私は大学院の博士課程の頃、政府給費留学生としてユーゴスラビアのザグレブ大学の大学院に留学したのだが、卒業などしていない。だからそのことを示す何の証明もない。日本の文部省が派遣したという証明書があるだけだ。もっともユーゴスラビアという国でさえ今では存在していない。

またその後、フランスのEHESS(国立社会科学高等研究院)にもいたが、勝手な聴講生なので証明書はない。もちろんこんなことは履歴に書かないほうがいい。博士課程に在学中であればそれだけで済むからだ。

しかし、見栄を張ってつい書いてしまうと大変なことになる。最初の就職先の一橋大学社会科学古典資料センターに正直にこの経歴を提出してしまったのだ。

国立大学のチェックは厳しく、この証明を得るため聴講していた教授に頼んで証明書を書いてもらった。自分で文面を書いて、教授にサインしてもらったのだ。

小池氏個人にとどまらない問題

教員になって外国人留学生の入試を担当すると、海外の高校や大学の卒業証明書を見ることが多くなる。中国などの留学生の高校卒業の証明書や、大学の卒業証明書が本当であるかどうかチェックするのだ。

これもさまざまな点で怪しいなと思うものがあるが、チェックしようがない。チェックすれば、膨大な手間と時間がかかるからだ。

さて、小池百合子氏の場合は問題が複雑である。それは彼女の卒業は、たんに個人的な問題にとどまらないからだ。日本とエジプトとの関係を考えれば、エジプト政府およびカイロ大学は卒業というだろう。

日本とエジプト、そして当時のサダト政権と田中角栄政権の複雑な関係を考える場合、卒業を問題とするよりも、どうやって卒業という事実を獲得したのかということを問題にしたほうがいいだろう。

しかし、これはとても勇気のいることかもしれない。卒業というものが国家権力と関係していた場合、真実を知ることは簡単ではないし、とても危険なことだからである。

小池氏が在学していた1972年から1976年までは、彼女と同年齢の私の学生時代とかぶる時代である。

なんといってもナセル大統領(1918〜1970年)の後を継いだサダト大統領(1918〜1981年)の時代であり、彼女がカイロ大学の2年に入学したとされるのは、1973年10月6日に勃発したイスラエルとの第4次中東戦争が始まった戦乱の時代だった。