しかし、意思決定(青ワーク)の際に、十分なアイデアや意見を生み出したかどうか、持てる知識を惜しみなく共有したかどうかは、生産作業の結果がわかりやすい赤ワークと異なり、本人以外にはわからない。

最善を尽くしたフリをするのは簡単で、リーダーにはそれを見破る術がない。だからこそ、全力を尽くしてほしいなら、望ましい言動をとったことへの報酬が必要だ。

この報酬が「労い」というわけだ。

外からではなく、一体となって労おう

では、労う際には、どんな言い方をすればいいだろうか。

あるチームのメンバーが、やり遂げたことを上司に見せて、「素晴らしい!」と言われたとしよう。

だがすぐに、こういう言葉が続く。「ところで、ここをこう変えたいと思うんだけど……

こんなせりふを聞いたことはもちろん、自ら口にしたことがある人は多いのではないか。この種の典型的な労いにはいくつか問題がある。

まず、何かを達成したと実感させる効力がない。

形だけ労ったところで、やり遂げた人が苦労話などをする機会が生まれないし、次のステップへ移るタイミングだと気づかない恐れがある。それでは、今後役に立つことが何も掘り出せない。

形だけの労いは、協力関係からではなく、上の立場から生まれる。それは下の立場の人を外から称えるだけのものであり、彼らと一体になって達成を喜んでいるのではない。

「よくやった」と言うだけの褒め方はよくない

労いは、「称えること」と同義ではない。

外から褒め称えることが労いだと自動的に考える人はあまりにも多い(その原因は両親のせいであることがほとんどだ)。

昔ながらの称賛を送ったところで、職場では何の意味もない。称賛された人は、称賛した人に対して、支配的で身勝手で、恩着せがましいと感じるからだ。