今回のヒーローは、フリースタイルフットボーラー小嶺聡之選手。世界を舞台に活躍する新世代エースは、高校3年間を仙台で過ごし、慶応大進学後に日本チャンピオンに。仙台・宮城への思い、そして日本一への道のりに迫ります。

フリースタイルフットボールとの出会い

仙台市青葉区の西公園、仲間とともに汗を流す小嶺選手の姿がありました。
14歳のときにフリースタイルフットボールと出会い、10年以上、ひたすらボールを蹴り続けています。

TBC

フリースタイルフットボールは、サッカーのリフティングやドリブルなどの技術をパフォーマンスとして昇華させた新しいエンターテイメントスポーツです。

TBC

フリースタイルフットボーラー​ 小嶺聡之選手:
「きっかけはYouTubeなんですけど。元々サッカーをやっていて、そこかYouTubeのスゴ技でリフティングのすごい人を発見したのが一番最初です。人にできないことをしている、っていうのがあるしサッカーボールを“こんなにも操れるのか”みたいなカッコ良さがあった」

フリースタイルフットボールの基本動作

フリースタイルフットボールの基本動作は大まかに分けて4つ。
ボールの周りで足を回転させる【回し技】。

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一連の流れの中でボールを足に挟む【ブロック】。

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頭や肩など上半身を使って行う技、【アッパー】。

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そして座った状態で技を行う【シッティング】。

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これら4つを組み合わせて自分好みのパフォーマンスを構成します。

小嶺聡之選手:
フリースタイルフットボールをやっている人は、それぞれスタイルがある中で、僕は人よりも全体的に速い。あと、なめらかにリフティングを挟まずに技と技を繋げていく、ダンスに近いようなスタイルが特徴」

フリースタイルフットボールの仲間は小嶺選手をどう見ているのでしょうか。

小嶺選手の仲間:
「他の人とスピード感が違う。他のプロの人たちとも比べて、特別なフリースタイラー」
「動きも速くて、流れ(フロー)が メッチャカッコイイ」

フリースタイルフットボールの魅力は

決して競技人口が多くないスポーツですが、それゆえに大きな魅力があるといいます。

小嶺聡之選手:
「これはマイナースポーツだから言えることですけど、知らない人とでも“ボール一つで仲良くなれる”。僕も世界にいっぱい宿泊させてくれる友達がいる。うまくなればなるほど“世界にもコネクションが広がる”のは、このスポーツのいいところ」

TBC

仙台の高校に進学後は、ホームの西公園で、それまで以上に練習に没頭しました。

小嶺聡之選手:
「ほぼ毎日学校終わりで、すぐに西公園に来て練習するというのがルーティーンでした。(さらに)学校でもやっていたので…」

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母校は仙台一高

小嶺選手の母校は県内有数の進学校の仙台一高。学校でも暇を見つけては、たった一人で練習をしていたそうです。

小嶺聡之選手:
「ここでやっていました、ずっと。この下、雨でもできるじゃないですか。光がギリギリ当たる、ここら辺のスペースでずっとやっていた。放課後に階段から降りてくるんですよ、生徒が。他の生徒が見てるけど、もうずっと知らんぷりでやっていた。
(Qその頃のモチベーションは?)どういうモチベーションだったんですかね。高校の頃はエネルギーがあり余っていた。かっこいいスポーツなので、人に見られながら練習するのも練習のうち、と今は思います」

TBC

小峰選手が来ると聞きつけ、一時期所属していたヨット部顧問の先生が来てくれました。

ヨット部顧問 加藤良平先生
「彼とは連絡を取ったりは全然してないですけど、こそこそネットで記事は見ています。頑張って続けているんだなぁ、と思って見ていました」

TBC

大学は慶応に進学

高校卒業後は、慶応大学に進学。学校の勉強と、フリースタイラーとしての練習に加え、フリースタイルフットボールの世界連盟メンバーとして、大会運営も手がけることに…。

TBC

小嶺聡之選手:
「東北の競技人口が少ない、というのが、きっかけ。大会を開催したら人も集まるかなぁ、ということで、高校の3年のときに1回(大会運営を)やって、長町のゼビオアリーナでやったんですよ。その時、すごいモチベーションがあったので、今考えると、よくやったなと思うんですけど、結局選手をやっていても見ている人が少なかったら悲しい。人が増えるように、やっています」

積極的に国際大会にも出場。多くの実績を残し、着実にレベルアップを成し遂げてきました。そして、ついに悲願の日本一に。

日本王者への道のり

小嶺聡之選手:
「去年、日本一決定戦(JFFC2023)があったが、それまで日本王者というのは、10年間で3人。ベテランの方しか、今まで勝っていなかったような大会。
“若手で勝つ選手が現れるかも”という状況だったので、そこで負けたくはなかった。(1試合)3分のために1年間ずっとみんなやってきているので、普段はしないような、午前練習して、夜も練習するみたいな。それぐらい気合が入っていた」

TBC

フリースタイルフットボールに没頭した10年間。これまで培ってきた、流れるようなブレイキンの動きと巧みなボールコントロールでトーナメントを勝ち抜き、準決勝では元日本チャンピオンのベテランに勝利し、会場を盛り上げました。

TBC

いよいよ運命の決勝戦、相手は若手No.1と言われる強敵です。

小嶺聡之選手:
「決勝の出来は、100点あげてもいいかなって思っています。今考えると、スキルとしてはまだまだと思いますけど、それでもやっぱりあの雰囲気でミスをゼロにするっていうのは限りなく難しいので、そこを“ミス無し”かつ“気合の入ったムーブ”がお客さんに響いたのかなぁとは思います。よく言う“ゾーンに入ってる”みたいなのはあった。本当にすごく集中はしていました」

TBC

会場MC:
「チャンピオンは・・・・3,2.1、ジャッジ!」

レフリーは、小嶺選手の左手を高々とあげました。小嶺選手優勝の瞬間です。

TBC

小嶺聡之選手:
「めちゃくちゃ嬉しかったです。勝っても負けても泣けるぐらいは練習したいと思っていたので勝ってみんなが喜んでくれたぐらいの時に、泣けたので。練習を、そのぐらい頑張ったのかなぁという事で、やった甲斐はあった。報われましたね」

国際大会4位、そして次なるビジョンは

日本代表として、ベルギーで行われた世界最高峰の大会、『レッドブル ストリートスタイル』へ出場。地元のレジェンドプレイヤーとの対決にも勝利しベスト4に輝きました。

TBC

小嶺聡之選手:
「あれは本当に名誉ある大会で、あれに出ることが僕の夢だった。日本チャンピオンしか行けないので、だからあれに出られたこと自体が、相当嬉しかったです。
僕の人生の中では結構ハイライトだと思います」

この春、大手ゲーム業界に就職する小嶺選手。これからのビジョンを聞きました。

TBC

小嶺聡之選手:
「フリースタイルフットボールっていうのは、まだまだマイナーで知らない人たちがいる中で、そこの裾野を広げていくのは当たり前にしないといけないことですし、そこをしつつも、プレイヤーとしてのステータス(地位)を保ちつつ、影響力のある人間にならないといけない。プレイヤーもして、オーガナイズもしてっていうのは、どっちもすることが一番大事だと思います」

TBC

【tbcテレビ ヒーローインタビューより】