ベテランプレーヤーの矜持
〜彼らが「現役」にこだわるワケ
第3回:藤春廣輝(FC琉球)/後編


チームにはすぐに溶け込んだ藤春廣輝(写真右から4番目)。photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

前編◆藤春廣輝がJ3のFC琉球へ移籍したワケ>>

【"一匹狼"から面倒見のいい"兄貴分"へ】

 FC琉球への移籍から5カ月。移籍した当初こそ、生活面でのさまざまな"初めて"に右往左往した藤春廣輝だったが、チームにはすぐに適応してみせた。ここまでのJ3リーグには13試合すべてにフル出場。ほとんどの試合を3バックで戦うなかでは、本職の左サイドバックではなく、左のセンターバックとして新境地を開拓している。

「左サイドバックとしてプレーしたガンバ大阪時代は、ヤットさん(遠藤保仁)やシュウ(倉田秋)にボールを預けてオーバーラップをするという攻撃的なプレースタイルでしたけど、今は鍾成さん(金監督)から、縦に早くボールをつけながらビルドアップをする役割を求められているので。以前とは違うプレースタイルになっていますけど、試合をコンスタントに戦えているのが本当に楽しくて仕方がない。

 去年はあまり公式戦に絡めなかったこともあり、当初は正直、中2〜3日の連戦をホンマに乗りきれるかなと思っていた自分もいたけど、体が連戦を覚えていたというか。過去には今よりもっと過酷な連戦を乗り越えてきた経験値のおかげで、疲労を感じることなくプレーできています」

 また、若い選手が多い琉球で、フィールド最年長選手としてプレーすることで、過去とは違った気づきも得られていると、充実感をのぞかせる。

「20代の頃は、自分の好きなプレー、やりたいプレーをやっていただけだったというか。守備より攻撃でしょ、とガンガン攻め上がるばかりだったけど、琉球でプレーするうちに......あるときふと、『そうやって自分が自由にプレーできていたのは、いつも僕がプレーしやすいように、逆サイドにいる右サイドバックの加地(亮)さんがバランスをとってくれていたからやったんや』って気がついたんです。だから、自分はノビノビとプレーできていたし、活かされるシーンも多かったんやな、と。

 以来、チーム全体のバランスを見ながらプレーすることをすごく意識するようになったというか。特に若い選手が多い琉球では、自分がそういう役回りをする必要性も感じています。といっても、不思議なもので、自分らしさを封印しているとか、やりたいことを我慢しているって感覚は全然ない。素直に、チームが勝つためにこれをしようと受け入れられている。これも、ガンバでの13年間があってこそだと思っています」

 事実、"チーム"での自分を意識することが増えたのは、ここ数年の彼に顕著に見られたマインドの変化によるところも大きいのかもしれない。

 というのも、30代に突入した頃から藤春は、目に見えてピッチの内外で「チームのために」行動することが増えた。とりわけ、若い選手や外国籍選手の面倒見がよく、彼らから何度「ハルくん(藤春)に助けてもらった」という言葉を聞いたかわからない。

 同じポジションを争う後輩選手ほど、可愛がったのも印象に残る出来事だ。2022年、自身からポジションを奪う形でレギュラーに定着した黒川圭介がチーム内での年間MVPに選ばれたときも、誰よりもその瞬間を喜び、盛り上げた。

 特別指定選手の大学生が練習参加に来るとなると、大回りしてでも送迎をサポートし、新外国籍選手が加われば、言葉は通じなくとも行動をともにすることも多かった。かつては、「誰かと一緒にいると気を遣って疲れるから、ひとりのほうがラク」だと話すなど、"一匹狼"として知られた藤春が、だ。

 きっかけは、2019年夏にガンバ史上最も長く在籍した外国籍選手、オ・ジェソク(現大田ハナシチズン)がチームを離れたことだったと振り返る。

「ジェソクがガンバを離れるときに、加入したての頃に加地さんにすごくお世話になったという感謝の言葉を口にしていて。『同じポジションのライバルなのに、私生活を含めて常に加地さんが助けてくれたからチームに溶け込めた』と。

 その話を聞いて僕なりに感じるものがあり、だから2019年にキム・ヨングォン(現蔚山HD)が加入したときも......夏にジェソクがいなくなってからはなおのこと、よく一緒にご飯に行ったし、アウェー遠征時は必ずといっていいほど彼の隣にいるようになった。

 以来、いろんな外国籍選手とコミュニケーションを取るようになったし、それは日本人選手に対しても同じで......。若い選手にも自然と目を配れるようになった」

 J1での優勝争いや残留争い、J2降格、国内"三冠"といったさまざまな経験をしながらキャリアを積み上げきたなかで目にしてきたこと、人との出会いのすべてが自身の糧になっていた。

「若いときはチームのことを考える余裕もなかったし、毎日がただただ必死で(頭にあったのは)『自分が活躍せなアカン』ってことばっかりやったけど、キャリアを積むうちにチームのなかでの自分を考えるようになった。

『チームがうまく回るには』とか、『チームとして結果を残すには』ってことを考えるようになったのも、同じチームに長い間、在籍して、その移り変わりを体感しながら、勝つことの大変さ、強くなる難しさを学べたからやと思う」

【自分が加わった意味を何か残したい】

 そして、その経験は今、琉球でも確かに活かされている。先に記したピッチ上での「フォア・ザ・チーム」を意識したプレーはもちろん、ピッチ外でも相変わらず"兄貴分"としての立ち振る舞いは多く、この約5カ月の間にはすでに全選手と食事に出掛けたと聞く。オフになると、体のケアを兼ねて一緒に温泉に入ることも多いそうだ。

「こっちに来てから、既存の選手にいろんな話を聞いて、ベテランと若手をしっかり融合させる必要性を感じたし、自分がその助けになればいいなと。だから、同じ選手とばかり行動をともにするのではなく、いろんな選手と食事に行って話をするようにしています。

 そういうふうにチームのために何ができるかを考えて、その役割を実行に移すことが結果につながる部分もあるはずやし、せっかく琉球に来た以上は、自分が加わった意味を何かしら残したいなと。もちろん僕が与えるばかりではなく、助けてもらっていることも多いんですけど」

 そうした陰で、彼が軸に据える"走れる体"づくりにも余念がない。全試合フル出場にも「疲労はまったく感じていない」と話す藤春だが、一方でキャリアを積めば、疲労回復が遅くなっていることも、それがケガを誘発しかねないことも、自覚している。だからこそ、プライベートの時間はこれまで以上に体のケアに時間を割くことも増えた。

「ピッチに立つ限り、環境が整っていないことは言い訳にならない。だからこそ、体に必要だと思う準備やケアは徹底しているし、食事も大阪にいるときとは違って、ほとんど外食になったとはいえ、いつ、何を食べればいいのかはわかっているつもりなので。必要な栄養を、必要なタイミングで体に入れることは心掛けています。

 マストなのは、試合前の鯖と、試合後の鰻か豚肉。あとは、沖縄は美味しいものが多いから、食べすぎないように気をつけるくらいかな」

 それらはすべて、この先もピッチで走り続けるため。プロになったときには「翌日の練習ですら、乗りきれるのか不安だった」というキャリアは、自身の想像を遥かに超えて今年で14年目を数えるが、今のところ「引退の"い"の字も考えていない」そうだ。

「ピッチで走れなくなるとか、思うように体が動かなくなったらやめようと思っているけど、今のところはまったくそのつもりはないです。練習では若い選手に負けないくらい『走ってやる』『戦ってやる』って思っているし、実際に公式戦でも毎試合、チームで1〜2番の12キロくらいは走れています。

 今の目標は、35歳の僕を必要としてくれた琉球がひとつでもカテゴリーを上げて、全国に知ってもらえるチームになるために力を尽くすこと。また、僕自身がここからまた上のステージに這い上がっていくことも諦めていません。僕がその背中を見せられたら、それもまた若い選手の刺激になるはずやから」

 そんな藤春を擁する琉球は現在、J3リーグで5位。昨季の同時期が13位と出遅れたことを思えば、J2復帰に向けて上々の序盤戦と言えるだろう。そして5月22日には、ルヴァンカップ1stラウンド3回戦のセレッソ大阪戦に臨む。会場は再びホーム、タピック県総ひやごんスタジアム。彼の言葉を借りれば、ガンバ戦に続き、再度「沖縄の人たちに琉球を知ってもらう絶好の機会」がやってくる。

「沖縄ではまだまだバスケット人気が高いけど、ガンバ戦と同様に、J1クラブとの試合を通して、少しでもサッカーに興味を持ってもらえる試合をしたいと思っています。あとは、長らく熱々の"大阪ダービー"を戦ってきた僕だけに、やっぱりセレッソには負けたくない」

 そしてそのピッチでは、ガンバ時代、圧巻のスピードで左サイドを駆け抜けた姿とはまたひと味違う、藤春廣輝の姿をきっと楽しめる。

(おわり)

藤春廣輝(ふじはる・ひろき)
1988年11月28日生まれ。大阪府出身。大阪体育大卒業後、2011年にガンバ大阪入り。プロ1年目のシーズン終盤にはレギュラーの座を確保。以来、ガンバひと筋、スピードと精度の高いクロスを武器とした左サイドバックとして活躍した。2014シーズンにはJ1復帰初年度でのリーグ、カップ、天皇杯の三冠獲得に貢献。2015年には日本代表にも招集され、翌2016年にはオーバーエイジ枠でリオデジャネイロ五輪に出場した。2023年、契約満了によりガンバを退団。J3のFC琉球へ完全移籍。2024シーズンから同クラブで奮闘している。

著者:高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa