鼓舞し続け、私の可能性を引き出すためなら時間も労力も惜しみませんでした。成長するために必要なアドバイスを忌憚なく言ってくれて、誰よりも私の可能性を信じて共に戦ってくれました。だからこそ私は久世コーチのためにも結果を出したいと思い、長年師事したのです。

選手と指導者の関係は多様で、個性や独自性が存在します。それぞれの相性も重要です。一例ではありますが、

まさに私自身は久世コーチとの出会いが人生を変えました。

子供や選手がスポーツを通して目標を持ち、成果を求める場合、そのレベルが高いほど技術の習得に時間がかかり、トレーニングの強度も高まります。言うまでもなく、その過程で必要なのは努力を継続する力、「忍耐力」です。自分にとってやりやすい環境だけでは成長できず、成長できない責任は最終的には選手自身が負うことになります。「科学的根拠に基づいた正しいトレーニング」は厳しいものですが、それを合意形成された状態で、できるだけ楽しい雰囲気の中で自発的に取り組む。そしてお互いが信頼関係のもとに共通の成果に向けて忖度なく本音で語れる、そんな状態が選手と指導者の理想的な関係性だと考えています。

文/松田丈志 写真提供/株式会社Cloud9