【品川駅、品川区に建てなかった理由】

悪天候や災害が都内を襲った際、よくニュースに映し出されるのが品川駅の様子。品川を「サラリーマンの街」と認識している人も多いのでは。
今回、じつは品川駅の名前に潜んだ大きな矛盾に、大半の人が気づいていないと判明したのだ。
新宿駅は新宿区内にあり、渋谷駅が渋谷区内にあるのは周知の通り。しかし、品川駅は品川区でなく、港区に存在するのをご存知だろうか。
今回の取材を快諾してくれた「港区立郷土歴史館」の担当者は、品川駅が港区内に存在する経緯について、3つの理由を挙げる。
まず1つ目が、住民の反対。これは鉄道建設におけるメジャーな反応で、「目黒駅が品川区にある」理由を品川区に尋ねたところ、「目黒住民からの反対に遭ったため」という回答が得られている(目黒区は「反対運動の根拠は見つかっていない」と主張)。
当時の様子について、郷土歴史館の担当者は「鉄道という高速な交通機関ができれば品川に宿場は必要ではなくなるという理由で、品川宿および宿場を生活の基盤とする人々が反対運動を起こしました」と、説明している。
品川宿と言えば、東海道五十三次の宿場のひとつで、江戸の玄関口として賑わった「江戸四宿」の一角。そんな歴史ある宿場に、「近代技術」による「高速」の交通機関が作られるとなると、住民らは不安を覚えたことだろう。
そして2つ目が、兵部省(陸軍)の反対である。
この詳細について、担当者は「当初、田町の薩摩藩邸から品川停留所に至る間は市街地を通る予定でしたが、兵部省の反対と妨害があったため、海上を埋め立てて線路を敷設することになりました。兵部省の建物が品川八ツ山下にあり、用地の引き渡しを拒んだだけでなく、測量の妨害なども行ったと言います。そのため海上を埋め立てて築堤を作り、線路を通しました」と、説明している。
そして、当時の政府は政府は鉄道敷設を急ぐ必要があった、というのが3つ目の理由。
と、しらべぇが報じている。
編集者:いまトピ編集部