32歳という年齢は、ここ最近のテニス界の趨勢を思えば、取り立てて騒ぐほどではない。それでも、グリゴール・ディミトロフのマイアミ・オープン決勝進出が人々のノスタルジーを喚起したのは、彼が生きた“時代”によるところが大きいだろう。

 ジュニア時代からディミトロフは、片手バックハンドに象徴される流麗なプレースタイルから、ロジャー・フェデラーとの比較を余儀なくされてきた。“ベビー・フェド”のニックネームに、微かな拒絶感を示したこともある。17歳の頃から彼は、周囲が寄せる“次代のチャンピオン候補”の期待と共に歩んできた。

 ディミトロフが初めてグランドスラムのベスト8に勝ち上がったのは、2014年の全豪オープン。この時は、ラファエル・ナダルに健闘するも敗れる。同年のウインブルドンでは、準決勝でノバク・ジョコビッチに競り負けた。17年は全豪オープン準決勝で再びナダルに、そしてウインブルドンでは4回戦でフェデラーに敗れる。

 ちなみに、ディミトロフがキャリア最高位の世界ランク3位に到達したのもこの年。彼自身の全盛期は、先達たちが猛威を振るった時代と重なった。
  トップ10の地位から落ちたのは、最高位から1年後の2018年11月のこと。ツアー優勝からも、17年11月を最後に6年以上遠ざかった。

 その彼が久々にタイトルを抱いたのが、今年1月のブリスベン国際。決勝で破ったのは、20歳の世界8位、ホルガー・ルネだった。

 そして今回のマイアミ・オープン準々決勝では、やはり20歳の世界2位、カルロス・アルカラスを6-2、6-4のスコアで圧倒したのだ。

 この試合を見た英国人のジャーナリストが、「まるで、幻となったフェデラー対アルカラス戦を見ているようだ」とつぶやく。確かにこの日のディミトロフは、ベースラインから下がらず、相手の時間を奪い、常にプレッシャーをかけ続けた。

「自分のプレーは悪くなかった。彼が、完璧なプレーをした」

 試合後に完敗を認めたアルカラスは、「13歳のような気持にさせられた」と苦く笑う。
  そのアルカラスの言葉を記者から伝え聞いたディミトロフは、「最高のコメントだね!」とうれしそうに笑った。

 奇しくも……と言うべきだろうか。決勝戦でヤニック・シナーに3-6、1-6で敗れた後、「過去に対戦してきたトップ選手たちと比べて、シナーはどうか」と問われたディミトロフは、口の端に柔らかなシワを刻んで言った。

「笑ってしまったのは、ロジャーとウインブルドンで対戦した時のことを思い出したからなんだ。穴を掘って、そのまま隠れて消えてしまいたいと思った。あのような感覚を、他の選手から味わったことは、未だない」

 今回、アルカラスがディミトロフとの対戦で覚えた無力感は、ディミトロフがかつてフェデラーと対峙し覚えた感覚に似ていたのかもしれない。
  また、別の日の会見でディミトロフは、“ビッグ4”との対戦経験を、次のようにも述懐している。

「キャリアを通じ、準々決勝や3回戦、4回戦で何度も彼らと対戦してきた。その経験が、僕を精神的に強くしたと思うし、それらの対戦から多くを学んできた。彼らはそれぞれが個性的で、いずれも高質だ。彼らこそが今のテニス界を築いたパイオニアだと思う」

 そんな先駆者たちがコートから姿を消していくことを、彼は「寂しい」とも言った。
 
 約15年のプロキャリアを経た今、彼は「多くの世代との対戦を通じ、ゆっくり、でも確実に自分のテニスがわかってきた」と、無精ひげに覆われた口元に少年のような笑みを広げる。

 マイアミ・オープン決勝の翌日、ディミトロフは283週ぶりに、トップ10へと返り咲いた。

現地取材・文●内田暁

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