近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載「近現代史ブックレビュー」はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。中田 薫
北 康宏 著 日本歴史学会 編
吉川弘文館  2640円(税込)

 中田薫は、日本法制史という学問を切り開いた東京大学法学部の教授である。その学問は、本人自身が言うように「前人未到のもの」であった。研究は日唐律令比較研究に始まる壮大な比較法制史で、日本の家の特質を初めて通史的に見通した「徳川時代の文学に見えたる私法」が一つの代表的成果であった。そこで示された、家長は家族に対して保護義務という道徳的関係を有したに過ぎず、これを権利に転化させたのは明治民法だというのがその独創的立場である。

 こうした学問的内容もさることながら、本書は中田の人間性や交流のあった研究者をめぐるユニークな逸話が多く、実に読んでいて面白い。ここでは、そうした興味深いエピソードを2、3紹介することにしよう。

 中田は仙台の第二高等学校に入るが、1897年、生徒437名連署の吉村寅太郎校長への辞職勧告書提出事件が起きる。ボイコットは2週間以上続き、東京から先輩が応援に来、仙台の新聞も支援した。しかし、中田は「中田を擲れ」の声の中、一人この運動に反対し毅然とした姿を見せた。「ただ一人排斥の理由がないというので連盟に加わらなかった。本当に強い人というべきであろう。一同敬意を表した」(後輩の斉藤隆三)。

 こうして中田の名前は有名になった。日本社会で最も少ないのがこういう集団の多数に抗する動きをする人である。とくに下からの同調圧力に抗することのできる人は極めて少なく、中田はそういう真に強い人であることを早くに証明したのだった。

 法学部教授の中田は1927年度から文学部でも講義をすることになったが、この授業に出た後の古代史の泰斗坂本太郎は養老律令が制定後39年間も放置されて施行されていなかったことを中田の論文で初めて知ったという。法学部の中田は国史学会より進んでいたのである。