WBA世界スーパーフライ級王者の井岡一翔(志成)が7月7日、両国国技館でIBF世界同級王者、フェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)と統一戦を行う。35歳のいまなおトップを走り続ける井岡にとって、キャリア3度目の統一戦はどんな意味を持つのか。そしてこの試合を乗り越えた先にはどんな世界を見えてくるのか。円熟のチャンピオンに直接話を聞いた――。

 井岡が待ち望んでいた統一戦が決まった。ただし、相手はかねて熱望していたビッグネーム、WBC王者のフアン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)ではなく、IBF王者のマルティネス。このあたりの事情をまずは聞いてみよう。

「前回の大みそかの試合が終わって、選択肢は3つありました。一つはエストラーダ選手との統一戦、WBAが指名する選手との指名試合、そしてもう一つがマルティネス選手との統一戦でした。エストラーダ選手との交渉が難しくなった段階で、マルティネス選手との交渉を優先してもらい、それが実現したということです。2つのベルトをまとめてエストラーダ選手と3団体統一戦を行う。そうなればより盛り上がりが増すと思うので、良かったと思います」

 エストラーダは6月29日、アメリカで2階級制覇王者、ジェシー・ロドリゲス(米)の挑戦を受けることが決まっている。この試合の勝者と、井岡対マルティネスの勝者が3本のベルトをかけて争う。そんなシナリオが「有力だ」と報じるメディアもあり、仮にそうなれば井岡にとって「理想的」な展開だ。

 ただし、チャンピオン同士の激突となる統一戦の難しさを井岡はよく知っている。2012年、自身初の統一戦は八重樫東と激しく打ち合って小差の判定勝ち。22年大みそかのスーパーフライ級統一戦はジョシュア・フランコ(米)とドローに終わった。

さらに、七夕に迎え撃つIBF王者が一筋縄ではいかない実力者であることも、先の話をすることをためらわせる。22日、記者会見のために地球の裏側から来日したマルティネスはマイクを握ると、鋭い表情で次のように語った。

「私はこの試合を長い間待ち望んでいた。私は(よく手数を出す)井岡のスタイルが好きだ。正しいスタイルだと思う。同時に私は自分のスタイルも気に入っている。脚を使って逃げたりしない。正面から戦う。2本のベルトは必ずアルゼンチンに持ち帰る」

 12人兄弟の貧しい家庭に生まれ育ったというマルティネスは11歳でボクシングを始め、アマチュアで活躍して2016年のリオデジャネイロ五輪に出場。プロに転じて22年2月、王座を9度防衛していたジェルウィン・アンカハス(フィリピン)に挑戦、下馬評を覆して世界王座を獲得した。ダイレクトリマッチでアンカハスを返り討ちにするなど、これまで2度の防衛に成功。「マイク・タイソンが好きだ」との言葉通り、小柄な体格で相手の懐に迫り、旺盛な手数とファイティングスピリットで勝負を挑む生粋のファイターである。

 戦績はこれまで16戦全勝9KO無敗。井岡の34戦31勝16KO2敗1分に比べてキャリアは少ないが、逆にそれがマルティネスの強みにもなっている。まだ王座に就いて2試合だから、大金を手にしたわけではない。「稼いで家族のために家を買いたい」というセリフがよく似合うハングリーなチャンピオンなのだ。プロモーターと関係がもつれ、試合から1年遠ざかったことも“飢え”をいっそう高めていることだろう。

 また、子どものころから『キャプテン翼』、『ドラゴンボール』、『るろうに剣心』などのアニメを見て育ったマルティネスにとって、日本は子どものころから知るあこがれの国だ。その地で日本のレジェンドを倒し、ジャパニーズドリームを実現する。井岡戦に挑むマルティネスのモチベーションはマックスと言えるだろう。

 そのマルティネスに立ちはだかるのが井岡だ。昨年大みそか、井岡はランキング6位のホスベル・ペレス(ベネズエラ)を迎え、3年ぶりのKO勝利でWBA王座の初防衛に成功した。かつてないほど攻撃的、積極的なスタイルは、本人曰く「前で作るボクシング」。このスタイルにたどりつくまでのプロセスが興味深い。

 井岡は以前、どちらかというと「後ろで作るボクシング」をしていた。本人はそれを「相手のミスを引き出す」、「後出しジャンケン」と表現したことがある。よく言えば駆け引きに長けたクレバーなスタイルなのだが、それが裏目に出たのが、22年大みそか、フランコとの統一戦だった。フランコの前に出て休まず手を出す。井岡は後手に回り、ドロー決着で2団体統一に失敗した。その反省から自らのボクシングを見つめ直し、23年7月のフランコとの再戦に勝利、大みそかに3年ぶりのKO勝利を手にしたのである。

 変わるきっかけとなったフランコ第1戦は大きな分岐点になったのは間違いないが、井岡は「いまになって思うと、もっと遡って田中恒成選手との試合が大きなターニングポイントになっているんです」と意外な事実を明かした。いったいどういうことなのだろうか。

 WBO王者だった井岡は22年大みそか、当時無敗で世界4階級制覇を目指した田中(畑中=現WBOスーパーフライ級王者)と対戦。「史上最高の日本人対決」と銘打たれた試合で、井岡は田中をまったく寄せ付けず、8回TKOで退けた。この試合を井岡は次のように振り返る。

「あの試合で得たものを一瞬、勘違いしてしまったというか、自分自身で捉え方を間違ってしまったというか、あそこから距離とかテクニックが先行しすぎてしまったというか…。すごく分かりやすい言い方をすると、あの勝利でダメな方向にいったのかもしれないと思うんです」

 田中を圧倒した“待ち”のボクシングがあまりにはまり過ぎてしまい、その感覚を引きずった結果、ボクシングにズレが生じてしまったということだろう。田中戦のあと、5試合連続の判定決着を井岡は「深みにはまった」と表現した。その深みから這い出ようと模索し続けて手にしたのが昨年大みそか、3年ぶりのKO勝利だったのである。

 こうして得た自信が、前に出るファイタータイプのマルティネスを敵に回して、「彼の得意な距離で打ち勝つ」というコメントにつながってくる。

「相手の弱みを誘導したり、ミスを待ったりするのではなく、相手の長所をつぶしていく。相手の長所をつぶしたらダブルで突破口が開けますよね。彼が得意にしている部分で上回れば、ゲーム全体を支配できますから」

 井岡はいま、長い時間をかけて試行錯誤し、磨き上げたボクシングに強い自信を持っている。もし七夕の夜、IBF王者を完膚なきまでに叩きのめせば、周囲からの3団体統一戦を望む声は自ずと高まることだろう。