大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、ステファン・エドバーグを取り上げよう。

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今のバックハンドのままでは将来に不安が残る

 14歳の時、エドバーグはバックハンドで大いに悩むようになった。身体が成長するにつれて、両手打ちがどうもしっくりいかないようになっていたのである。

 さらに、気になっている点があった。両手打ちだと、ネットプレーとのコンビネーションがスムーズにいかないのだ。また、アプローチショットには最適と言われる深いスライスボールも、両手打ちでは難しかった。

――やはり、両手打ちはベースラインプレーヤーにこそ有効なんだよ。

 彼はそう思うようになった。事実、当時の世界的プレーヤーを見れば一目瞭然だった。ボルグ、クリス・エバート、トレーシー・オースチンなど、両手打ちを武器にする人はほとんどベースラインプレーヤーなのだ。

――自分が目指す攻撃テニスに、両手打ちはふさわしくない。

 そんなふうに考えるようになった。ただ、テニスを始めた時から慣れ親しんできたものをおいそれとは変えられなかった。何よりも両手打ちは、彼の身体にしみつきすぎていたのである。

 エドバーグは悩んだ。ことは自分のテニス生命に関わる問題だった。もし彼が、小さい頃から特定のコーチについていたら、両手打ちのまま押し通していたかもしれない。コーチはどうしても失敗を恐れる。両手打ちである程度打てていれば、それをさらに突き進めた方が無難だと考えがちである。
  しかし、エドバーグはもっと先を見ていた。この頃すでに、プロのプレーヤーになる決意を固め始めていた。そして、将来、ネットプレーに活路を見出そうとする時、両手打ちがハンディになるのではないかと考えた。

――変えるのなら今しかない。

 エドバーグはそう決断した。しかし、失敗した時のことが頭を何度もかすめて、実際にはなかなか踏み切れないでいた。

 そこでエドバーグは、ボルグのコーチとして有名だったパーシー・ロズベルグの指導を受けることを思い立った。自分でロズベルグに連絡をとり、ストックホルムまで出かけて行った。

 エドバーグのバックハンドを見たロズベルグは、即座に片手打ちを勧めた。

「ボルグのフットワークは素晴らしかった。だから、彼は両手打ちを完璧にマスターすることができた。しかし、キミは片手打ちの方が持ち味が生きるはずだ。今からでも遅くないから片手打ちにしたらどうだろう」

 ロズベルグの助言を得て、エドバーグのハラは決まった。もう迷いはなかった。何とも奇妙な巡り合わせだった。ボルグの両手打ちを完成させたロズベルグが、今度はエドバーグを両手打ちから片手打ちに転向させることになったのである。
 14歳で下した決断は見事な大輪を咲かせることにㅡㅡ

 やはり、不慣れなものに取り組むのは難しい。エドバーグの片手打ちは当初、目も当てられない有様だった。相手から狙われ、凡ミスを繰り返した。両手打ちになじんだ者が片手で打つと、まともに振り切れないケースが多い。エドバーグの片手打ちも、スイングが中途半端になっていた。

 しかし、彼はへこたれなかった。この試練を、自分が成長するための通過儀礼と考え、辛抱強く片手打ちの練習に取り組んだ。未熟ながらも、エドバーグがバックハンドで特に力を入れたのは、ストレートパスを打つことだった。これは高度なテクニックを要するが、これが打てなくては片手打ちにした意味がないと考えていた。

 ストレートに打つショットは、ネットの高い部分を通過し、しかも、クロスに比べるとベースラインまでの距離が短いのでオーバーしやすい。その上にパスとなると、かなりのスピードも必要なので、特に難しい。

 しかし、エドバーグはあえてこの高度なショットにチャレンジした。彼が実にクレバーなプレーヤーだと思えるのは、まさにこうした点である。目標は高ければ高いほど良い。それに少しでも近づこうとすることが、自分を高めることになる。彼はそう確信していた。
  エドバーグは、まず、フォームづくりに励んだ。ポイントとしては、バックスイングを大きく高めに引くことである。これはスイングに勢いをつけるし、肩と腰にタメをつくれば狙うコースを見破られない利点がある。このバックスイングから、リズミカルにインパクトに移行し、長く大きなフォロースルーで左右コーナーに深くボールを送りこむ。これが、彼が描いたバックハンドの青写真である。

 エドバーグは実に大胆な男とも言える。14歳になって両手打ちから片手打ちに変えると、普通はスイングを小さくまとめたがるものだ。しかし、彼は安全策を取らなかった。

 そして、エドバーグのバックハンドは、テニス界の“華”となった。ダイナミックで華麗なフォームは躍動美そのもので、見る者をうっとりとさせずにはおかない。14歳で下した彼の決断は、賢明さと精進の末に、見事な大輪を咲かせることになった。

文●立原修造
※スマッシュ1987年8月号から抜粋・再編集
(この原稿が書かれた当時と現在では社会情勢等が異なる部分もあります)

【PHOTO】ネットに出ることを想定したエドバーグのスピンサービス「30コマの分解写真」