4月5日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、「逆境からの復活!」。
去年の元日、伊豆有数の温泉旅館「天城荘」は、予期せぬ大火災に見舞われた。ガイアのカメラは、火災から1年以上にわたり、再建までの軌跡に独占密着。旅館だけではなく、地域の再生も目指し、奮闘する人々の姿を追った。
一方、観光船の沈没事故で観光客が激減した北海道・知床。ふるさとの再生を願い、都会からUターンした若者がいた。彼の挑戦は、地域を再び輝かせる灯火となるか? 逆境からの復活にかける人々に密着した。

【動画】大火災に見舞われた温泉旅館「天城荘」逆境からの復活

元日の大火災 伊豆有数の温泉旅館「必ず再生してみせる」


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早咲きの河津桜で知られる人気の観光地、静岡・河津町。町のもう一つの自慢が天城山の麓に点在する7つの滝で、中でも大滝は、落差30メートルと最大だ。滝壺のそばにはワイルドな露天風呂があり、映画「テルマエ・ロマエ」のロケ地にもなった。

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露天風呂を含め、東京ドーム2個分の広大な敷地を持つのが、伊豆有数の温泉旅館「天城荘」。だが去年の元日、「天城荘」は原因不明の大火災に見舞われた。
宿泊客や従業員は全員避難し、けが人は出なかったものの、火は約2000平方メートルを焼き尽くし、約10時間後にようやく消し止められた。

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その年の2月、コロナが収束し、3年ぶりに行動制限のない「河津桜まつり」が開催された。祭りの期間中に約51万人が訪れ、町は大きなにぎわいを見せたが、火災から1カ月…「天城荘」の時間は止まったまま。そんな中、「ここでしか見られない温泉の景色がある」「応援している」というファンの声に応え、「桜まつり」に合わせて、大滝を見ながら入れる日帰りの露天風呂だけは再開していた。

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「天城荘」は以前も存続の危機があり、7年前、ガイアはその顛末に密着していた。ネット対応の遅れなどが響き、バブル期には10億円近くあった売り上げが徐々に低迷、経営破綻に陥ったのだ。

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その時、民宿など小規模宿泊施設の集客を支援する会社「リバティー」(静岡市)の福原良佐社長(当時、現会長)が旅館を買収。会社のノウハウを結集して「天城荘」の再生に挑んだ結果、わずか数年で黒字に。突然のコロナ禍も乗り越え、これからという矢先の火災だった。

「桜まつり」が終わった去年3月。福原さんにとって2度目となる「天城荘」の再生が始まったが、火災の被害は、休館に伴う営業損失も含めると11億円にも上る。
保険金が約5億円下りることになり、被害の大きさを考えれば、保険金だけを手にして再建はしないという選択肢もあったはずだが、福原さんは「地域があってこその天城荘。経営を引き受けた以上、地域を絶対的に守り抜く」と話す。

実は、一昨年の暮れに前立腺がんの疑いがあることがわかり、今も治療を続けている福原さん。火災がなければ2022年度限りで引退するつもりだったが、「そんなことは言っていられない。命は度外視」と再生に挑む。

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一方、火災当時、「天城荘」の支配人を務めていた木村優希さんは、福原さんが経営するリゾート施設で下働きの日々を送っていた。「最初は悔しかった…すごく」。
福原さんは実力がある木村さんに、もう一度チャンスを与えようとしていた。

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火災から10カ月が経った「天城荘」には、支配人に復帰した木村さんの姿が。この日は内装の打ち合わせだったが、客室はこれまでの純和風に加え、北欧風とバリ風もつくることに。火災前よりもっと素敵な宿へ…。支配人として、木村さんの勝負が再び始まった。

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「天城荘」のリニューアルが進む中、福原さんは河津町の観光協会にある提案をする。それは桜からの脱却…セールスポイントの多様化について力説する。

「山があり、海があり、滝があり、もったいない」。

コロナ以前、河津町の年間の観光客数は約115万人。そのうち8割近くが「桜まつり」の時期に集中していた。桜の時期以外に観光客を呼べていない課題に対し、福原さんは、成長が見込める外国人旅行者への対応の強化を提案する。町を挙げて河津の魅力をアピールすることで、下田など近隣に流れている外国人旅行者をつかもうというのだ。
支配人の木村さんはそんな福原さんの思いを汲み、河津町のPRが期待できる秘策を打ち出すが、今度は工事中の「天城荘」に深刻な事態が発生し――。

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人気の観光地「知床」で起きた悲劇…沈む町に光を灯せ!


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北海道東部の斜里町。オホーツク海に突き出た知床半島の北側を占める町で、2005年7月、知床は世界自然遺産に登録された。独特の地形や環境が人を寄せ付けず、希少な動植物の営みを育む、世界に二つとない場所だ。
コロナ前には年間120万人以上が訪れていた人気の観光地だったが、2022年4月23日、知床半島沖で小型観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈没。死者・行方不明者26人という惨事となった。現在、事故を起こした運航会社はもぬけの殻。遺族への損害賠償はまだ進んでいない。

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去年8月、斜里町では観光船の今シーズンの運航が始まっていた。天候による運航判断を単独では決めないこと、陸上との連絡手段を常に3つ以上確保することなど、事業者たちは国の規定よりも厳しい自主ルールを課して運航。それでも去年の夏の利用客は、以前の約4割ほどだった。
観光客の数は徐々に回復してきているものの、事故の影響は大きい。

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斜里町出身、丹羽慎さんの人生も事故で大きく変わった。斜里町の人口は約1万人で、若者の多くは進学や就職で町を出ていく。丹羽さんも事故当時は神奈川・横浜に住み、アパレルの仕事をしていたが、ニュースを聞いてふるさとのことが心配になり、Uターンを決意した。

今も思い出すのは、世界遺産登録に沸いた頃の町だ。「小学生が世界自然遺産の話をするなんて、なかなかない。みんなすごく喜んでいたイメージがある。もう一度、みんなが盛り上がってくれるような出来事を起こせられたら…」丹羽さんはそう話す。

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ふるさとへの思いから一念発起した丹羽さんは、去年2月、木々に囲まれた「HOTEL BOTH」をオープン。逆風の中で開業をした理由を、「完全に逆張り。こういう状況だからこそ、やろうというチャレンジ」と笑顔で話す。
建設資金など借金を背負いながらの運営だが、安さにこだわり、相部屋は1人3500円から。家族で泊まれる個室もある。全室で30人ほど宿泊でき、若者を中心に人気だ。

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1階にあるレストランの目玉は、地元食材にこだわった「知床鹿肉定食」(2500円)。人気のサウナもつくった。すると宿泊客だけでなく、地元の人たちの利用も増え、ホテルが地域の交流の場として使われ始めた。

今年1月。紅葉シーズンが終わって冬を迎えると、知床の観光業は閑散期に入る。この時期に合わせて、丹羽さんは新たなイベントを企画した。当日は町長も駆けつけ、約250人が集まったが、どんなイベントを仕掛けたのか――。

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